昨日のブログに書いたように、
国会答弁で誠実さを欠いた安倍政権のひどさがきわだちます。
まるで、むかしのドイツのように憲法を骨抜きにして、
自分の思うような国を作りたい、という危なさを感じるのは、
わたしだけではないでしょう。
昨日、社説を紹介した中日新聞で、
2日から4日までの3日連載で、
「ドイツ寛容の力」という社説が掲載されました。
ここ数日、安倍政権と対比させて、ドイツの「寛容」を読んでいました。
「ホロコースト(ユダヤ人大量殺害)に対して責任がある、
歴史を忘れてはいけない、という(ドイツ人の)気持ちを
いつも感じてきた。学校で学んだことだ」。
日本の安倍政権の致命的な欠陥は、この気持ちではないでしょうか。
クリック してね
最後まで読んでくださってありがとう
人気ブログランキング クリック してね
記事は毎日アップしています。
明日もまた見に来てね
国会答弁で誠実さを欠いた安倍政権のひどさがきわだちます。
まるで、むかしのドイツのように憲法を骨抜きにして、
自分の思うような国を作りたい、という危なさを感じるのは、
わたしだけではないでしょう。
昨日、社説を紹介した中日新聞で、
2日から4日までの3日連載で、
「ドイツ寛容の力」という社説が掲載されました。
ここ数日、安倍政権と対比させて、ドイツの「寛容」を読んでいました。
「ホロコースト(ユダヤ人大量殺害)に対して責任がある、
歴史を忘れてはいけない、という(ドイツ人の)気持ちを
いつも感じてきた。学校で学んだことだ」。
日本の安倍政権の致命的な欠陥は、この気持ちではないでしょうか。
社説:ドイツ寛容の力<上> メルケル流 自信の裏 2016年2月2日 中日新聞 最初から誰にでも、寛容だったわけではなかった。 難民問題が今ほど大きくなる前の昨年七月、国外退去への不安を涙ながらに訴えたパレスチナ人少女(ドイツ滞在四年)に対し、メルケル首相はこう言った。「政治はつらいもの。パレスチナ難民全員をドイツが引き受けることはできない」 しかし、少女の流ちょうなドイツ語は、社会に溶け込んでいることをうかがわせた。 「冷酷」との批判が広がる。少女一家の送還は見送られた。 首相は後日、少女がけがの治療のために、独赤十字によってレバノンの難民キャンプから連れてこられたことを知り「ドイツは本当に人道主義的な国だ」と述べた。寛容な政策に国民の支持が得られる自信が強まった。 難民を乗せた船が次々に転覆、保冷車に詰め込まれた難民の遺体も見つかった。 メルケル首相は難民受け入れに上限を設けない考えを表明した。 法的根拠に、基本法(憲法)で難民の保護請求権を認めていることを挙げた。ナチスのユダヤ人迫害が多くの難民を生んだことへの反省から設けられた条項だ。 「エネルギー革命を最短期間でやり遂げた脱原発への取り組みを思い起こしたい。東西ドイツの統一も、いい例として挙げていいかもしれない」。過去への自信が今回の決断を後押しした、とも強調した。 技術力の高い日本でも原発事故を防げなかったことに衝撃を受けて公約を転換した時のような、思い切りのいい方針表明だった。 独走には批判も集まる。独週刊誌シュピーゲルは「独りぼっち」とのタイトルで、メルケル首相の顔が溶けゆくデフォルメ写真を掲載した。首相を支持する論調の同誌も不安のようだ。 メルケル首相は、難民受け入れを「息の長い巨大な国家課題」と位置付ける。試練は織り込み済み、ということか。 ドイツの挑戦を追い、多文化社会づくりの課題を探る。 (熊倉逸男) |
クリック してね
社説:ドイツ寛容の力<中> 容易でない多文化主義 2016年2月3日 中日新聞 「無責任で現実味がなく頑固なメルケル流の難民政策が、善意の市民を極右へと駆り立てるだろう」(ドイツ中部、男性) 「アラーの兄弟たちは何も変わっていない」(西部、女性) 大みそか、ケルンで、女性たちが難民申請者を含む外国人らにあちこちで取り囲まれ暴行や窃盗の被害に遭った事件後、週刊誌シュピーゲルに、読者から寄せられた怒りの手紙だ。 現場の大聖堂前では抗議デモがあった。 メルケル与党内からも、難民受け入れに上限を設けるべきだとの声が相次いだ。 ドイツの人々の怒りは当然だ。犯人を罰し、また送還するのも適切な措置だろう。しかし、ほかの多くの難民まで排斥するのは、ドイツが掲げてきた人道に反する。 ドイツの女性論客たちは、難民側の問題をいくつか指摘する。 人権活動家は「女性の人権がない北アフリカや中東からの人々が移住してくるようになった」と事件の背景を探る。 イスラム研究者は「家父長的な考え方が問題だ。イスラム特有ではないが、イスラム諸国に広がっている」と言う。 ドイツ政府はドイツ語の習得を重視してきた。コミュニケーションなくして社会の統合はあり得ない。しかし、それではもちろん十分でもなく、女性観をはじめとする社会のルールやマナーを身に付けさせる必要性も出てきた。多文化主義とは、容易ならざる現実主義ともいえる。 社会のルールとは、何が犯罪かを線引きする法律ではない。ごみの分別、夜間や休日の静寂順守、ベランダには洗濯物を干さない-など、ドイツにはドイツの暮らしがある。多文化統合はただの理念ではなく、寛容とは互いに歩み寄る忍耐である。 もとより、押し寄せる百万人単位の難民申請者に、ドイツ一国では対応できない。欧州連合(EU)の試練でもある。厳しい逆風の吹く中、どんな結束と知恵を示せるのか。悩める世界の課題でもある。 (熊倉逸男) |
社説:ドイツ寛容の力<下> 新ドイツ人 生まれる 2016年2月4日 中日新聞 バルト海に面した旧東ドイツの港町ロストク。中世の商業都市が独立を守るために結束したハンザ同盟時代からのレンガ造りの建物とは、対照的な騒乱があった。 若者が続々と火炎瓶を投げ付ける先にあるのは、ベトナム人移民の住宅街。取り囲む群衆からは歓声が上がる…。 ドイツ統一の二年後、一九九二年に実際に起きた、外国人襲撃を再現した映画「ロストクの長い夜」のハイライトシーンだ。 監督したブルハン・クルバニさん(35)はアフガニスタン難民の子。政治活動に熱心なおじと祖父が逮捕され、両親は七九年、西ドイツに亡命した。 西ドイツで生まれ育ったが、外国人差別を感じ続けた。しかし、映画を製作した原動力は悔しさではなく「記憶を義務付けるドイツの文化」だと思っている。 「ホロコースト(ユダヤ人大量殺害)に対して責任がある、歴史を忘れてはいけない、という(ドイツ人の)気持ちを、いつも感じてきた。学校で学んだことだ」。両親の出自には関係なく、戦後ドイツの精神をしっかりと受け継いでいる。 「ドイツに定着した外国人の子や孫の世代は文化を担っている。医師、弁護士、政治家になっている人もいる。移民社会になったという社会合意がある」という。 西ドイツが高度経済成長期に受け入れたトルコの労働者は家族を呼び寄せて定住。ドイツ人の嫌がる単純労働を担い、仲間内で固まって住んだ。メルケル首相は「多文化社会は失敗した」と嘆いた。 しかし、ドイツは学んだ。二〇〇五年施行の移民法で移住や独国籍を望む外国人にドイツ語習得を義務付け、技術者就労を促した。 戦後、移民、難民として入国し定住した人は家族を合わせ、全人口の五分の一、千六百万人に上る、との試算もある。「金髪、青い目」のドイツ人とともに、さまざまな皮膚の色、目の色をした人々が共生している。人類の未来の一部でもあるだろう。 (熊倉逸男) |
最後まで読んでくださってありがとう
人気ブログランキング クリック してね
記事は毎日アップしています。
明日もまた見に来てね