どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

稀にはこんなことだって考える

2015年09月18日 | 日記
今日も雨

安保関連法は成立するのだろう

選挙の時 私はいつも負け組に投票している

負け組になるつもりは更々無いのだが 結果がそうなるのだ

法案に反対の国民が多いという調査もあるが 本当なのか?


ひとは自分が可愛い生き物だから 目先のエサに釣られるのは仕方の無いことだろう

大株主であれば株価が上がるような政策を 高齢者であれば年金や介護といった問題 幼い子供を抱えて働く母親は女性の地位の向上や保育園を 地方の経済活動の向上を望む人もいれば あらゆるしがらみや付き合いなどから人選することを責めるわけにはいかない

ひととは そういうものだとも思っている


私は政治経済には非常に疎く 山ほどあるブログにはそうした意見を書く人も大勢いることを知ってはいるが 私自身はあまり書かないできた

それを書かなかったのは非難を恐れるからではなく(そもそも 大勢の人の目に止まるようなものでもなし) まず先に書いたように疎いからであり 知った顔をして書くということもできなかったし 何より半ば酔っ払いながら書くことが多く そして「酒は美味しく飲め」「酒の席で 政治や宗教の話はご法度」という父の遺言があったからだ

けれど 私だって意見が無かったわけでもなく 思う事だって沢山ある


ラジオを聞いていたら だれかの行動や意見が良い あるいは正しいと思ったら もっと賛同の声を上げようよ とあるパーソナリティーが言っていた

自分自身で直接的行動を起こせなくても それだけでも言わないよりは良いし それが声になると

私自身は ツイッターもフェイスブックもラインも全くしないからネットでの参加は無いに等しく ここに書いたことがほんのわずかでも影響を与えるということは皆無だと思う

もっと言えば 私は こんなこと あんなことを含めた仕事しかできないような気持ちの悪い集団に投票したことは一度も無く 他の多くの人が支持した結果がこれじゃないか 今更何を言う~ みたいな気持ちもある

どうせ生きたってあと20年かせいぜい30年だし 子孫が居ないこともあってその先の日本がどうなろうと知ったこっちゃないと思わないでもないが それでもこの世に生きる全ての人がこれから先も(これから先は?)幸せであるほうが 私だって嬉しい


ひとに色々な考えがあるのは仕方が無い

戦争に行った者でさえ 赤紙一枚で出征した者と志願兵とではまた違うのだろうが 父は靖国なんかには絶対に行こうとはしなかった

新聞を読んだりニュースを聞くたびに また戦争をおっぱじめようというつもりか と憤慨し 原発にも反対だった

今 父が生きていなくて良かったと思うたった一つの情けない理由である


成蹊大学の学生が「AJAA 安倍晋三に反対する成蹊大学後輩による抗議声明」を出し 同窓生の賛同者を募っている

私が子供だった頃の学生運動とは全く違うムーブメントが起こり始めている

進み始めた車輪を止めることが難しいのは 前の大戦で嫌というほど知ったはずだ

傍観者で良いのか と思いつつ 今日もゴミ袋を作る
コメント (6)
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