今年60歳になった私は 当然戦後の生まれである
私は両親の とりわけ赤紙一枚で戦地に行かざるをえなかった父の話を聞いて育った
今にして思えば 両親にとってはつい最近の出来事だったのだとわかる(当時は 遠い話のように思えた)
まだ小学校にも行かない頃 繁華街でハーモニカを吹きながら小銭を稼ぐ人がいて 私はなんだかわからないのに親にお金を貰って 彼の前の箱に小銭を入れた記憶がある
私の原体験はそれくらいで あとは親の話と本や映像で知った
先日 野坂昭如氏が亡くなった
私は土曜の永六輔の番組を楽しみに聴いていたが 彼の体調も鑑みてのことだろう 月曜の夕方からの放送になり 時間も大幅に短縮されたものになった
午前中は動くと決めている私には残念な移動で 聞く機会を失ってしまった
そこで きっとこの番組を聴けるものがネットのどこかにはあるだろうと思ったら ビンゴ!
半レギュラーでもある北山修がその日のゲストだった
戦争を知らない子供たち の世代の始まりだ
なにかというと戦争の話を持ち出す少し上の世代が目の上のたんこぶのように 今の言葉でいえば「うざい」と言う感覚に近かったようだ
戦争を肯定しているわけでは決してないのだが 彼らの世代にしかわからない気持ちがあるのだと知り そういう年代の人なのだと面白かった
私のようにノーテンキな年代とはまた少しだけ違う
ふと ガンジーの不肖の息子のことを思い出した
私の心がまだスポンジだった頃に 戦争の日本を生きた人々の本を読んできたのだと 本の整理をしていているとよくわかる
活躍している人々が年上であれば当然のことだったのだが そうした作家で鬼籍に入られた方も多くなってきた
新たな時代に 新たな問題が起こっている
野坂氏は 飢えた子どもの顔は見たくないと言った
飢餓は命の源を支える大問題であるが 今はまた別の意味での子供の飢餓があるようだ
とても無邪気だった頃 人は幸せに向かって学び 働き 貢献し 科学も進み それがにんげん全てを幸せにすることなのだと私は思っていた
それは 甘い とても甘い私の幻想だったのだろうかと今は思う
ところで こうして文字に書くとなると どうも堅くなっていけねぇ~ と思っている
文字は怖いものだ 表情が見えないからね
ビールを飲みながらの日記だから ウソは無いけれどその程度のことだ
所詮 戯言に過ぎない
私は両親の とりわけ赤紙一枚で戦地に行かざるをえなかった父の話を聞いて育った
今にして思えば 両親にとってはつい最近の出来事だったのだとわかる(当時は 遠い話のように思えた)
まだ小学校にも行かない頃 繁華街でハーモニカを吹きながら小銭を稼ぐ人がいて 私はなんだかわからないのに親にお金を貰って 彼の前の箱に小銭を入れた記憶がある
私の原体験はそれくらいで あとは親の話と本や映像で知った
先日 野坂昭如氏が亡くなった
私は土曜の永六輔の番組を楽しみに聴いていたが 彼の体調も鑑みてのことだろう 月曜の夕方からの放送になり 時間も大幅に短縮されたものになった
午前中は動くと決めている私には残念な移動で 聞く機会を失ってしまった
そこで きっとこの番組を聴けるものがネットのどこかにはあるだろうと思ったら ビンゴ!
半レギュラーでもある北山修がその日のゲストだった
戦争を知らない子供たち の世代の始まりだ
なにかというと戦争の話を持ち出す少し上の世代が目の上のたんこぶのように 今の言葉でいえば「うざい」と言う感覚に近かったようだ
戦争を肯定しているわけでは決してないのだが 彼らの世代にしかわからない気持ちがあるのだと知り そういう年代の人なのだと面白かった
私のようにノーテンキな年代とはまた少しだけ違う
ふと ガンジーの不肖の息子のことを思い出した
私の心がまだスポンジだった頃に 戦争の日本を生きた人々の本を読んできたのだと 本の整理をしていているとよくわかる
活躍している人々が年上であれば当然のことだったのだが そうした作家で鬼籍に入られた方も多くなってきた
新たな時代に 新たな問題が起こっている
野坂氏は 飢えた子どもの顔は見たくないと言った
飢餓は命の源を支える大問題であるが 今はまた別の意味での子供の飢餓があるようだ
とても無邪気だった頃 人は幸せに向かって学び 働き 貢献し 科学も進み それがにんげん全てを幸せにすることなのだと私は思っていた
それは 甘い とても甘い私の幻想だったのだろうかと今は思う
ところで こうして文字に書くとなると どうも堅くなっていけねぇ~ と思っている
文字は怖いものだ 表情が見えないからね
ビールを飲みながらの日記だから ウソは無いけれどその程度のことだ
所詮 戯言に過ぎない