今日は 今年最後の工務店との打ち合わせ
出かけ間際に す~さんから電話がかかってきた
姐さん 新居の具合はどう?
それがね 一か月先になっちゃったの
またカレンダーと手帳あるからさ うちは今日の午前中で仕事は終わりなんだけど 午後は例の納会があるから 姐さんはいつが暇?
う~ん 基本的にはいつでも
じゃ また連絡するわ 新築祝いには行くからさ と彼は言って電話を切った
クライアントの会社は大会社で 業者のカレンダーや手帳を毎年 山のように捨てている
す~さんはそこから センスの良い 使えそうなものを頂いてくるのだ
社長はハズレだったが 小さな会社の割には良い仲間に出会えたと思う
それにしても 誰もが嫌がる2時間以上の納会を 今年もまたやるのか(笑)
社長の気持ちもわからないではないが 正直 気の合う仲間と飲むか 一刻も早く帰りたいと社員は思っていることに まだ気が付いてはいないようだ
ん?新築祝いに来る?
独身時代 彼はこの地に住んでいたこともあって いつか遊びに行きたいとは以前から言っていたのだが・・・
う~~ん 基本的に人の訪問を考えていない家だからなぁ
まあ 遊びに来てくれるのであればご馳走はするけれど でも何も無い家だし
打ち合わせは 引き渡しまでの工程の確認で終わった
今日は電気屋さんが工事に入っていた
予定では今日から始まるはずだった外壁の左官工事が 雨のために明日からになってしまった
帰る頃には土砂降りで 車で見回りに来た例の老人が 車で送りますよと言ってくださったが 遠慮させていただいた
まだ10代の頃 母から他人の車には乗らないようにと言われた
友達の車に乗っていて 万が一事故を起こしたりした時のことを心配したのだろう
絶対にだめだというほどの強い約束では無かったが 私は極力乗らないことを選び それがいつしか身についてしまった
この年になるまでに他人の車に乗ったのは 片手以上両手未満(タクシーは別だが)
老若男女に限らず 友人知人が乗った車の死亡事故を知ると 互いの家族の複雑な気持ちをついつい想像してしまう
全てがそのような調子で 一歩も二歩も先を心配し 用心する母には 時にうんざりすることもあったものの 私も全てを守っていたわけではないが 信頼を裏切らないことと 何があっても親より先には逝かないようにすることには それなりに気を遣ってきた
両親を無事に送り 寂しいのは言うまでも無いことだが それでももう心配をかける人は居なくなったという現実が 私の心を少し軽くしたのも確かなことだった
過保護とは少し違ってはいたが 両親の死後に一人旅をするようになったのには 休暇が増えたことに加えて こうした背景もあった
雨のせいで買い出しは出来ず 一番激しい時に折り畳みの傘で帰ることになってしまい 少し濡れたが 今日もあのザックカバーが活躍してくれた
お母ちゃ~~ん そっちはもうすっかり忘れているだろうけれど 私はまだ覚えているからね~~
(※ 親を亡くしてから 私は両親の生前中には一度も口にしたことのない お父ちゃんやお母ちゃんという言葉を 時々使いたくなるようになった
最大限の私の甘えの言葉であり 今でも私が心から甘えることのできる人は 二人をおいて他にはない)
出かけ間際に す~さんから電話がかかってきた
姐さん 新居の具合はどう?
それがね 一か月先になっちゃったの
またカレンダーと手帳あるからさ うちは今日の午前中で仕事は終わりなんだけど 午後は例の納会があるから 姐さんはいつが暇?
う~ん 基本的にはいつでも
じゃ また連絡するわ 新築祝いには行くからさ と彼は言って電話を切った
クライアントの会社は大会社で 業者のカレンダーや手帳を毎年 山のように捨てている
す~さんはそこから センスの良い 使えそうなものを頂いてくるのだ
社長はハズレだったが 小さな会社の割には良い仲間に出会えたと思う
それにしても 誰もが嫌がる2時間以上の納会を 今年もまたやるのか(笑)
社長の気持ちもわからないではないが 正直 気の合う仲間と飲むか 一刻も早く帰りたいと社員は思っていることに まだ気が付いてはいないようだ
ん?新築祝いに来る?
独身時代 彼はこの地に住んでいたこともあって いつか遊びに行きたいとは以前から言っていたのだが・・・
う~~ん 基本的に人の訪問を考えていない家だからなぁ
まあ 遊びに来てくれるのであればご馳走はするけれど でも何も無い家だし
打ち合わせは 引き渡しまでの工程の確認で終わった
今日は電気屋さんが工事に入っていた
予定では今日から始まるはずだった外壁の左官工事が 雨のために明日からになってしまった
帰る頃には土砂降りで 車で見回りに来た例の老人が 車で送りますよと言ってくださったが 遠慮させていただいた
まだ10代の頃 母から他人の車には乗らないようにと言われた
友達の車に乗っていて 万が一事故を起こしたりした時のことを心配したのだろう
絶対にだめだというほどの強い約束では無かったが 私は極力乗らないことを選び それがいつしか身についてしまった
この年になるまでに他人の車に乗ったのは 片手以上両手未満(タクシーは別だが)
老若男女に限らず 友人知人が乗った車の死亡事故を知ると 互いの家族の複雑な気持ちをついつい想像してしまう
全てがそのような調子で 一歩も二歩も先を心配し 用心する母には 時にうんざりすることもあったものの 私も全てを守っていたわけではないが 信頼を裏切らないことと 何があっても親より先には逝かないようにすることには それなりに気を遣ってきた
両親を無事に送り 寂しいのは言うまでも無いことだが それでももう心配をかける人は居なくなったという現実が 私の心を少し軽くしたのも確かなことだった
過保護とは少し違ってはいたが 両親の死後に一人旅をするようになったのには 休暇が増えたことに加えて こうした背景もあった
雨のせいで買い出しは出来ず 一番激しい時に折り畳みの傘で帰ることになってしまい 少し濡れたが 今日もあのザックカバーが活躍してくれた
お母ちゃ~~ん そっちはもうすっかり忘れているだろうけれど 私はまだ覚えているからね~~
(※ 親を亡くしてから 私は両親の生前中には一度も口にしたことのない お父ちゃんやお母ちゃんという言葉を 時々使いたくなるようになった
最大限の私の甘えの言葉であり 今でも私が心から甘えることのできる人は 二人をおいて他にはない)