どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

日記帳

2016年12月11日 | 日記
北海道は大雪に見舞われているという

今日も冷えたが 明日の朝は更に冷え込みが強まるようだ

週明けの寒さは 労働者の心にも身体にも一層強く感じられるだろうと思う

12月も中旬に入ったのだから仕方が無いといえばそれまでなのだが


お洗濯を済ませてからは 今日はのんびりの一日

一歩も外には出ないと決め込んで お昼前から暖房を入れた部屋で いつもの時間を過ごす

姉に手紙を書きながら今年を振り返ったり 今年もあと3週間かと思ったり そろそろ今年の漢字などというつまらぬ発表があるのかな なんて何となく師走を感じてはいるけれど まだまだ実感は無く まあ 師でも無いから走らなくてもよいか と  

いずれ もうしばらくしたら 嫌でもお尻に火がついて走り出すことになる

友人に本を貸す約束をしたので 週末までには読んでおかないといけないと思い 布団にもぐりこんでいたら うたた寝をした

世の中の人は それぞれ働いたり 遊びにいそしんだり 年末に向けての買い物や大掃除 色々な計画で忙しいのだろうと思うと こんな隠遁生活で良いのか?と思わないでもないのだが ひとにはそれぞれ人生のリズムがあるものだ

他人と比べてみても始まらない
 

年末ともなると 手帳やカレンダーに加えて日記帳を買う人もいると思うが 私は手書きの日記をつけなくなって数年は経つ

しかも 過去の 子供の頃からの日記帳も全て捨てた(シュレッダーにかけたので それは時間のかかる作業だった)

こんなものを残して死んだら 恥さらしになる~~

しかも 愛情ある興味を持って読む人も それを大事に思う人も居ないのだから 残すことも無意味である

ここに書きつけておくようなことで もうほとんど事足りている


もっとも 嘘は無いけれど 心の全てを書くことはしないから 自分の心を整理したいと思うような時には 友達や姉に話す以外に 文字にして紙に書くこともある

残しておきたいからではなく そうした作業の経過の中で見えてくるものがあるからだ

子供の頃から そうすることで心の平静を取り戻し 反省をし 時にうっぷんを晴らしてきた(お母さんはお姉さんをえこひいきしてる とか あれは絶対に私は悪くないといった子供じみたことから始まり・・・)

その癖は 今も抜けない

引っ越して以来 何はともあれ 取るに足らぬアホのような事でも とにかく毎日書いてきた

本来は 退職後は欠かさず書くつもりだったのだが 途中で倒れた^^(えへっ)

そして その時は ペンを持ち ノートに書き綴った

記録としてではなく 行為そのものに価値があり 私にとっては大事な作業と知っているからだ

だから そうした行為が無いほうが たとえ毎日がのんべんだらりであっても 元気に過ごしている何よりの証拠なのだ

仮に もしもこの場所が無ければ 私は 今もって日記帳に書き そして毎年捨てるようなことになっていたかもしれないが とにもかくにも書いてはいただろうと思う

そもそもが わざわざネットにあげるほどのものではなかったのに 粗忽者がうっかり始めたために今に至ってしまったのだが 私としては日記帳を持たずして備忘録を残せることに けっこう満足している

いつまでこれが残るのか それよりも前に いつまでここにうだうだと書けるのかはわからないけれど 出来るならば 紙に文字を連ねる日記を書かずに一生を終わりたいと思う

私にとっては それが何よりのストレスフリーの証拠でもある

私にとって日記帳とは そういうものになった

コメント (2)
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