家の前の庭に、吾亦紅(ワレモコウ)が咲きはじめました。
「われもこうありたい」という思いを込めて名付けられたといわれ、
「吾木香」「我毛紅」「我吾紅」などとも書くようです。

季節は秋にうつりかわり、夜には秋の虫の声も聞こえてきます。
サルスベリ「夏祭り」。
長く咲き続けるので「百日紅」と書きます。

日本蜜蜂が、蜜と花粉を集めにやってきました。

百日紅は、花の少ない夏の貴重な蜜源植物。
花も好きなので、あちこちに植えてあります。
ネリネ(ダイヤモンドリリー)。
「ヒガンバナ科ネリネ属」、彼岸花の仲間でリコリスと近縁です。

ピンクがたくさん咲いていて、白花も遅れて咲きました。
庭の百合も入れ替わり、もうすぐ高砂百合が咲きます。

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ところで、
中日新聞の社説で、きのうから
全部で何回のシリーズかわかりませんが、
続けて昨日今日、(1)と(2)が掲載されました。
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「われもこうありたい」という思いを込めて名付けられたといわれ、
「吾木香」「我毛紅」「我吾紅」などとも書くようです。

季節は秋にうつりかわり、夜には秋の虫の声も聞こえてきます。
サルスベリ「夏祭り」。
長く咲き続けるので「百日紅」と書きます。

日本蜜蜂が、蜜と花粉を集めにやってきました。


百日紅は、花の少ない夏の貴重な蜜源植物。
花も好きなので、あちこちに植えてあります。
ネリネ(ダイヤモンドリリー)。
「ヒガンバナ科ネリネ属」、彼岸花の仲間でリコリスと近縁です。


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社説:政治と世論を考える(1)変革を迫る大きな力に 2017年8月21日 中日新聞 内閣改造後の三日夕、記者会見した安倍晋三首相は冒頭、謝罪の言葉から切り出した。 「さまざまな問題が指摘され、国民の皆さまから大きな不信を招く結果となった。改めて深く反省し、国民の皆さまにおわび申し上げたいと思う」 その約一カ月前、東京都議選の応援演説では「安倍辞めろ」と叫ぶ聴衆に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と声を張り上げた首相。目を閉じて頭を下げる姿からは「安倍一強」を謳歌(おうか)していたころの高慢な態度は消えていた。 国政選挙で惨敗したわけでもないのに、なぜ謝罪に追い込まれたのか。それは報道各社の世論調査で内閣支持率が急落したからにほかならない。 例えば、共同通信社が毎月実施する全国電話世論調査。五月に55・4%あった内閣支持率は、六月に44・9%に急落し、七月には35・8%に続落した。二〇一二年の第二次安倍内閣発足後、最低だ。 背景には、首相自身が会見で指摘したとおり、森友学園への国有地売却、加計学園による獣医学部新設、防衛省・自衛隊の日報隠しに対する国民の反発がある。 世論(輿論(よろん)とも)とは「世間一般の人が唱える論。社会大衆に共通な意見」(岩波書店「広辞苑」第六版)を指す。その全体の動向を統計学に基づいて科学的な手法で調べるのが世論調査だ。 政権の座にある者はしばしば、世論調査結果について「一喜一憂すべきでない」と平静を装うが、内心では気になって仕方がないのが実態だろう。なぜなら内閣支持率は、政権基盤の一部を成す重要な構成要素だからである。 支持率が高ければ、その政権の政策実行力は強まるし、逆に低ければ反対を押し切ってまで政策を推進することはできない。何より支持率が低ければ次の選挙が戦えないとの空気が蔓延(まんえん)し、首相・党首交代論すら出かねない。 個別政策も同様だ。世論調査で反対の強い政策を進めるには、よほどの理由が必要となる。世論軽視との批判も覚悟しなければならない。 有権者の側からすれば、世論の動向は権力者に変革を迫る大きな力となる。政権を代えるのも、政策の方向性を決めるのも、突き詰めれば世論である。 ◇ 私たちの世論は政治にどんな影響を与えているのか。政治と世論について考えます。 |
社説:政治と世論を考える(2)五・一五事件と民衆心理 2017年8月22日 中日新聞 五・一五事件。一九三二(昭和七)年五月十五日に官邸にいた犬養毅首相を海軍将校らが暗殺したテロ事件に対し当然、当時の新聞も厳しい論調で向かった。 「日本新聞通史」(春原昭彦著)は「かなり大胆にファッショを排撃した。とくにその論旨がきびしかったのは、東西の朝日、新愛知(現中日)、福岡日日(現西日本)」と記している。 新愛知(中日新聞)の社説は、第二、第三のテロの出現を予測している。そして、「武器を所有するものが、赤手空拳にして何らの防備をも有せざるものに対する場合、それは武力を有するものが勝つに決まっている」と記す。 だが、それは「物質的な勝利」にすぎないのであって、「人間の意思が暴力でどうすることもできない」と書き進む。そして-。 「いわんや立憲政治がピストルの弾の十や二十のため、そのたびにぐらぐらしてたまるものではないということは、常識のあるものはだれだって知っている」 大正デモクラシーの息を吸った立憲政治はそれほど強固だと考えられていたのだろう。だが、この事件後、政党内閣の慣例はもろくも打ち破られてしまう。 もう一つの異変は世論の動向である。国民は何とテロの実行犯に同情的に変化するのである。三三年になると、軍法会議が始まり、新聞に裁判記事が載った。 「東北地方の飢饉(ききん)を聞いて、国軍存立の為にも一時も早く現状打開の必要を感じ…」など被告の心情が報じられると、国民は将校らに清新さを覚え、減刑嘆願書を出すことが大衆運動となった。 嘆願書の数、実に百万を超えたという。将校らの行動は「義挙」だと国民は感じたのだ。その変化はやはり新聞報道に起因するところが大きかったようである。 判決はこの国民感情に応えたように軽いものとなる。首相暗殺でも刑はたった禁錮十五年。しかも三八年には仮釈放である。 立憲政治はピストルの弾でぐらつかなかったのかもしれない。でも、そこに熱せられた世論が入ると、予期せぬ化学反応を始める。暗殺を義挙だと変換する世論に支えられていれば、暴力は大手を振って闊歩(かっぽ)し始めるのだ。 今年七月に亡くなった犬養毅の孫道子は当時小学生。母親は米を買いに行っても売ってくれなかったそうである。遺族をも白眼視する、倒錯した群集心理はいつの世も抱え込んでいるのではないか。 |
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