みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

さよならは仮のことば(谷川俊太郎)『京都精華大学人文学科様』/[あっと]3号~ケアの社会学

2006-04-18 07:43:30 | ジェンダー/上野千鶴子
畑から戻ると、上野さんから本が届いていた。


なんだろうと封を開けてみると『京都精華大学人文学科様』
というタイトルのユニークな白い冊子。
今年1月14日の「精華大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」の講演が
収録されているので、わざわざ送ってくださったのだろう。
(上野さん、ありがとう)

L祭~さよなら人文学科~人文学科記念冊子
『京都精華大学人文学科様』(京都精華大学人文学部)
 

「京都精華大学(人文学部)人文学科」が3月限りでなくなるので、
「L祭~さよなら人文学科」実行委員会が3回の記念講演会を企画し、
その講師のひとりが「上野千鶴子さん」というわけ。
上野さんは東大の前は、この人文学科の教員だった。
精華大にも上野さんにもすくなからぬ縁があるわたしは、
はるばる京都にこの講演を聞きにいったんだけど、
シャイなわたしは、上野さんのすぐ近くに座ってたのに、
ろくに話しもせずに帰ってきてしまったのだ(笑)。

「上野さんの講演に行きました」(1/15)

「精華大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」の
講演もよかったけど、活字になったものを
あらためて読むと、もっといい。
上野さんの講演だけでなく、この本全体が
精華大への愛にあふれてて、胸がいっぱいになった。


ところで、タイムリーに記事にしぞこなったのだけど、
上野千鶴子さんの「ケアの社会学」の連載をしている『クォータリー[あっと]3号』が3月末に発行された。今号は、第2章『家族介護は「自然」か?』。
「第1章では家族介護が何の法的根拠もないことを示した。それなら家族介護は慣習もしくは習俗なのだろうか? 守旧的な人々が懐顧的に語る「家族介護」は、日本的な家族制度のもとでの保守すべき「伝統」なのだろうか?そもそも家族介護とは何か? 本章ではそれを検証し、家族介護の新しい動向を論じ、家族介護をとりまく現実をあきらかにし、家族介護のミクロとマクロの配置を考察する」(P131)からはじまり、20ページにわたって詳細に論じ「7 家族介護はほんとうによいか?」で次号へつづく。はやく次が読みたくなる上野さんの連載。
特集は「コーヒーの世界システムと対抗運動」。こちらも読み応えのある骨太の特集。おすすめの本です。

で、話は記念冊子にもどるけど、

『京都精華大学人文学科人文学科様』には、
1月27日の記念講演「谷川俊太郎朗読会」の収録されている。
だいすきな谷川さんの詩をライブで聞ける企画って、すてき。

本の結びは、なんと実行委員会の学生さんたちに
「人文学科へむけた、別れの詩を書いていただけませんか?」
と請われて書いた谷川俊太郎さんの詩。

なみだがどっとあふれてしまった。

さよならは仮のことば(P42)


             さよならは仮のことば
             谷川俊太郎

     夕焼けと別れて
     ぼくは夜に出会う
     でも茜色の雲はどこへも行かない
     闇にかくれているだけだ

     星たちにぼくは今晩はとは言わない
     彼らはいつも昼の光りにひそんでいるから
     赤んぼうだったぼくは
     ぼくの年輪の中心にいまもいる

     誰もいなくならないとぼくは思う
     死んだ祖父はぼくの肩に生えたつばさ
     時間を超えたどこかへぼくを連れて行く
     枯れた花々が残した種子といっしょに

     さよならは仮のことば
     思い出よりも記憶よりも深く
     ぼくらをむすんでいるものがある
     それを探さなくてもいい信じさえすれば




  

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最後まで、読んでくださってありがとう。

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コメント (3)
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