みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

東電社員殺害事件とDNA鑑定の「光と影」/「ちづこのブログ」@WAN上野千鶴子web研究室

2011-08-21 18:57:22 | ほん/新聞/ニュース
毎日見てるのにになかなか更新されなかった、
WAN上野千鶴子web研究室の「ちづこのブログ」に立て続けに
新着記事がアップされました。

うえのさんのブログを楽しみにしている人が多いので、
ツイッターでもリツイートしたのですが、ブログでも紹介します。

ぜひ「ちづこのブログ」にとんで行って、お読みになってください。

ジェンダー研究のパイオニアにきく「ビッチ論」! @ローリングストーン日本版 
2011年 8月 16日(2011年08月19日 「ちづこのブログ」WAN上野千鶴子web研究室)


ジェンダー研究のパイオニアにきく「ビッチ論」!
上野千鶴子 インタヴュー
 
 

本のフェミニズムを牽引してきた女性学者、フェミニスト上野千鶴子。
いま時代を動かしているのは、いい意味でビッチな女なのでは?そんな思いをぶつけてみた。ロックなビッチ論がここに!

——今、時代を動かすのは強い個性で世間を圧倒する“ビッチな女”だという印象があります。先生のビッチ論をおきかせください。

「日本で初めてビッチを名乗ったのは1970年のウーマンリブの女性たち。リブのパイオニアである田中美津さんたちが〝魔女コンサート〟をやったの。当時、アメリカのウーマンリブの女たちはビッチって呼ばれていて、それなら逆に自分から名乗ってやろうじゃないのってことになった。その影響から、日本ではビッチを魔女と訳して、自ら社会のノイズとなってやろうと名乗ったわけ。もうひとりが駒尺喜美さん。彼女は『魔女的文学論』という本を書いてます。当時のウーマンリブのキーワードは〝魔女=ビッチ〟だったのよ」・・・・
・・・・・・・(以下略)・・・・・・・・・・・ 


 WANが生んだ200万円! ちづこのブログNo13 

どこのドイツからうれしいお便りが。友人のきつねまりこさんからです。本名がMariko Fuchs、ドイツ語できつねさんだから。デュッセルドルフでNPOのHumanetを主宰していらっしゃいます。以下、ご本人のお許しを得て転載を。このブログがデュッセルドルフと仙台をつなぎました!・・・・
・・・・・・・・・・・・(続きは「ちづこのブログ」でご覧ください)・・・・・・・・・・・・・
2011年08月20日   


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今朝の毎日新聞の「反射鏡」にとても興味深い記事が載りましたので紹介します。

DNA鑑定の「光と影」、最後の部分の引用の、
「全く無関係な者を犯人に仕立て上げることなど、いとも簡単にできるようになってしまいました。提出を受けた検体をほんの少し、被害者の持ち物に付着しさえすれば、それだけで鉄壁の証拠が作り出されてしまいます。(略)完全犯罪ならぬ完全冤罪がインスタントで作り出せるということです」 ミステリー小説のようだが、背筋が凍る仮説である。
という言葉に、わたしも背筋が凍る思いがしました。

  反射鏡:東電社員殺害事件とDNA鑑定の「光と影」=論説委員・伊藤正志 

 またもDNA鑑定が人生を大きく変えようとしている。
 97年に起きた東京電力女性社員殺害事件のことだ。被害女性(当時39歳)の体内から採取された精液のDNA型が、無期懲役が確定したネパール人、ゴビンダ・プラサド・マイナリ受刑者とは別人のものと判明した。
 さらに、遺体近くなどにあった体毛のDNA型も、この別人と一致した。
 被害女性は日常的に複数の男性と性関係を持っていたとされる。ポイントは、精液だけでなく体毛が現場に残されていた点だろう。殺害される前に現場で性交した可能性を示すからだ。
 現場の部屋の鍵を持っていたマイナリ受刑者は、被害者と性関係を持った後に殺害し現金を奪ったとして有罪になった。だが、新事実によって「被害者が他の第三者と現場にいたとは考えがたい」とした確定判決の認定は、大きく揺らいだ。
 マイナリ受刑者は再審請求中だ。「新証拠によって事実認定に合理的な疑いを生じさせれば足りる」というのが、再審開始の基準だ。もちろん、最終的な有罪・無罪は証拠の総合評価で決まるが、まずは再審の一歩を踏み出すべきだろう。
 仮に再審が開始され無罪になれば、DNA鑑定はマイナリ受刑者を救う「決め手」となったと評価できよう。
 だが、マイナリ受刑者を塀の中に突き落としたのもまたDNA鑑定だった。殺害現場の部屋のトイレで見つかったコンドーム内の精液のDNA型などが、マイナリ受刑者と一致したことが有罪の根拠となったからだ。
 冒頭で「またも」と書いたのは、足利事件の菅家利和さんを思い出したからである。
 90年に栃木県足利市で4歳女児が殺害された事件で、菅家さんは冤罪(えんざい)に追い込まれた。誘導による「自白」もあったが、女児の下着から検出されたDNA型が、菅家さんと一致したとされたことも大きな理由だった。
 だが、当時の鑑定技術ではその型の出現頻度は1000人に1・2人で、足利市内の成人男性だけで100人が該当した。
 結局、DNA鑑定技術の進歩を踏まえた再鑑定の結果、菅家さんの冤罪は証明された。菅家さんを絶望のふちに立たせたDNA鑑定は、雪冤の「決め手」にもなったのだ。
 米国でも近年、DNA鑑定の進歩により刑事事件で潔白が証明される人が相次いでいる。成城大の指宿信教授は、「無実を探せ!イノセンス・プロジェクト」(現代人文社刊)の中で、09年6月末時点で240人という数字を挙げている。うち17人が死刑囚というのも驚きだ。
 警察庁によると、最新の検査法によるDNA鑑定では、約4兆7000億人に1人の確率で個人識別が可能だという。まさに犯罪捜査の切り札、時に冤罪を晴らす手段として最新のDNA鑑定は「光」を放つ。
 だが、目をこらせば、その裏に暗い「影」がある。それは最先端の科学を扱う側の問題だ。
 東電女性社員殺害事件に話を戻す。警察はトイレのコンドームのDNA鑑定をする一方で、なぜ被害者体内に残った精液のDNA鑑定を当初しなかったのか。「微量で当時の技術ではできなかった」と説明される。だが、鑑定しようとしたのかさえ判然とせず、恣意(しい)的な判断があったのではとの疑問が残る。
 また、被害者のショルダーバッグの取っ手からマイナリ受刑者と同じ血液型B型の付着物が検出され、検察は有罪の根拠の一つとしている。ならばDNA鑑定で白黒をつけるべきだが、過去の鑑定で付着物を使い切ったためできないという。
 事実ならば、ご都合主義的な鑑定の運用に危うさを感じる。
 裁判官出身の森炎弁護士が「なぜ日本人は世界の中で死刑を是とするのか」(幻冬舎新書)で、さらに端的に指摘する。
 森弁護士は、DNA鑑定の画期的な発展を前提に、捜査機関による証拠の捏造(ねつぞう)も新たな局面に入ったとして、こう書く。
 「全く無関係な者を犯人に仕立て上げることなど、いとも簡単にできるようになってしまいました。提出を受けた検体をほんの少し、被害者の持ち物に付着しさえすれば、それだけで鉄壁の証拠が作り出されてしまいます。(略)完全犯罪ならぬ完全冤罪がインスタントで作り出せるということです」
 ミステリー小説のようだが、背筋が凍る仮説である。
 現在、DNA鑑定は指針策定を含め警察に運用が任されている。試料の管理に警察以外の第三者を介在させ、方法についても明確なルール作りが必要だ。
毎日新聞 2011年8月21日 


ちょっと私事でバタバタしているので、きょうブログはこれでおしまい。

毎日ブログをアップするには気合が必要なのですが、
エネルギーもブログネタも枯渇してきて、こまっている今日このごろです。

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中国料理「浜木綿(はまゆう)」花珠ランチコース/母、ハートセンターに入院

2011-08-20 19:18:36 | おいしいもの/食について
わたしが東京に行っている間に、
母が息苦しさと胸痛でホームからハートセンターに緊急入院。

不整脈と心不全もあったのですが、
原因は食べ物が気管支から肺に入ったことによる
誤嚥性(ごえんせい)肺炎とのこと。
 
ということで、帰って休む間もなく、
ハートセンターに一泊して母に付き添うことにしました。

ハートセンターのハートギャラリーでは、
「風景画 山本富士雄 作品展」と野村俊子作「籐細工展」を開催中。

   

  

籐細工は、若いころ籐の籠を二つほど作ったことがあるので、
細工の精密さに感嘆!

ハートギャラリーでは、いつもいろんな作家の作品展をしていて、
本人や家族の病気が心配で訪れた人の、心を和ませてくれます。

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翌日は三々五々やってきた姉たちと、一緒にランチ。
結構おいしいという評判の、ハートセンター近くにある
中国料理「浜木綿(はまゆう)」岐阜県庁前店へ行きました。

   

わたしが注文したのは、花珠(かじゅ)ランチコース

前菜
   
メーン「芝エビのチリソース」
   
十穀粥とスープと、デザートと飲み物付きで1,380円。
  

姉たちは、浜木綿冷麺と、
花珠(かじゅ)ランチコースの牛肉とピーマンの炒め物
   

減塩してるわたしには、ちょっと味が濃いものもありましたが、
ヘルシーでお値打ちでおいしかったです。

また今度来て、違うコースも食べてみたいと思うお店でした。。


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この国と原発:第1部・翻弄される自治体(毎日新聞)/タカノフルーツバイキング

2011-08-19 18:23:16 | 地震・原発・災害
東京滞在の最後の日。
あこがれのタカノフルーツバイキングに行きました。

待ち時間を見ると30分くらい。
これなら何とか待てます。
椅子に座って待っていると、意外と回転がはやく20分ほどで入店。

   

とりあえずは、何があるか見て回り、
食べたいものに目星をつけます。

まずは3時から5時までの「黄金桃のクレープ」(一人限定一枚)に並びました。
  
やはり限定の白桃のミニパフェもうけとって、
フルートともに前菜替わりに。
   
野菜サラダもあるのですが、普段どこでも食べられるものはパス。

この時間の軽食は、ピラフとスパゲティとタンドリーチキン。
特にタンドリーチキンがおいしかったのですが、
まだまだ先が長いので、一つでがまん。
   
飲み物は、水出しの紅茶がめちゃおいしかったです。

すでに腹7分目だったのですが、
ディナータイムのメーンディッシュとピザが出てくるのを、
コーヒーをのみながら待ちます。
5時半になったら、焼き立てピザと白身魚のスパイシーソース焼きが登場。
  
特製オムレツやオムライスも、好みの注文に応じて、目の前で焼いてもらえます。
フルーツバーと思えないほど、食べ物も充実しています。

祝後のデザートは、よくばって一品ずつ、お皿にとりました。
   
お店で販売しているゼリーやケーキのミニ版です。
ブドウのゼリーと桃のシフォンケーキが絶品。

満腹を超えていたので、ぶどうのサブレはポケットに入れてお持ち帰り(笑)。
スイーツ&フルーツを堪能して、心残りはありません。

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ところで、今朝の毎日新聞の一面に、友人の敦賀市議・今大地晴美さんが登場。
今大地さんが載っていた「この国と原発:第1部・翻弄される自治体/1」は、今日から始まりました。

 この国と原発:第1部・翻弄される自治体/1(その1) 国策推進「しゃーない」

◇美浜町「万博支えた」誇り
◇敦賀市「脱」意見書に抗議

 地震大国・日本で、原発とどう向き合っていくのか。東京電力福島第1原発事故は、我々に難しい課題を突きつけた。今後の道を探る連載の第1部は「国策」に翻弄(ほんろう)されてきた自治体の現状を追う。
 「町長は私で5代目。歴代、国策に沿って原子力に協力しているんです。今後も進めたいし、国もそうしてほしいのです」。5月4日。福井県美浜町の関西電力美浜原発の応接室で、山口治太郎町長(68)は海江田万里経済産業相に詰め寄った。
 同町と敦賀市からなる敦賀半島には、美浜原発(3基)だけでなく、日本原子力発電敦賀原発(2基)、高速増殖原型炉「もんじゅ」、新型転換炉「ふげん」(廃炉作業中)の計7基が集中する。敦賀原発は70年3月の大阪万博開会式当日から、美浜も同8月から会場に送電。「万博が“原子の灯”で輝いた」ことは、町の誇りだ。同町は歳入の約2割を原発関連に依存するが、山口町長は「万博の時から国の発展を支えてきたんや」と自負する。
 作業員5人が死亡した04年の3号機配管破断事故など、トラブルも多かった美浜原発。福島の事故を受け毎日新聞が4月に実施したアンケートに、山口町長は「安全性が揺らいだ」と答えた。それでも原発を推進する背景には「町民に理解を得る苦労をしてきたのに、今さらはしごを外されては報われない」との思いがある。
 立地自治体では今、「国策」頼みが強まっているように見える。
 6月の敦賀市議会。国にエネルギー政策見直しを求める意見書を原子力発電所特別委員会が全会一致で可決後、取り下げた。将来的に再生エネルギーへの転換を求める内容も含み、地元紙が「脱原発」と報じ、状況が一変した。委員の一人は「脱原発と思って通したわけじゃない。『将来的に』と入れれば丸く収まると思ったのだが」と話す。だが自宅に市民から10件以上、「わしらの仕事なくすんか」と電話があったという。
 意見書を提案した今大地(こんだいじ)晴美市議(60)は4月の市議選で初めて「脱原発」を訴えた。演説で原発に触れると聴衆が減り、「敦賀で事故は起きない」と反論された。4選を果たしたが、票は前回より1割以上少ない1334票。「『しゃーない』が市民の口癖。お上のお墨付きがあると、街づくりが原発任せになった」と嘆く。

 7月4日に敦賀市が開いた安全対策の説明会。町内会組織のトップ、市区長連合会長の奥村務さん(74)は、原発推進を訴えた。奥村さんは「(原発は)ないに越したことはないし、好きな者はおらんよ」と明かす。福島の現状に「原発事故は怖い」と感じる。原発関連の仕事もしていない。それでも旧満州(現中国東北部)からの引き揚げ経験を基に言う。
 「原子力も戦争も国策。日本はエネルギーがないため戦争に追い込まれ、みな国のために戦争をした。代わりのエネルギーはあるのか。どこかが原発を引き受けるしかない」
==============
 次回は3面に掲載
毎日新聞 2011年8月19日 東京朝刊 



  この国と原発:第1部・翻弄される自治体/1(その2止) 落ちるカネ、依存体質に 

<1面からつづく>
運転開始から40年以上が経過した敦賀原発1号機。見学者が立ち寄る敦賀原子力館の対岸にある=福井県敦賀市で、小川昌宏撮影 ◇巨大施設乱立、土建業が肥大 偏った産業構造脱却は困難--福井・敦賀市
 「原発銀座」と呼ばれる福井県の若狭湾岸にある敦賀市内を歩くと、電源3法交付金や原発事業者からの寄付で建設された体育館やホール、商店街のアーケード、短大や温泉施設まで、人口約6万9000人の地方都市には不釣り合いと思える巨大施設が建ち並ぶ。
 北陸自動車道敦賀インターチェンジ近くの山腹にある市立温泉施設「リラ・ポート」。約9ヘクタールの広大な敷地に、豪華客船をイメージした総ガラス張りの建物と、約300台が駐車可能な立体駐車場を併設する。大浴場や露天風呂のほか、水中歩行で健康増進を図る「バーデプール」と設備も豪華だ。
 02年に完成し、総事業費は約35億円。うち約25億円は高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ火災事故(95年12月)後、文部科学省が創設した交付金だった。
 市や地元経済界は当初、「敦賀の観光客は夏場の海水浴ばかり。温泉は観光の起爆剤になる」と期待していた。
 しかし、総ガラス張りで細長い建物のため、光熱費や人件費がかさむ。山腹にあって交通の便が悪く、初年度から年間約1億円の赤字を計上した。現在も市財政からの補填(ほてん)を続ける。市民は「交付金や寄付に翻弄(ほんろう)されるいつものパターン」と冷ややかに見つめる。
 原発と共存してきた40年余りで、最も拡大したのは土建業だ。05年国勢調査によると、その雇用人口は約5000人。人口が敦賀とほぼ同じ同県鯖江市では約2700人で、敦賀の偏りは際立つ。
 偏った産業構造を改めようと、敦賀市は01年度から、約20ヘクタールの広大な土地に13区画の産業団地を造成し、工場誘致を進めている。費用計約82億円のうち約50億円は交付金だ。敦賀インターに直結する国道バイパス沿いにあり、京阪神からの交通アクセスも良いが、誘致は難航している。5区画の分譲先が決まらず、職員の全国行脚が続く。「事故が誘致に影響するかも。どうしたら良いか……」と浮かない表情だ。【日野行介、柳楽未来】

 ◇町長「薄いベニヤ板に乗せられていたようだ」 町民の5割、生活の糧--佐賀・玄海町
 「何ば言いよるんだ、この人は!」。7月6日、佐賀県玄海町の町長室に岸本英雄町長の怒声が響いた。矛先はテレビに映る菅直人首相。全原発の安全評価(ストレステスト)実施を表明したことを報じていた。
 町長は2日前、全国に先駆け玄海原発2、3号機再稼働への同意を九州電力に伝えたばかり。首相のひと言で海江田万里経済産業相の「安全宣言」は宙に浮き、町長は「ばかにされた」と同意を撤回。再稼働は見通せなくなった。
 県の北西端にある玄海町はかつて、貧しい寒村だった。県から原発計画の話を持ちかけられたのは1965年。農漁業以外に目立った産業はなく、町民約8000人の1割近くが関東や関西に出稼ぎに行った。町区長会の渡辺正一会長(57)は「どの企業も来てくれず、誘致したのが原発だった」と話す。
 誘致が決まると、原発マネーが流れ込んだ。町が受け取った電源3法交付金は総額265億円。町民会館に26億円、温泉施設に17億円、老人ホームに23億円と豪華な公共施設を並べても、お釣りが来た。「ようやく人並みの生活ができるようになった」。山崎隆男元町議(85)は振り返る。「豊か」になるに連れ、反原発の声もなりを潜めた。
 だが、原発マネーは依存構造を生んだ。歳入の6割以上を原発関連が占め、「町民の5割が原発を生活の糧にしている」(岸本町長)。半面、人口は減り続け、他産業は育たず農漁業の担い手も半減した。
 一方、原発の固定資産税は減価償却が進むにつれ年々減る。2号機稼働から10年過ぎた90年代初め、町財政は縮小傾向にあった。息を吹き返させたのは3号機(94年)、4号機(97年)の相次ぐ稼働。06年には3号機で国内初のプルサーマル発電に同意し、核燃料サイクル交付金30億円も入ることになった。
 財政が先細ると原発特需がカンフル剤のように効く図式。4号機稼働から14年がたち、岸本町長は「老朽化した1、2号機に代え、5号機が必要」と唱えるようになっていた。3月11日までは--。
 町の将来には今、菅首相の「脱原発」宣言が影を落とす。2、3号機は再稼働の見通しが立たず、1、4号機も年内に定期検査に入る。今年度1億5000万円を見込んだ核燃料税は途切れ、作業員が消えた旅館や飲食店は閑古鳥が鳴く。町民からは「原発がなくなれば真っ先に隣の唐津市に吸収される」との声も漏れる。
 「薄っぺらいベニヤ板に乗せられていたようなものだ」。国策頼みの町が国策によって行き詰まり、町長の苦悩は深まる。財政的な自立の道も模索し始めたが、「原発依存をどう是正していくか思い当たらない。廃炉までの期間、貢献度などに応じた交付金で埋めてほしい」と本音を漏らした。
 <心夢見るアトムの町>。町の入り口の県道沿いに看板が立つ。通り過ぎる車はめっきり減った。町財政を分析した伊藤久雄・東京自治研究センター研究員は指摘する。「依存体質を変えないと町は倒れる。だが、その体質は国と電力会社が押しつけて生まれたもので、貧しい町が狙われた」【蒔田備憲、阿部周一】
毎日新聞 2011年8月19日 東京朝刊 


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この夏に会いたい:原子力資料情報室代表・高木仁三郎さん/内部被ばくだけの数値明示を=小島正美

2011-08-18 09:52:47 | 地震・原発・災害
東京は今日で最後。
夕方には岐阜にもどります。

数日前の天気予報では、今日は雨だったのですが、
晴れて、暑い日になりそうです。

家に帰ったら、たまったメールと新聞を読まなくちゃ。
留守中に鉢ものに水をやってくれてたかも気がかりです。

新聞で真っ先に読みたいのが、昨日の毎日新聞夕刊の
特集ワイド「この夏に会いたい」。
最終回は、2000年二亡くなった、原子力資料情報室代表・高木仁三郎さん。

「記者の目」もよい記事が続いているようです。

  記者の目:内部被ばくだけの数値明示を=小島正美

◇食品安全委「放射線生涯100ミリシーベルト」 食品を通じた放射性物質の健康影響を評価していた食品安全委員会(小泉直子委員長)が7月26日、「生涯の累積でおおよそ100ミリシーベルト(自然放射線や医療被ばくは除く)以上で健康影響がある」との評価案をまとめた。「生涯100ミリシーベルト」は食品を通じた内部被ばくだけでなく、外部被ばくも合算した数値で、内部被ばくの割合は示されていない。たとえ推計でも内部被ばくの限度を数値で示し、実際の食生活に即した健康影響評価をしなければ、食品の安全性への信頼が損なわれてしまうだろう。
 食品は、放射性物質が体内に入って放射線を出し、健康を害する「内部被ばく」が問題になる。
 食品安全委は厚生労働相の諮問を受け、4月下旬から9回の議論を重ね、国内外の約3300点の文献を検討した。しかし「内部被ばくのデータが極めて少なかった」ため、主に広島・長崎の原爆被爆者の発がんデータを基に、生涯の累積値で目安を示した。

 ◇数百ミリでも影響ないとの指摘も
 まず疑問なのは、なぜ生涯の累積値なのか、だ。同じ100ミリシーベルトの被ばくでも、一度に受けた場合と、1年に1ミリシーベルトずつ100年かかって受けた場合とでは、人体への影響は全く異なる。アルコールを一気に飲む場合と、少しずつ飲む場合を比べても分かるように、一度の被ばくの方がリスクが大きい。低線量を長く受ける場合は、途中で傷ついた細胞が修復されるためだ。
 放射線の影響に詳しい中村仁信・大阪大名誉教授は「細胞の修復能力を考えると、生涯累計なら数百ミリシーベルト程度でも影響がないと見てよいはずだ」と述べる。この点は、食品安全委の作業部会でも指摘されていた。「広島・長崎の影響は、瞬間的な外部被ばくの影響が9割以上を占める。生涯の累積量に当てはめるのは科学的におかしい」「累積量ならインドの高線量地域に住む人で約500ミリシーベルトでがんの増加はなかったとのデータの方が信頼できる」との意見だ。
 しかし、作業部会座長の山添康・東北大教授は「被爆者は瞬間的に被ばくした後も、そこに住み、空気を吸ったり食べ物を取り続け、内部被ばくも受けた。より安全側に立って判断したい」と述べた。より安全に、と考えるのはいいが、生涯100ミリシーベルトを人生80年として計算すると、1年間の上限は1・25ミリシーベルトになる。福島県の一部では、外部被ばくだけで年間10ミリシーベルトを超えることが予想され、何も食べられなくなりかねない。
 どの地域でも現実に外部被ばくの方が大きく、内部被ばくは数%とされる。仮に内部被ばくの割合を2割と多めに見ても、内部・外部被ばく計年1.25ミリシーベルトのうち、食品に割り当てられる許容線量は年0.25ミリシーベルトしかない。放射性セシウムだけで考えても、現行の暫定規制値は年5ミリシーベルトが上限なので、20分の1まで下げねばならなくなる。牛肉なら、現在の1キロ当たり500ベクレルが25ベクレルになる計算だ。
 評価案は「小児は放射線の影響をより受けやすい」ともしており、子供を考慮すると規制値はさらに厳しくなる。

 ◇平時と緊急時分けた議論なく
 食品安全委のあるメンバーは「例えば当面3年間で計30ミリシーベルト浴びたとしても、あとの人生で70ミリシーベルトの余裕がある」と話した。緊急時には規制値を緩くし、平時は厳しくする2本立ての規制値をつくる考え方はある。しかし、安全委の評価案は「緊急時はより柔軟な対応が求められることも考えられる」と一般論を述べるだけで、累積線量を年ごとにどう振り分けるかは厚労省の判断だとし、具体的な提案はしていない。これでは「生涯100ミリシーベルト」の数値が独り歩きしかねない。平時と緊急時を分けるなど「経済社会的な状況に応じて規制していく、という従来の国際的な放射線管理の考え方に対する挑戦だ」と指摘する専門家もいる。
 主食の米と、たまに食べる牛肉が同じ値になっている現行規制値も議論してほしいテーマだ。食品の種類によって規制値を変えた場合に、人の健康影響がどうなるかのリスク評価も必要だが、そうした論議もされなかった。
 8月2日に開かれた安全委と市民の意見交換会では「規制値の強化につながる」と歓迎する声が多かった。だが、実際問題として、年齢も食生活も異なる個々の累積被ばく量を、生涯にわたりチェックしていくのは不可能だ。累積線量を知りたいという国民の要求に国は応えられるのか。
 「生涯100ミリシーベルト」は一般に考えられている以上に大きな課題をはらむ。文献を読んで安全性の目安を示すのは、リスク評価の一部に過ぎない。規制値の設定いかんでは、野菜の摂取不足が起きて、逆に健康に悪影響が出るかもしれない。現実の国民の食品摂取の仕方まで踏み込んでリスクを評価するのが、委員会の役目ではないか。(生活報道部)
毎日新聞 2011年8月17日 0時07分


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 特集ワイド:この夏に会いたい/10止 原子力資料情報室代表・高木仁三郎さん 

◆原子力資料情報室代表 高木仁三郎さん(2000年死去、享年62)
 ◇あきらめから希望へ 「市民科学者」に徹して

 古びたテープレコーダーとカセットテープ十数個が2階書斎に残されていた。千葉県鴨川市の田園にある高木さんの自宅。出迎えてくれた妻の久仁子さん(66)は晩年がんの闘病生活を送りながら原稿を書く高木さんの姿を語った。「仁さんはモーツァルトの音楽をかけながら、そのイスに座って、テープレコーダーに原稿を吹き込んでいました」
 東大で核化学を学び、30歳の若さで大学助教授となった「原発エリート」は、熟慮の末、脱原発に転じ、生涯をかけて50冊を超える本を残した。東京電力福島第1原発の事故以来、新聞や雑誌には日々、この人が発していた「警告」が引用される。
 高木さんが亡くなったのは2000年10月。その2カ月後に出版された「原発事故はなぜくりかえすのか」(岩波新書)では、原子力村についてこう書いている。<原子力村というのは、お互いに相手の悪口を言わない仲良しグループで、外部に対する議論には閉鎖的で秘密主義的、しかも独善的、という傾向があります>。安全意識にも苦言を呈する。
 <ことさらに安全、安全と言うことによって安全が身につくのではなくて、技術というものの一部に、人間の生命を大事にするような思想が自然と組み入れられていないといけない>

 読むほどに、原発事故は起こるべくして起きた、と思えてくる。
  ■
 高木さんは7歳の時に終戦を迎えた。「米英は鬼畜の類いだ」と言っていた教師が、玉音放送を境に「これからは民主主義の社会で米軍(駐留軍)は解放軍だ」と手のひらを返す。自伝的な著書「市民科学者として生きる」(岩波新書)では<国家とか学校とか上から下りてくるようなものは信用するな(中略)なるべく、自分で考え、自分の行動に責任をもとう>と思ったと書いている。
 現役で東大に合格。安保闘争中だったがあまり関心を示さず、プルトニウムを含む人工元素の生成に魅せられ、核化学を専攻する。卒業後、原発関連会社に入社。原子炉の水に放射性物質がどのくらい溶け込んでいるかを研究したところ、上司から「(汚染の研究は)会社向きではない」と忠告された。会社での居場所を失い、東大原子核研究所に転職、宇宙からの放射線を研究した。このころ水俣病などの公害が問題になり、高木さんは「放射能汚染に絡む公害問題が出たら、正面から向かい合えるか」と自問するようになる。
 矛盾を抱えたまま69年、東京都立大学助教授に就任。当時は日米安保更新をめぐる学生運動のさなか。高木さんは学生側に共感し、成田空港建設に反対する地元農民の活動「三里塚闘争」にもかかわった。現場では農民が農地を守るため体ひとつで抵抗していた。高木さんは<心情的には農民の側にいるが、実際には明らかに自分は巨大システムの側にポストを占めているのではないか>(「市民科学者として生きる」)と再び自問した。岩手県出身の童話作家で、詩人の宮沢賢治の言葉に出合ったのは、このころだ。

 「われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるか」

 賢治が農民に行った講義の演題だった。73年、高木さんは大学を辞す。2年後、脱原発活動を行う市民団体「原子力資料情報室」の世話人となり、米スリーマイル島原発事故(79年)や、旧ソ連チェルノブイリ原発事故(86年)で、脱原発派の科学者・市民活動家として頭角を現していく。
 眼光鋭く、周囲から「野武士」と呼ばれていた。息抜きに仲間に誘われていくカラオケでは、石原裕次郎さんの「嵐を呼ぶ男」を手を振りかざして歌った。高木さんの都立大学時代の教え子で、高木さんの著作全集も出している七つ森書館(東京都文京区)の社長、中里英章さん(61)は「ちょっとカッコ付けているところもあって」とほほ笑む。
 チェルノブイリ後、哲学者の花崎皋平(こうへい)さんとの対談集「あきらめから希望へ」(七つ森書館)を出版。「いつも希望について語っていきたいという思いを込めて」とつけたタイトルだった。しかし、現実は厳しかった。高まる反原発運動に乗じ「脱原発法」の制定を求め90~91年に330万人の署名を国会に提出したものの、無視されたのだ。高木さんはこの挫折をきっかけにうつ病を発症。医師に「休養が必要」と診断され、料理を作ったり、モーツァルトを聴いて数カ月間を過ごした。
 中里さんは「仁さんは、国や企業のための科学ではなく、農民や労働者、学生をひっくるめた市民のための科学を、大学や研究所に所属せずに自ら切り開いた自負心があった。一方、何をやっても成功しないいらだち、お金の工面などで内心は葛藤に次ぐ葛藤もあったと思います。それでもあきらめずに希望をもって、自らの運動と生きることが一つになることを求め続けていました」と語る。
  ■
 「走れコウタロー」「岬めぐり」で知られるフォーク歌手で白鴎大教授(社会学)の山本コウタローさん(62)に都内の喫茶室で会った。70年代に公害問題に関心を持ち、反原発活動にも取り組んできた人だ。高木さんとは80年代中ごろ、反原発のシンポジウムなどで知り合い、高木さんが代表を務めた情報室に何度か足を運んだ。テレビの討論番組「朝まで生テレビ!」に反原発側の論客として一緒に出演している。
 山本さんは手持ちのファイルから数枚の紙を取り出した。96年の原子力資料情報室通信。高木さんはチェルノブイリから10年の教訓と題し、こう書いている。<事故は、防災・避難・損害賠償(国際的にも)・正確な情報伝達・食品汚染など多くの点で、現代社会がこの種の巨大事故にまったく備えがないことを示した。この教訓はどれだけ活(い)かされたか>
 「結局、政府や経済産業省、東電はチェルノブイリから何も学んでいない」と山本さん。「(3・11後は)大量消費という生き方が問われている。高木さんは著書で希望について語っているが、あれは、お金やものをたくさん作るのとは違う生き方を選ぶことができるんだよ、という問いかけだと僕は思っています」
 高木さんは亡くなる直前まで本を書き続けた。久仁子さんは言う。「仁さんは今の福島の事故じゃないけど、いつどんな事故が起きてもおかしくないと危機感を持っていました。自分の命はもう長くないが、次世代の人たちには原発がない世の中で生きてほしいと願っていました。国ではなく市民が現実を選んでいける社会にしていく。そのことをあきらめずに希望を持って訴え続けたと思います」
 残されたメッセージをどう生かすか--「野武士」に静かに問われているような気がした。【宍戸護】=おわり

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 ◇「特集ワイド」へご意見、ご感想を
 t.yukan@mainichi.co.jp
 ファクス 03・3212・0279
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 ■人物略歴
 ◇たかぎ・じんざぶろう
 1938年、前橋市生まれ。環境などの分野で「もう一つのノーベル賞」とも呼ばれる「ライト・ライブリフッド賞」を「市民の立場にたった科学者として功績があった」と1997年に受賞。
毎日新聞 2011年8月17日 東京夕刊


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福島第1原発:東電、水素爆発予測せず ベント手順書なし/保安院も建屋の水素爆発予測せず

2011-08-17 20:27:13 | ほん/新聞/ニュース
ここ数日、新聞を読んでないので、テレビを見ていたら、
午後のNHKニュースで、福島原発の水素爆発の可能性を、
だれも事前に予想できていなかった、との報道。

関連のニュースを調べたら、毎日新聞が詳報を出していました。
水素爆発を予想できなかったのは、東京電力だけでなく、
原子力安全・保安院も同じだったとのこと。

思わず、委員長の斑目氏が、うつろな涙目で、
「3.11以降をぜんぶなしにしたい」といったことを思い出しました。

東電 “水素爆発予測できず”
8月17日 NHK

東京電力福島第一原子力発電所の事故で起きた水素爆発について、東京電力の関係者が政府の事故調査・検証委員会の調査に対し、「事前に予測できた者はいなかった」と証言していることが分かり、深刻な事故が発生した際の想定が甘かったことが改めて浮き彫りになりました。

東京電力福島第一原発を巡る政府の事故調査・検証委員会は、東京大学の畑村洋太郎・名誉教授が委員長を務め、事故の原因究明に向けて政府や東京電力の関係者などから幅広く聞き取り調査を行っています。これまでの調査に対し、東京電力の関係者が東日本大震災発生の翌日の12日、1号機で起きた水素爆発について、「原子炉や格納容器の対応に集中していたため、水素が建屋に充満して爆発することに考えが至らず、爆発前に予測できた者はいなかった」と証言していることが分かりました。また、1号機の爆発後、2号機と3号機についても爆発を防ぐための対策を検討しましたが、放射線量が高かったことなどから作業を実施できず、結果として14日に3号機でも爆発が起きたということです。水素爆発は、原子炉への注水が止まり炉心が損傷したことに伴って大量の水素が発生し、格納容器から建屋の中に漏れ出して起きたとみられています。東京電力は炉心が損傷する事故で水素爆発のおそれがあることは把握していましたが、建屋で起きることまでは想定していなかったということで、深刻な事故の際にどのような事態に至るかという想定の甘さが改めて浮き彫りになりました。


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福島第1原発:東電、水素爆発予測せず ベント手順書なし”
 
東京電力福島第1原発事故で、3月12日に起きた1号機の水素爆発について、政府の「事故調査・検証委員会」(畑村洋太郎委員長)の聴取に対し、東電側が爆発前に予測できていなかったと証言していることが分かった。長時間の全電源喪失時に格納容器を守るため実施するベント(排気)のマニュアル(手順書)がなかったことも判明。このため、作業に手間取るなど、初期対応で混乱した様子が浮かび上がった。
 関係者によると、政府事故調はこれまでに、同原発の吉田昌郎所長ら東電社員や政府関係者らから聴取を続けている。
 1号機の水素爆発は、東日本大震災の翌日の3月12日午後3時36分に発生。建屋の上部が吹き飛んだ。水素は、燃料棒に使用されるジルコニウムが高温になって水と反応し発生したとみられている。
 関係者によると、事故調に対し、東電側は原子炉や格納容器の状態に気を取られ、水素が原子炉建屋内に充満して爆発する危険性を考えなかったという趣旨の発言をし、「爆発前に予測できた人はいなかった」などと説明しているという。
 また、ベントについては、マニュアルがなかったため設計図などを参考にして作業手順などを検討。全電源が喪失していたため作業に必要なバッテリーなどの機材を調達し始めたが、型式などの連絡が不十分だったこともあり、多種多様な機材が運び込まれて、必要なものを選別する手間が生じた。
 さらに作業に追われる中、機材が約10キロ南の福島第2原発や作業員らが宿泊する約20キロ南のJヴィレッジに誤って配送され、取りに行かざるをえない状況になった。ある社員は「東電本店のサポートが不十分だった」と話しているという。
 一方、1号機の炉心を冷却するための非常用復水器(IC)が一時運転を中断していたものの、吉田所長ら幹部がそのことを把握せず、ICが稼働しているという前提で対策が検討されていたことも判明。事故調の聴取に吉田所長は「重要な情報を把握できず大きな失敗だった」などと話しているという。
 事故調は、東電側からの聴取内容と一連の事故に関するデータなどを精査した上で事故原因を解明していく方針だ。

 ◇震災翌日の首相視察「目的分からぬ」
 「目的が全く分からない」--。菅直人首相が東日本大震災翌日の3月12日、東京電力福島第1原発を視察したことについて、現場のスタッフが政府の「事故調査・検証委員会」の調べに、懐疑的な感想を述べていることが明らかになった。
 菅首相からの「なぜこんなことになるのか」との質問には、「自由な発言が許され、十分な説明をできる状況ではなかった」と振り返る説明があった。また、海江田万里経済産業相が12日午前6時50分、1号機の原子炉格納容器の圧力を下げるベントの実施命令を出したことに、現場は「違和感が強く、意図的にぐずぐずしていると思われたら心外」と受け止めたという。
 陸上自衛隊のヘリコプターによる使用済み核燃料プールへの放水には、「ありがたかったが、作業効率が極めて低いと感じた。プールに入っていないと思われるケースが多かった」との感想があったという。

 ◇原発事故調査委・ヒアリング経過メモ(要旨)
 事故調査・検証委員会が、福島第1原発の吉田昌郎所長やスタッフ、関連企業の社員ら、学識経験者にヒアリングした経過を8月にまとめたメモの要旨は次の通り。

 <ベント>
・11日深夜から12日未明にかけ、炉心損傷を認識した吉田昌郎・福島第1原発所長がベント準備を指示
・マニュアルがなく、現場で設計図などを参照しながら必要な措置を検討し、弁操作に必要なバッテリー調達などから始めた。ストックを把握していなかったため、構内を探したり本店に調達要請したりと手間取った
・最終的にベントが成功したかは確認できていない。「成功した」とされているのは、格納容器の圧力低下や放射線量増加などの状況証拠からの推測。現在も確証を得られない
・ベントや注水に必要な資材が福島第2原発などに誤搬送され、第1原発から取りに行く人員を割かれるなど、本店のサポート体制は不十分
・海江田万里経済産業相のベント実施命令には違和感が強く、意図的にグズグズしていると思われたとしたら心外

 <水素爆発>
・1号機の水素爆発を予測できた者はいない。爆発後数時間以内に、炉心損傷で発生した水素が建屋に充満して爆発した可能性が高いと結論付けた

 <甘い認識>
・炉心の熱を海に逃がすための海水ポンプが津波で故障した場合、非常用復水器(IC)などで炉心冷却しながら復旧すればよいという程度の認識だった

 <4号機の損傷>
・3号機から排気ラインを通じて逆流した水素がたまって爆発した可能性が考えられるが、逆流させるだけの空気圧が発生していたか疑問はある

 <菅首相の福島原発視察>
・12日早朝の首相来訪は目的・趣旨がまったくわからない

 <海水注入>
・防火水槽の淡水貯水量には限界があり、いずれ海水注入が必須になるとの認識はあった
・12日夕に官邸、東電本店から海水注入中断の指示があったが、注水を続けないと大変なことになるので、従ったふりをして継続

 <1号機の非常用復水器停止把握せず>
・担当作業員がICを11日午後6時半から約3時間、停止させたが、吉田所長らは把握せず、動いていることを前提に対策を講じた

 <ヘリ、放水車などによる放・注水>
・電源復旧作業の中断を余儀なくされた
・散発的な放水は作業効率が低く、使用済み核燃料プールに入っていないと思われるケースが多かった

 <想定地震超える>
・福島第1原発2、3、5号機の東西方向で、想定していた揺れである基準地震動を超えたが、東電によると原子炉の安全上重要な設備に大きな損壊は確認されず

 <想定津波を再計算>
・09年2月、海底地形と平均潮位を見直して想定津波を再計算。その結果、想定津波の高さが上昇した5、6号機については、非常用海水ポンプの電動機の架台の浸水対策をした
毎日新聞 2011年8月17日



  福島第1原発:保安院も建屋の水素爆発予測せず

 東京電力福島第1原発事故で、政府の「事故調査・検証委員会」の聴取に対し東電が「1号機の水素爆発は予測できなかった」と証言していることについて、経済産業省原子力安全・保安院の森山善範原子力災害対策監は17日、「格納容器内の水素爆発対策は重視していたが、建屋の対策は十分評価していなかった」と述べ、規制行政庁としても対応が不十分だったとの認識を示した。
 事故調の聴取では、長時間の全電源喪失を想定したベント(排気)のマニュアル(手順書)が準備されていなかったことも明らかになった。これについて森山対策監は「ベントは(通電した)中央制御室で操作する手順になっていた。全電源喪失への対応が不十分だったことがそもそもの事故原因なので、今後の安全対策に生かしたい」と述べた。【比嘉洋】
毎日新聞 2011年8月17日


 記者の目:内部被ばくだけの数値明示を=小島正美

◇食品安全委「放射線生涯100ミリシーベルト」 食品を通じた放射性物質の健康影響を評価していた食品安全委員会(小泉直子委員長)が7月26日、「生涯の累積でおおよそ100ミリシーベルト(自然放射線や医療被ばくは除く)以上で健康影響がある」との評価案をまとめた。「生涯100ミリシーベルト」は食品を通じた内部被ばくだけでなく、外部被ばくも合算した数値で、内部被ばくの割合は示されていない。たとえ推計でも内部被ばくの限度を数値で示し、実際の食生活に即した健康影響評価をしなければ、食品の安全性への信頼が損なわれてしまうだろう。
 食品は、放射性物質が体内に入って放射線を出し、健康を害する「内部被ばく」が問題になる。
 食品安全委は厚生労働相の諮問を受け、4月下旬から9回の議論を重ね、国内外の約3300点の文献を検討した。しかし「内部被ばくのデータが極めて少なかった」ため、主に広島・長崎の原爆被爆者の発がんデータを基に、生涯の累積値で目安を示した。

 ◇数百ミリでも影響ないとの指摘も
 まず疑問なのは、なぜ生涯の累積値なのか、だ。同じ100ミリシーベルトの被ばくでも、一度に受けた場合と、1年に1ミリシーベルトずつ100年かかって受けた場合とでは、人体への影響は全く異なる。アルコールを一気に飲む場合と、少しずつ飲む場合を比べても分かるように、一度の被ばくの方がリスクが大きい。低線量を長く受ける場合は、途中で傷ついた細胞が修復されるためだ。
 放射線の影響に詳しい中村仁信・大阪大名誉教授は「細胞の修復能力を考えると、生涯累計なら数百ミリシーベルト程度でも影響がないと見てよいはずだ」と述べる。この点は、食品安全委の作業部会でも指摘されていた。「広島・長崎の影響は、瞬間的な外部被ばくの影響が9割以上を占める。生涯の累積量に当てはめるのは科学的におかしい」「累積量ならインドの高線量地域に住む人で約500ミリシーベルトでがんの増加はなかったとのデータの方が信頼できる」との意見だ。
 しかし、作業部会座長の山添康・東北大教授は「被爆者は瞬間的に被ばくした後も、そこに住み、空気を吸ったり食べ物を取り続け、内部被ばくも受けた。より安全側に立って判断したい」と述べた。より安全に、と考えるのはいいが、生涯100ミリシーベルトを人生80年として計算すると、1年間の上限は1・25ミリシーベルトになる。福島県の一部では、外部被ばくだけで年間10ミリシーベルトを超えることが予想され、何も食べられなくなりかねない。
 どの地域でも現実に外部被ばくの方が大きく、内部被ばくは数%とされる。仮に内部被ばくの割合を2割と多めに見ても、内部・外部被ばく計年1.25ミリシーベルトのうち、食品に割り当てられる許容線量は年0.25ミリシーベルトしかない。放射性セシウムだけで考えても、現行の暫定規制値は年5ミリシーベルトが上限なので、20分の1まで下げねばならなくなる。牛肉なら、現在の1キロ当たり500ベクレルが25ベクレルになる計算だ。
 評価案は「小児は放射線の影響をより受けやすい」ともしており、子供を考慮すると規制値はさらに厳しくなる。

 ◇平時と緊急時分けた議論なく
 食品安全委のあるメンバーは「例えば当面3年間で計30ミリシーベルト浴びたとしても、あとの人生で70ミリシーベルトの余裕がある」と話した。緊急時には規制値を緩くし、平時は厳しくする2本立ての規制値をつくる考え方はある。しかし、安全委の評価案は「緊急時はより柔軟な対応が求められることも考えられる」と一般論を述べるだけで、累積線量を年ごとにどう振り分けるかは厚労省の判断だとし、具体的な提案はしていない。これでは「生涯100ミリシーベルト」の数値が独り歩きしかねない。平時と緊急時を分けるなど「経済社会的な状況に応じて規制していく、という従来の国際的な放射線管理の考え方に対する挑戦だ」と指摘する専門家もいる。
 主食の米と、たまに食べる牛肉が同じ値になっている現行規制値も議論してほしいテーマだ。食品の種類によって規制値を変えた場合に、人の健康影響がどうなるかのリスク評価も必要だが、そうした論議もされなかった。
 8月2日に開かれた安全委と市民の意見交換会では「規制値の強化につながる」と歓迎する声が多かった。だが、実際問題として、年齢も食生活も異なる個々の累積被ばく量を、生涯にわたりチェックしていくのは不可能だ。累積線量を知りたいという国民の要求に国は応えられるのか。
 「生涯100ミリシーベルト」は一般に考えられている以上に大きな課題をはらむ。文献を読んで安全性の目安を示すのは、リスク評価の一部に過ぎない。規制値の設定いかんでは、野菜の摂取不足が起きて、逆に健康に悪影響が出るかもしれない。現実の国民の食品摂取の仕方まで踏み込んでリスクを評価するのが、委員会の役目ではないか。(生活報道部)
毎日新聞 2011年8月17日 0時07分


東京滞在も明日まで。
最後の有ご飯に、念願の
タカノ本店のフルーツバー(バイキング)を食べました。

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泊原発:北海道知事、3号機の再開容認へ/研究者50人 5項目要求

2011-08-16 21:32:22 | 地震・原発・災害
ちょっと時間があったので、吉祥寺の商店街をぶらぶら歩きました。
今評判のということで、テレビでも登場するので一度行ってみたかったまちです。

   

そのあと、千疋屋フルーツショップ 小田急新宿ハルク店でマンゴープリンを買いました。
   
一つ何と525円。
さっすがおいしいです。

夕方、友人と待ち合わせて、
タカノフルーツパーラーに行きました。
   
お店の前のおすすめスイーツが前と変わっていて、
友人はブドウとペリーのパフェを注文。
   
わたしは、桃のパフェを食べました。
   
何度食べても、あまさひかえめで美味しいです。
   

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帰ってきたのはけっこう遅かったので、
バスにお湯はりをしておいて、まずブログをアップすることに。

泊原発は知事の思惑通り、再開にゴーサインが出ました。
原発は今日にも再開されるそうです。
泊原発営業運転に対しては道内の研究者が声明を出しています。

 泊3号機 営業運転へ 知事、容認見通し 
2011年08月16日 朝日新聞

■きょう特別委 知事、容認見通し
 定期検査で調整運転を続ける北海道電力泊原発3号機をめぐり、道議会は15日、営業運転再開の是非を議論する産炭地域振興・エネルギー問題調査特別委員会を16日に開くことを決めた。高橋はるみ知事が出席して再開容認の考えを表明し、終了後に国に容認の意向を伝えるとみられる。営業運転は同日中にも再開される見込みだ。
 泊3号機は、営業運転に移るための経済産業省原子力安全・保安院の最終検査を終え、原子力安全委員会も11日に営業運転再開を了承した。海江田万里経産相は高橋知事が再開を認めれば、北電に定検の終了証を交付する方針だ。
 道は同特別委の16日開催を議会側に要請。議会内には、特別委前に会派内などで協議する時間を確保するため、17日にずらす意見もあったが、知事の出席を条件に16日開催を決めた。
 高橋知事は泊村など周辺4町村を中心に、地元自治体の意見集約も並行して進めている。同特別委の終了後に「地元の同意形成はできた」と判断し、海江田氏に営業運転再開を認める考えを伝える見通しだ。
 同特別委は常設の6特別委の一つ。自民、民主、公明、フロンティアの議員16人で構成し、委員長は民主、副委員長は自民から選ばれている。少数会派の大地、共産は入っていない。



北海道・泊原発:道知事、3号機の再開容認へ 北電、きょうにも営業運転 

 調整運転中の北海道電力泊原発3号機(北海道泊村)の営業運転再開をめぐり、北海道議会は15日、16日に特別委員会を開くことを決めた。高橋はるみ知事は同日、運転再開容認を表明し、海江田万里経済産業相に報告するとみられる。
 北電は経済産業省原子力安全・保安院から検査終了証が交付されれば、16日中にも営業運転に移る。東京電力福島第1原発事故以降、定期検査から営業運転が再開される初のケースとなる。
 道議会最大会派の自民党・道民会議と民主党・道民連合、道の3者は特別委理事会、特別委の16日開催に合意した。民主会派は、北電、少数会派の出席も求めていたが、民主会派の斉藤博特別委委員長は「日程調整がつかない」として、出席を断念した。
 泊原発3号機は原発事故の影響で、通常1カ月で営業運転に移行するフル出力状態の調整運転を約5カ月間続けている。【片平知宏、田中裕之、吉井理記】
毎日新聞 2011年8月16日 東京朝刊 


道内研究者50人 泊原発営業運転へ5項目要求  
2011.8.16 北海道新聞

 北電泊原発100+ 件3号機の営業運転再開について、道議会産炭地域振興・エネルギー問題調査特別委員会が開かれるのを前に、元道環境審議会会長の吉田文和北大大学院教授(環境経済学)ら道内の研究者50人が15日、緊急声明を発表した。「無条件の営業運転開始は容認できない」として、道と地元4町村が北電と結んでいる安全協定の範囲を周辺自治体に拡大することなど5項目を求めている。
 50人は北大や酪農学園大、北海学園大など道内9大学の教授や准教授。この日、吉田教授と干場信司酪農学園大教授(家畜管理学)が道庁で記者会見した。
 声明では《1》安全協定の範囲拡大《2》泊原発100+ 件の沖合に存在が指摘されている活断層などについて、第三者機関による調査・検証の実施《3》2~4年後までに実施するとしている北電による安全性向上対策の前倒し-などの5項目を営業運転再開の条件とするよう求めている。
 会見で吉田教授は「大震災以降、正式な営業運転再開は全国初。泊3号機への対応が今後の前例になる」と強調した。


 泊3号機「無条件再開 認められぬ」 声明(2011.8.16 朝日新聞) 

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終戦に思う―今、民主主義を鍛え直す/新たな「災後」の生と死

2011-08-15 08:30:56 | 花/美しいもの
福島原発事故から5か月を過ぎたけれど、
いまだ終息しているとはいえない状況。

事故直後とさほど状況は変わっていないと思うのだけど、
テレビニュースや報道もめっきり減って、
原発事故をないことのように暮らしているわたしたち。

政府の動きも遅くて、じれったい。
放射線の被ばく線量の上限も、生涯で100ミリシーベルト浴びても
だいじょうぶ、という基準のままだ。
これで国民が納得させられるとはおもわないけれど、
影響が出るのは数年後から数十年後だから、
その時になって、実は・・・というのだろうか。
それとも因果関係が分からない、と突っぱねるのだろうか。
多くの公害訴訟のように。

歴史は繰り返す、というが、
わたしたちは、過去からちっとも学んでいないような気がする。

つい数ヶ月前、メルトダウンを隠していた政府と東電の言うことなんて、
信じられない、のは、私だけ、なのだろうか。

  【社説】被曝の線量―政府全体で見取り図を

福島第一原発事故による放射線への対処について「がんが増えるなど健康への影響が出るのは、生涯で累積100ミリシーベルト以上被曝(ひばく)した場合」という基準案を、内閣府の食品安全委員会が示した。
 食品を通して体内に取り込まれる放射性物質による内部被曝と、外界からの外部被曝とをまとめて、この範囲に収めるべきだと提案するものだ。
 日本人が1年に浴びる、平均約1.5ミリシーベルトの大地などからの自然放射線、そして、エックス線撮影など平均約2.3ミリシーベルトの医療被曝は計算から除かれる。
 「生涯の累積」という言葉はずっしりと重い。どう測るのか戸惑う人も多いだろう。なぜ食品安全委からとも戸惑う。
 食品安全委に対する厚生労働省の諮問は、食品に含まれる放射性物質の健康への影響についてだった。原発事故後、野菜や水などの汚染が明らかになり、厚労省は3月、食品中の放射性物質のとりあえずの規制値を決めた。その評価を求めたのだ。
 ところが委員会の作業部会で検討したところ、食品による影響だけを論じた資料は少なく、内部と外部の被曝を分けて評価することはできない、という結論に達したという。
 100ミリシーベルトの放射線量とは、国際放射線防護委員会(ICRP)が、発がんのリスクが科学的な証拠で明らかだと定めたレベルだ。
 作業部会はまた、具体的な数値は示さなかったが、子どもや胎児は大人より影響を受けやすいので留意が必要とまとめた。
 この案は、パブリックコメントを求めたうえで、正式な決定になる運びだ。だが、この基準をもとにどうやって食品の規制値を決めるのか、厚労省も頭を抱えている。
 それも無理はない。
 実は、内部被曝と外部被曝をまとめて放射線の健康影響を考えている部門が政府内にないのだ。厚労省は食品からの内部被曝、文部科学省は学校の校庭などからの外部被曝と、まさに縦割りだ。
 本来なら、政府として、環境や食品からの被曝を全体でとらえて減らしていく方策を考え、それを受けて各省庁が具体策に取り組むべきだろう。
 ICRPは、緊急時の被曝について、社会生活などとのバランスでふだんよりは高い目安を決め、そこから減らしていくべきだという考えに立っている。
 食品安全委の問題提起を重く受け止め、政府として全体の見取り図を示す必要がある。


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ここ数日、テレビも新聞もみてなくて、
新着情報はもっぱらネットで仕入れている。

あんがい、テレビも新聞もなくても平気、かもしれない。

【社説】終戦に思う―今、民主主義を鍛え直す

2011年8月14日 朝日新聞

「進歩のないものは決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。……今目覚めずしていつ救われるか」。青年士官がつぶやく。
 戦艦大和(やまと)は昭和20年春、帰還のあてない特攻出撃を命じられた。青年士官とともに乗艦した吉田満(みつる)が一部始終を書いた「戦艦大和ノ最期」にある。
 青年士官は、無駄死にを強いたに等しい国でも、せめて、未来には希望を託したのだろう。
 しかし、私たちは、進歩し、目覚め、救われたのだろうか。明日、敗戦から66年。

■今目覚めずしていつ
 敗戦間際の8月、学徒出陣で見習士官になった若者が鹿児島県薩摩半島にいた。中隊を率い米軍との決戦に備えていた。
 守る場所を「イチコロ陣地」と呼んだ。配備された4門の大砲に砲弾はわずか72発。撃ち続ければ数分ももたない。「これでどうやって戦うのか」と問うと、上官の少佐は、その場しのぎに「いざという時にはうなるほどの砲弾が来る」と言った。
 若者は戦後、旧大蔵省に入りエリートと呼ばれる身となる。磯辺律男元国税庁長官(89)は戦時中のエリート、職業軍人らをこう見る。「自分の階級を上げることしか関心がなく、国のため、国民のために自らがどうあるべきかを考えなかった」
 既に日中戦争の泥沼にはまっていたのに新たな敵を求めた。石油など資源の供給元だった米国相手の太平洋戦争への突入はあり得べからざることだった。
 それを自存自衛と都合よく言い換え、追い立てたのは軍人たちだった。国民も当初の勝利に浮かれ、軍人をもり立てた。
 なぜ、自滅への戦争を選んだのか。今年12月、映画「山本五十六(いそろく)」が公開される。山本連合艦隊司令長官を演じての思いを役所広司さんに尋ねた。
 「この国にはエリートが自分たちに都合よく回しておけばいい、という歴史があり、今も続いている。一方で国民はビジネスや金もうけは真剣だが大事なことを忘れていく」と答えた。

■負の構図再び
 戦後も繰り返された。
 バブル経済は、金余りを放置した官僚たちと、それに乗じて土地や株を買いあさり、本来の価値以上につり上げた国民の責任だ。揚げ句、暴落し多額の不良債権が発生したが、官僚は実態の公開を渋り解決が遅れた。
 「国破れて道路あり」。公共事業に大盤振る舞い。農道空港や豪華な箱もの施設など無駄な投資が積み重ねられた。宴(うたげ)の後に膨大な財政赤字が残った。
 そして福島第一原発の事故。原子力村の自己過信が招いた物語でなかったか。
 世界有数の地震国。大津波も襲う大地に54基もの原発を造った。さらに2030年までに14基以上増やし、総電力中の原子力を5割以上にする計画を立てていた。原発依存の過剰さが放置、容認されてきた。
 経済産業省や電力会社は、地震国の真実に目を塞いだ。都合のいい情報は伝えるが不利なデータは隠す。さらにやらせ質問で世論を誘導。ウソを重ねた軍部の「大本営発表」顔負けだ。
 でも原子力村だけの責任か。
 朝日新聞が設けた「ニッポン前へ委員会」の神里(かみさと)達博委員(東大特任准教授)は原発事故の真因として「原子力について民主的な熟議を怠ってきた」とし、「閉鎖的な専門家システム」と「大半の国民の無関心」という共犯関係によって生じたと指摘している。
 国を守る力もエネルギーも必要な機能だ。しかし国民が自らの生命や財産まで官僚や専門家集団に委ね、ある時は傍観、ある時は狂奔した。この人任せと無責任が、度重なる失敗の根底にあるのではないか。

■自らの意思で守る
 生命や財産は、国民一人一人が守り抜くという意思を持ち、その意思を実現できる人物を政治家に選び、働かせる。国民と政治家が問題の価値やリスクをチェックできる仕組みを作り上げる、すなわち民主主義を真っ当なものに鍛え直すしかない。
 死活的に重要なのは情報だ。東洋文化研究者アレックス・カーさんは「情報が官僚や一部の専門家に握られ、決断も彼らがしてきた。本来、政治家や国民が果たすべき役割がなおざりにされてきた」と指摘する。
 彼は2002年の著書「犬と鬼・知られざる日本の肖像」で、既に利権政治と官僚主導に加え原子力村の情報操作を日本の暗部として書いていた。「この構造は戦争から福島まで変わらない。変えるには情報独占を打ち崩すしかない」と話す。
 健全で利害から独立したジャーナリズムが果たすべき責任と役割は重い。情報を官僚らに独占、操作させず、生命や資産が脅かされる可能性のある人全員が共有する。失敗の歴史を忘却せず使命を果たしてゆきたい。
 そうしてこそ大和の青年士官に答えられる。「私たちもようやく、目覚め救われるように、一歩前に出ます」と。


 【社説】新たな「災後」の生と死 終戦の日に臨み考える

長大な堤防が防ぐはずだった大津波。安全と信じた原発の事故。日本は戦災に続く新たな「災後」を迎えました。死生観も再び揺さぶられています。

 「敗色が濃くなるなかで戦争に駆り出された若者たちは、どうやって精神の均衡を保ったのか」
 九十歳を過ぎた父に尋ねたことがあります。父は答えました。
 「国のために死ぬことが当たり前だった。特攻隊で米国の軍艦に突っ込む若者たちは特別な存在ではなかった。ただ、残り少ない日々を大切にしようとは考えた」

 社会おおう重苦しさ
 敗戦は覚悟していた死から国民を解放しました。敗北感より喜びが勝っていたことは米進駐軍を「解放軍」として歓迎する動きがあったことから、うかがえます。
 突然の震災に何の心の準備もなく、自身や近しい人々の命、古里を奪われた悲劇は戦災にも匹敵します。ただ、被災の規模は全国の主要都市が焼け野原になった先の大戦に比ぶべくもありません。
 それでも戦後の解放感と違い震災後も社会をおおう重苦しさは放射性物質を排出し続ける福島第一原発があるからです。日本は広島、長崎の原爆を体験しましたが、地域が限定され占領下で情報が制限されたこともあり、多くの人々は被爆者の痛みをわがこととして感じることはできませんでした。
 しかし、「広島原爆二十個分」(児玉龍彦東京大アイソトープ総合センター長)とも推計される福島第一原発による放射性物質の広がりは、大気や水を通じた拡散にとどまりません。農産物や食肉、魚介類に対する汚染によって不安を日本全体に広げています。低レベル放射線の人体への影響は科学的な追跡調査のデータが乏しくはっきりしたことがわかりません。これが政府発表の「ただちに人体への影響はない」「暫定規制値」といったあいまいな表現の原因です。

 見えない敵との闘い

 専門家の中でも楽観的と悲観的に見方は分かれていますが、子どもはもちろん、大人もできるだけ被ばくを避け、がんなどのリスクを最小限にすべきだという点では意見が一致しています。
 目に見えない放射能との闘いは原発事故が長引くにつれ社会に疲労感を広げています。東日本大震災の影響で、東海、東南海など他の大地震が起きる可能性が高まったともいわれることもあって、一種の無常感さえ漂ってきました。
 しかし、戦争では、それまで培ってきた産業基盤や技術だけでなく多くの人的資源を失い、占領下に置かれても、人々は立ち上がり日本の復興を成し遂げました。
 それに比べ、大震災で打撃を受けた東北の製造業が短期間で回復したように日本の産業基盤は健在です。放射性物質との闘いで武器になる食品の汚染測定も日本は世界一の技術を誇っています。
 放射性物質を除染し、子どもたちの命を守ることを、あきらめることはありません。長期にわたる放射線による影響調査やがん予防は、先進国の中で立ち遅れている日本のがんへの取り組みを一段と強化する機会になるはずです。
 がんは現代医学の進歩で既に死に至る病ではなくなりました。早期発見による生存率は飛躍的に高まり、完治も夢ではありません。抗がん治療も、生活に影響を与えない方法が開発されています。
 もちろん、再発や転移の恐れが付きまとう手ごわさに変わりはありませんが、がんによる死は突然、襲うものではありません。
 多くの末期がん患者が雄々しく病に立ち向かい、残された時間の中でも立派な生き方をのこした例を私たちは数多く知っています。大津波では多くの人々が心の準備もなく突然、命を奪われました。がんは、それを直視すれば、闘い迎え撃つことができるのです。
 誤解のないように付け加えますが放射能汚染や、がんを甘受せよと言っているのではありません。あらゆる手段で放射能と闘い、がん予防に尽力すれば恐れおののくことはないと言いたいのです。
 震災と放射性物質の拡散は、ふだん人々が忘れている死を身近なものに感じさせました。しかし、無力感や虚無感にとらわれることこそ、今は排すべきです。
 一生の四季を豊かに
 幕末の思想家、吉田松陰は二十九歳の若さで処刑されました。処刑の前日、人間の寿命には長短があるが、「それにふさわしい四季がある」と述べ、明日死ぬわが身にも「四季はすでに備わっており、花を咲かせ実をつけているはずだ」(「留魂録」講談社学術文庫)と書きのこしました。
 生ある限り、自らの四季を豊かにする努力を惜しまない。それこそが新たな「災後」に、まず心の復興を成し遂げる一歩となるのではないでしょうか。/td>


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北海道・泊原発:高橋知事~3号機営業運転再開容認

2011-08-14 20:31:34 | 地震・原発・災害
明日は8月15日。
今週は、戦争や原爆・原発関連の番組が続いています。

今夜は9時からテレビ朝日で「母べえ」を放映するので、
急いで帰ってきて、ブログを書いています。

  大震災の年にあらためて戦争を考える~原爆・終戦スペシャル番組
j-castニュース

広島・長崎の原爆の日、終戦記念日に合わせて、原爆や戦争の特別番組が今週末から続く。今年はドラマでは「絆」をテーマにしたものが目立つ。
まず、8月5日(2011年)放送の「この世界の片隅に」(日本テレビ系よる9時)は、文化庁メディア芸術祭で最優秀賞を受賞した同名漫画を原作に、空襲で片腕を失った女性(北川景子)が夫や周囲の人々への温かい思いを胸に懸命に生きる姿を描く。ドラマでは当時の暮らしをていねいに再現し、戦争の映画であると同時に、女性の生き方を軸としたメロドラマに仕上がっている。
8月12日の「犬の消えた日」(日本テレビ系よる7時)は、軍の命令で愛犬を供出する家族の物語だ。いつもいるはずの犬がいなくなった家族はギクシャクしはじめ、愛犬が結んでいた大切な絆を知る。日本テレビ系はこれに続く「金曜ロードショー」(よる9時)で「硫黄島からの手紙」を放送する。
13日のフジテレビ系は実話をもとにしたドラマ「最後の絆 沖縄 引き裂かれた兄弟~鉄血勤皇隊と日系アメリカ兵の真実~」(よる9時)だ。貧しいながらも寄り添って生きていた家族が、沖縄戦で敵と味方になって戦争に巻き込まれていく。生活を支えるためにアメリカに渡った兄は日系人部隊の兵士として沖縄に進軍し、弟は日本軍に「鉄血勤皇隊」として徴兵されてしまう。
テレビ朝日系の「日曜洋画劇場」(14日よる9時)は戦前・戦中の思想・言論弾圧の中で懸命に生きた家族を描いた「母べえ4 件」、NHK・BSプレミアム「BSシネマ」は戦争の不条理を鋭くえぐった名画「人間の條件」を6回(8月15~18日よる9時、19~20日夜10時)にわたって放送する。

なぜ戦争は起こったのか、なぜ止められなかったのか
ドキュメンタリーは戦争や原爆の悲惨さを描くだけでなく、理不尽な戦争ががなぜ起こったのか、なぜ止められなかったのかを掘り下げようという番組が多い。NHKの地上波では「NHKスペシャル」で「原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報」(6日よる9時)、「圓の戦争」(14日よる9時)、「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 戦中編~果てしなき戦線拡大の悲劇~」(15日よる9時)を放送、このほかにも「二度と原爆を使ってはいけない~核兵器廃絶を訴えた異色のGHQ司令官」(8日よる10時)が予定されている。
NHK・BSではハイビジョン特集で「ヒロシマの黒い太陽」(6日よる10時・プレミアム)、BS特集「もう一つのグアム 戦争に翻弄された日系人たち」(15日よる9時・BS1)。「証言シリーズ」(BSプレミアム)の特別バージョン「青い眼の少年兵」(13日よる10時)は、日中戦争に従軍した兵士の証言をもとにしたドキュメンタリードラマだ。中国奥地で苦戦していた日本軍の兵長は、戦闘の混乱の中で、目を負傷した敵の国民党軍の少年兵を救う。兵長は少年に義眼を贈ろうとかくまい続けるが、もとより軍紀違反。兵士であるべきか、そうである前に人間であるべきか…。悩む兵長を中国人の父親と日中混血の母をもち、中国から日本に帰化した阿部力が熱演している。
凄惨な戦場から生還した元日本将兵の証言を集めた「兵士たちの戦争」(BSプレミアム)も、15日に「特攻の目的は戦果にあらず」(夜6時)、16日に「持久か玉砕か 翻弄された前線部隊」(夜6時)を放送する。
東日本大震災であらためてこの国のありようと暮らしを考え始めた日本人にとって、もう一つの原点を見直す1週間だ。(テレビウォッチ編集部)



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福島原発事故で、脱原発への機運が高まっている中、
北海道の高橋知事が泊原発の再開を容認する動きを見せています。
これに対して、市民から再開反対の声が上がり、署名運動も始まっています。

高橋知事よ、おまえもか!
佐賀県知事も、北海道知事も、福島の現実から、どうして学ばないのでしょう。

  泊原発:3号機再稼働反対へ、札幌で署名集め--道労連や市民団体 /北海道 

 北海道電力泊原発3号機の営業運転を再開に反対する道労連や市民団体などが11日、札幌市中央区で街頭宣伝を行った。約60人が署名集めなどを行い、「泊3号機を止めろ」などとメッセージを書いた風船100個を空に放った。
 道労連によると、この日集めた署名は泊3号機の再稼働反対などを訴える内容で、7月下旬以降、約1万人分が集まっている。10万人を目標に活動を続け、9月に道議会に提出したい考え。湯本要・道労連副議長(58)は「国も道も道民の不安に応えていない。福島の事故を契機に若者の間にも将来への不安が広がっている」と訴えた。【金子淳】
毎日新聞 2011年8月12日  


泊原発再開阻止の声を届けよう!北海道知事、来週にも営業運転再開容認へ(WAN)

北海道・泊原発:3号機営業運転再開、国の安全性チェック体制評価--高橋知事 

 調整運転中の北海道電力泊原発3号機(北海道泊村)の営業運転再開をめぐり、北海道の高橋はるみ知事は12日の定例会見で、経済産業省原子力安全・保安院の最終検査の結果が内閣府原子力安全委員会に報告されたことについて、「安全委にもかけたプロセスは評価する」と国の安全性のチェック体制を評価し、営業運転再開の容認に前向きな姿勢を示した。
 海江田万里経産相が9日に「3号機は再稼働には当たらない」などと道に回答したことについても、高橋知事は「丁寧な回答をしてもらったという印象」と理解を示した。
 ただ、保安院が北電に対し、最終検査の申請を指示したとされることについて、海江田経産相が10日の電話で「指示は誤解だ」と説明したことを明かし、「道議会には(国だけでなく)『北電もけしからん』と言う方もおり、(申請の)経緯を確認する必要がある」と述べ、北電から事情を聴く考えを示した。
 また、営業運転再開に関する地元からの意見聴取は「地元4町村をはじめ、周辺町村とも連携を図り対処していく」とし、4町村以外からの聴取の可能性を示唆した。高橋知事は週明けに営業運転再開について判断するとみられる。【高山純二】
毎日新聞 2011年8月13日


泊3号機 知事、16日にも容認表明 営業運転に即日移行

 高橋はるみ知事は12日、調整運転中の北海道電力泊原発(後志管内泊村)3号機の営業運転再開を容認する考えを16日にも表明する方針を固めた。原子力政策を審議する道議会特別委員会を16日にも開き、委員会での議論と地元町村の意向を踏まえた上で海江田万里経済産業相に道として再開に同意することを伝える。海江田氏はこれを受けて検査終了証を交付、同日中にも3号機は営業運転に移行する。
 知事は地元としての意見集約に向け、11日から道議会や泊原発から半径10キロ圏内の後志管内4町村(泊、岩内、共和、神恵内)との協議を開始した。
 12日には、道議会との間で産炭地域振興・エネルギー問題調査特別委員会を16日か17日に開き、3号機の営業運転再開に対する道としての考え方を説明し、議論する方向で最終調整に入った。<北海道新聞8月13日朝刊掲載> 



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あなたも「脱原発を実現し、自然エネルギー中心の社会を求める全国署名」を!

2011-08-13 22:03:53 | 地震・原発・災害
今日のお昼ご飯は、松本楼のヘルシーセット。
岐阜にいれば、毎食、無農薬野菜尽くしなんだけど、
都会にいると、野菜が無性に食べたくなる。
  
何よりカロリー控えめで、塩分が0.8グラムなのがよい。
   
野菜やコメの味はもやっぱりわがやのほうが美味しいけれど、
ホタテと野菜のスープが美味しい。

夕方はデパ地下巡りで、いざ伊勢丹へ。
お盆の土曜日だからか、人、ひと、ひど・・・でちょっと疲れた。
いつ通っても店の前に行列ができていたチョコレート専門店の
ジャン・ポール・エヴァン(JEAN-PAUL HEVIN)のカフェが空いていたので入りました。
   
何を注文しようかと迷ったけれど、
となりの人が食べていたチョコレートアイスが美味しそうだったので、注文。

ダークチョコのアイスクリームが三つと、
べつ添えでクリームとチョコレートソースがついていました。
量は多くないのですが、濃厚で、ギュッと濃縮されていて、
チョコパフェを2杯くらい食べたような満足感です。

宿にもどって、さっそくパソコンをONにして、「カロリ」片手に、
日課になっている、P-WANのニュースアップとブログ。
東京の夜はふけていきます。

昨夜みたいに午前様にならないように、今日ははやく寝よっと。

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帰ってから、テレビを見ていたら、
心配していたことが、ついに現実になりました。


子どもの甲状腺から放射線検出
 
8月13日 NHK

東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと、福島県内の1000人以上の子どもの甲状腺を調べたところ、およそ半数から放射性ヨウ素による放射線が検出されたことが分かりました。専門家は「微量なので、健康に影響が出るとは考えにくいが、念のため継続的な健康管理が必要だ」としています。
この調査結果は、13日、東京で開かれた日本小児科学会で、広島大学の田代聡教授が報告しました。田代教授らのグループは、国の対策本部の依頼を受けて、今年3月下旬、福島県いわき市や飯舘村などで、1149人の子どもを対象に甲状腺への被ばく量を調べる検査を行いました。その結果、およそ半数の子どもの甲状腺から放射性ヨウ素による放射線が検出されたということです。田代教授によりますと、甲状腺への被ばく量は100ミリシーベルト以上に達した場合に健康に影響が出るとされています。しかし、今回検出された放射線から換算される甲状腺への被ばく量は、子どもへの影響を最大限に考慮しても、最も多い人で35ミリシーベルトで、「健康に影響が出る値ではない」ということです。田代教授は「微量なので将来、甲状腺がんが増えるとは考えにくいが、万が一の場合にも対応できるよう継続的な健康管理が必要だ」と話しています。検査の結果は、来週以降、国の対策本部から子どもや保護者に通知されることになっています。


福島県内の1000人以上の子どものおよそ半数の甲状腺から、
放射性ヨウ素が検出されたとのこと。
「微量なので、健康に影響が出るとは考えにくい・・・」なんで、
誰が言えるのでしょう。

専門家の皆さんは、だれにも「わからない」ことを、
なぜ大丈夫なんて言えるのでしょう。
事故直後に、ヨウ素剤をだれも飲んでいない事実が、
取り返しのつかないこととして、わたしの心に重くのしかかります。

一刻もはやく、原発をとめたい、止めなければ、という思いは、
確実に広がっています。

以下は、
「脱原発を実現し、自然エネルギー中心の社会を求める全国署名」の紹介。
100万人署名を目指して取り組んでいる脱原発の署名です。

署名欄から署名できますから、趣旨に賛同されるなら、
あなたも是非署名してください。

脱原発を実現し、自然エネルギー中心の社会を求める全国署名  

◆◆◆インターネット署名◆◆◆
1.インターネットでいただいた署名は、内閣総理大臣に提出いたします。これは、衆議院議長・参議院議長へ提出する署名は、自筆であることが必要だからです。
2.総署名数の発表に際しては、インターネット署名と、署名用紙署名の両方を合算します。

脱原発を実現し、自然エネルギー中心の社会を求める全国署名
趣旨

 3月11日の東日本大震災によって、東京電力福島第一原子力発電所では、1号炉から3号炉までが炉心溶融(メルトダウン)する最悪の事態が発生しました。水素爆発や工場外壁の破壊などによって、高濃度の放射性物質が海水・大気・土壌に放出されて環境を汚染する、未曾有の大事故となったのです。

 放出された放射性物質は、地域の住民や労働者だけではなく、まだ生まれていない将来の子どもたちの健康と生命にとっても、計り知れない悪影響を与えるものと危惧します。 私たちは、人間の生存を脅かす計り知れない原子力エネルギーの恐怖に、多大な犠牲を伴いながら直面することになりました。この恐怖と犠牲を、未来に残してはなりません。エネルギー政策を根本から見直すことが必要です。

 私たちは、自然を収奪し、エネルギーを無限に浪費する生活を見直し、自然エネルギーを中心とした「持続可能で平和な社会」を実現しなくてはなりません。そのために、原子力中心のエネルギー政策の転換を強く訴え、以下の事項の実現を要請します。

要請事項
原子力発電所の新規計画を中止し、浜岡をはじめとした既存の原子力発電所の計画的な廃炉を求めます。
もっとも危険なプルトニウムを利用する、高速増殖炉「もんじゅ」と、青森県六ヶ所など再処理工場の廃棄を求めます。
省エネルギー・自然エネルギーを中心に据えたエネルギー政策への転換を求めます。
以上

・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下、署名欄)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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タカノ「黄金桃と白桃のパフェ」と広島「八天堂」のくりーむパンと金魚

2011-08-12 22:24:24 | おいしいもの/食について
東京で、金魚を見つけました。
ブログの金魚とそっくりでしょ。

 
この金魚さんたち、なぜか鉢の外を泳いていますね。
わたしのブログからぬけでたのかな・・・。

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タカノフルーツパーラーの新宿西口店を見つけました。

JR新宿駅西口の地下鉄ビル内メトロ食堂街のつきあたりです。
真ん中の道は歩いていたのですが、今まで気がつきませんでした。

東京滞在中にタカノフルーツのパフェを食べに行きたいと思っていたのですが、
新宿本店は、いつみても閉店が早いのです。
新宿西口のお店は、Ⅰ日おきに、夜8時半と9時まで。


さいしょ通った時に閉店時間を確かめて、
オムレツサンドとシーズンパフェのセットと、
黄金桃と白桃のパフェが気になってました。
次は、閉店時間に間に合うように行きました。

オムレツサンドとシーズンパフェは、ずばりナイトメニューなので、
夕ご飯にぴったし。。




次の日の「黄金桃と白桃のパフェ」は、早めの夕ご飯代わりに。

このところ連日、超おいしい桃にありついてて幸せです。
次は、新宿本店の女性限定「フルーツバイキング」に挑戦したい。

パフェを食べて、少しユニクロのほうに歩いて行ったら、
広島「八天堂」くりーむパンの行列ができていました。
名古屋でも見て、気になっていたので、並んで買いました。





トロトロのカスタードクリームがやさしい甘さです。
パンもしっとりしていて、和風くりーむパンという感じ。

昼間は神経を使ってちょっと疲れているので、
夜になると甘いものが食べたくなる
今日このごろです。

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