どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

千葉刑務所の矯正展

2015年11月15日 | 日記
今日は 春さんと千葉にある幾つかの建物を見に行く日である

天気は 午前中は雨で 午後からは晴れるという

今日に決めた一番の理由は 千葉刑務所で年に一度の矯正展が行われるからであり 唯一門をくぐれる日だから

設計は山下啓次郎 忠太とは同期生である

五大監獄の設計者として有名だけれど もしかするとジャズピアニストの山下洋輔の祖父としての方が知られているかもしれない


金沢監獄は解体されているが その一部が「明治村」に移築されている

今は刑務所と呼ぶけれど あれを見たらやっぱり監獄の名が似合う

独房の生活を示すための人形(囚人)が それはそれは微妙に怖い

他は 長崎・鹿児島・奈良であるが 今も使われているのはこの千葉と奈良だけである

奈良は現在少年刑務所となっていて 会社の仲間だった奈良育ちの塚ちゃんは 先生が 悪さするとあそこに行くことになるぞ とか 何かにつけてよく言われたそうだ


矯正展とは 受刑者たちが社会復帰に向けて 日々の労働(あるいは作業)をする中で出来た製品を 展示販売する催しものである

刑務所以外の場所でも年に数回だろうか 販売されるのを知っている

私は 建物見たさで来たのだけれど そこはまさに文化祭 ちょっとしたお祭りで 外には各種の露店もありで・・・


人が多かったので 避けたらこんなアングルしか撮れなかった門


煉瓦の建物だが 内部は勿論改装されている


刑務所に入っている人は 今日のことはわかっているのだろうか

私たちの姿が見えたり 声が聞こえたりするのだろうか

入口の横には面会はこちら といった看板があるけれど 今日は皆さん避けるのだろうか

そうそう 臭い飯というのは昔の独房のトイレが水洗ではなかったからで だから 今はもうメシも臭くない とのこと


ここでの作業経験が 娑婆に出てそのまますぐに自立に結びつくほど甘くは無いだろうと思う

むしろ 作業や仕事を通して 生きる事の真剣さや喜び 時にしんどい事にも正しく向き合うことを学ぶほうが大きいのかもしれない

刑務所の事を知ってもらう展示もあったが 多くの人は受刑者が作った色々な製品を買うことが楽しみのようだ

春さんも 革の鞄を買っていた


東ニューヨークのバート刑務所では 2001年から希望者には大学教育を与えている

ディベート大会では数々の強豪チームを破り そして今年 あのハーバードと対戦し見事勝利したという話を 今日 ラジオで聞いた

これまでに300人が学位を取得し 再犯率はなんと2%だという

明るく勇気の湧く話であり 学習する事や教育が持つ力を正しく導けばこんなにも素晴らしい結果が待っているのだ

この話は 映画化されそうである 


この徘徊の続きは また明日
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今日は やっぱりこれまでしか

2015年11月14日 | 日記
買い出しを終えてから ほぼ一日 旅日記にかかりっぱなし

たった三日の旅でも けっこう思いはあるもの

明日は 友人と千葉の見学

建物フェチって けっこういるもんだ

今日はこれまで

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旅から戻った翌日は・・・

2015年11月13日 | 日記
いつもと同じに起床し いつもと同じように洗濯をして 日記を書き ビールを飲み(友達には 暗くなってから飲めと言われたが^^) そして寝た

それだけで十分やった一日

そんな日だってある
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11月12日(木) その3

2015年11月12日 | 日記
友人との約束は 淀屋橋の中之島が見えるベローチェで12時

天王寺まで路面電車で戻り 地下鉄に乗る

すっかりお腹が空いていた私はそこでサンドウィッチを食べながら待つ

友人と店を出てから 三井住友銀行大阪本店を見に行く

外観は もう何度も何度も見ているが 中に入ったことは一度もなかった

先日のイケフェスで銀行内のほんの一部を見学した友人が やはり中に入って見ると圧巻だというので 入って見ることにした

やはり すごかった

あの何が起きても動じないといわんばかりの建物 高層ビルが立ち並ぶ中であれほどの存在感を保てるのは 建物の大きさによるところも大きい

さすが 大阪は住友である


ゆるゆる歩いて「中央電気倶楽部」に行く

名前だけは知っていたが 少し外れた場所に位置することもあってこれはまだ未見だったのだが まずまずの建物で 中はちょうどランチを楽しむ人などでにぎわっていた








よくあちこちで見かけるのだが この壷のようなものは飾り?

時間はまだ幾らかあるので ビアホール「ニュー・ミュンヘン」で友と飲む(片手では持てないあの大ジョッキで!)

旅の話などをして あっという間に時間は過ぎた


色々ありがとね 友達と大阪駅で分かれて私は新大阪へと向かう

新幹線の中では飲むこともなく 写真やパンフレットを見ているうちにあっという間に品川に到着

家には8時過ぎに到着

家は一昨日出たままの状態であり 失くし物もせず 事故も起こらず 事件に巻き込まれることもなく 楽しい旅を無事に終えることができて感謝

疲れと満足感で9時に寝た 

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11月12日(木) その2

2015年11月12日 | 日記
南海本線浜寺公園駅の駅舎は 1907年に辰野金吾設計で建てられた

鉄道高架の工事のためか すでに駅前は現場と仮していて 残念ながらちゃんとしたものは写真に収めることができなかった

この駅舎は 移築の方向になるようだから 生きている間に見ることができただけで良かったか




ここからはややこしい

まず南海で一駅先まで乗ったら JR阪和線に乗り換えて百舌鳥駅までいく

ここは仁徳陵ほか大小の古墳で有名な百舌鳥古墳群のある場所であるが 私が見るのはこれではない

この駅から百舌鳥八幡という南海高野線の駅に向かう途中に 面白い建物があるのだ

始めて存在を知った時 なんじゃこれ~~ と思った

これともう一つ 四国だったかやはり驚くものがあるのだが 私の中では双璧である

普通の住宅地を抜けていくのだからと その道順をしっかりと地図に書き込んでおいたものを頼りに歩き出す

そして あった~





是枝医院である(登録有形文化財)

四面同じ顔というのもユニーク

石造に見えるけれども 実は木造らしい


南海で今度は堺東まで電車に乗る

下車したら再び1,5キロほど歩き 再び朝乗った路面電車に乗り込み 重要文化財である「山口家住宅」を見に行く

江戸初期の町家で 庄屋を務めた家だという

堺が室町・戦国時代に大きく発展した町であること 堺商人の活躍や 千利休の誕生の地であることなどは歴史で学んだ知識こそあったが(日本史で受験して良かった!) 建物を見ようと思うまではほとんど私の中では薄い都市だった

こうして建物を見ることで 他に派生していくこともまた楽しみでもあるところ










入口右の小さな部屋の二階部分から下がっている
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