みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

性暴力をめぐる司法の動き:千葉強かん事件最高裁判決に抗議する/京教大事件地裁判決緊急学習会報告

2011-08-11 14:52:25 | ジェンダー/上野千鶴子
2011年7月25日の千葉強かん事件最高裁判決は、
「性暴力被害者が逃げたり抵抗しなかったのは不自然」
として、被告に逆転無罪を言い渡した。

この判決に女性たちが抗議の声をあげています。

   8/15まで賛同募集】千葉強かん事件最高裁判決に抗議する!アジア女性資料センター 
2011.8.5 WAN

【転載】
アジア女性資料センターは、本日、2011年7月25日の最高裁判決
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110725145853.pdf
について、以下の声明を、最高裁長官、法務省、内閣府男女共同参画局に送付しました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
千葉強かん事件最高裁判決に抗議する:

ジェンダー偏見に満ちた最高裁の「経験則」こそ見直しを

私たちは、2006年に千葉で起きた強かん事件について、逆転無罪とした2011年7月25日の最高裁判決に強く抗議し、古田祐紀裁判官の少数意見を支持します。
最高裁が被害者のみならず被告人の人権保障の役割を果たすべきことは事実ですが、今回、最高裁が原判決の事実認定に異例の介入を行った理由は、ほぼ全面的に、被害女性の証言の信頼性に対する疑問とされています。しかし、被女性の証言を「不合理、不自然」として退ける多数意見の「経験則」は、性犯罪研究の知見や、多数の被害者の経験とは一致しません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・(以下略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2011年8月3日
アジア女性資料センター



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京都教育大事件の京都地裁判決もひどい!です。
この判決については、
「キャンパス・セクシュアル・ハラスメント全国ネットワーク」が
8.7緊急学習会を開催。
その報告がWAN(ウイメンズアクションネットワーク)サイトに掲載されています。

暴力の現実を無視した判決とメディア報道の不当性 – 京教大事件地裁判決緊急学習会報告 牟田和恵  

キャンパス・セクシュアル・ハラスメント全国ネットワーク関西ブロックでは、京教大事件京都地裁判決の問題点を問う8.7緊急学習会を、養父知美弁護士を招いて行いました(於ドーンセンター@大阪)。
養父弁護士は、今回の判決が、(1)性暴力・強姦にまつわる、「女性は嘘をつく、女性の嘘や思いこみによって男性が陥れられる」「女性の挑発で男性が誘惑される」といったステレオタイプな思いこみ/神話に縛られ、男子学生側の供述の信用性を疑う姿勢はまったく見られない、非常に偏ったものであること、(2)「明確な同意があった」としているが、女子学生が、1対6の状況のもとで、いったい、誰に対し何について同意したのかをまったく問うていない、きわめて不合理なものであることなど、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・(以下略。つづきはWANでご覧下さい)・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2011年08月08日 WAN


一連の判決について、「最近の性暴力をめぐる司法の動き」の記事も、
WANサイトにアップされています。
合わせてご覧ください。

 性暴力をめぐる司法の動き 講座報告 さんずい 

通信環境の良くないところにいるので、
今日はWAN(ウイメンズアクションネットワーク)サイトのPRを兼ねて、
関連の記事を紹介しまた。

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でました!上野千鶴子さんの最新刊『ケアの社会学―当事者主権の福祉社会へ』(太田出版)

2011-08-10 21:39:42 | ジェンダー/上野千鶴子
首を長くして待っていた、上野千鶴子さんの最新刊
『ケアの社会学―当事者主権の福祉社会へ』が届きました。


すてきな装丁です。
出版社はもちろん、『atプラス』で「ケアの社会学」を連載していた太田出版。
届いてすぐに、序文と目次とあとがきを読みました。


続きも読みたかったのですが、一気に読める本ではないので、
一章ずつ、何日かかけて読むことにします。

ケアの社会学「第14(終)章 次世代福祉社会の構想」上野千鶴子(『atプラス 01』)
(2009-08-22)


『atプラス』に連載中は、上野さんに送っていただいたり自分で買ったり、
ほとんどの号を読んだのですが、
通しで早く読みたいと思っていたので、楽しみが増えました。

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中身はわたしの折り紙つき(笑)、500ページを超える分厚い本が、
3000円以下というのも、手に取りやすい価格です。

この『ケアの社会学』で読書会がしたくなりました。
とはいえ、読み終えるのに何年かかるかなぁ。

 ケアの社会学――当事者主権の福祉社会へ 
上野千鶴子(太田出版)


書籍の説明
―超高齢社会における共助の思想と実践とは何か?!

――「ケア」関係における当事者主権とは何か?!

社会の高齢化が進む中で、今後ますます重要性を増してくる「ケア」の問題は、これまで十分に冷静な議論がなされてきたとは言えない。介護労働者が不足し、そのニーズが増す一方で、彼/彼女らの労働環境は、現在も低水準が維持され続けている。さらに「ケア」は家族の心情や道徳意識に強く働きかける領域であるが故に、主婦などの無償の奉仕労働として扱われがちである。こうした問題の批判的検討に加えて、本書はこれまでもっぱら「ケアする側」の立場から語られてきたこの問題を「ケアされる側」の立場から捉え返し、介護現場における「当事者主権」とは何かを明らかにする。

『家父長制と資本制』で切り開かれた家事労働論・再生産論をさらに先へと押し進めた、
上野社会学の集大成にして新地平!!

調査期間10年、総計500ページ超!

【目次構成】

第Ⅰ部 ケアの主題化第1章 ケアとは何か
第2章 ケアとは何であるべきか
第3章 当事者とは誰か

第Ⅱ部 「よいケア」とは何か第4章 ケアに根拠はあるか
第5章 家族介護は「自然」か
第6章 ケアとはどんな労働か
第7章 ケアされるとはどんな経験か
第8章 「よいケア」とは何か

第Ⅲ部 協セクターへの期待第9章 誰が介護を担うのか
第10章 市民事業体と参加型福祉
第11章 生協福祉
第12章 グリーンコープの福祉ワーカーズ・コレクティブ
第13章 生協のジェンダー編成
第14章 協セクターにおける先進ケアの実践
第15章 官セクターの成功と挫折
第16章 協セクターの優位性

第Ⅳ部 ケアの未来
第17章 ふたたびケア労働をめぐって
第18章 次世代福祉社会の構想


目次を見ていたら、つづきを読みたくなってので、
今日のブログはこれでおしまい。

ではまた、明日。

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放射線量:文科省がサイト開設「国の公的機関における放射線モニタリング情報リンク」/国は「除染急げ」

2011-08-09 10:25:17 | 地震・原発・災害
国(文科省)が全国の自治体の放射線量のページをリンクする、
「全国の公的機関における放射線モニタリング情報リンク』を開設した、とのこと。


 放射線量:文科省が情報集約 ポータルサイト開設(毎日新聞 2011年8月9日)  

やっと、というべきだろう。
やろうと思えば、原発事故後すぐにでもできたはずだ。

事故が起きた直後のほうが市民にとって切実に必要な情報だったけれど、
放射線値が高いうちは、放射線が危ないという声を「風評被害」として、
聞かないように仕向けて、「安全」「ただちに影響はない」と言い続けてきた罪は重い。

とはいえ、やらないよりはやったほうがまし、だろう。

   全国の公的機関における放射線モニタリング情報リンク(文科省)

原発事故のために、自分がどれだけの放射能を浴びたのか、
食べ物からどれだけの量の放射能を取り込んでいるのか、
国民は知る権利がある。

と思っていたら、
前日ブログで紹介した、京大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦さんの記事が、
毎日新聞に載っていた。

国の原発対応に満身の怒り - 児玉龍彦/今さらですが 測定も評価も難しい…内部被ばく(2011-07-30)

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「食品の汚染検査」「測定すぐやる課とコールセンター」「緊急の除染」「恒久的な除染」の政府への提言は、
市民でも納得でき、説得力があるものです。

為政者は、こういう提言に真摯に耳を傾け、
政策として「すぐやる課」を設置して、いますぐ取り組んでほしい。

放射線:「除染急げ」 東京大アイソトープ総合センター長  

 「7万人が自宅を離れてさまよっている時に、国会は一体何をやっているのですか!」。東京大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦さん(58)が7月下旬、衆議院厚生労働委員会で国の放射線対策を厳しく批判したことが反響を呼んでいる。がん治療薬開発のかたわら、「行動する研究者」として福島県南相馬市で除染活動を続ける児玉さんに、政府がなすべきことを聞いた。【聞き手・青野由利論説委員】

 --今回の汚染はこれまでの考え方では対応できないと指摘していましたね。
 ◆私たちの推計では、原発からの放射性物質の放出量はウランに換算して広島原爆20個分に上ります。しかも、原爆に比べて放射線の減り方が遅い。少量の汚染ならその場の線量を考えればいい。でも、総量が膨大な場合、粒子の拡散を考える必要があります。これは「非線形」という難しい科学になり、予測がつかない場所で濃縮が起きる。だから、稲わらによる牛肉のセシウム汚染や、お茶、腐葉土の汚染といった問題が次々出てくる。

 --食品の汚染にどう対応すればいいでしょうか。
 ◆最先端技術を使えば、たくさんの食品の汚染を一度に画像で判定できます。こうした分野で日本の技術は世界一です。メーカーに聞くと3カ月でできるという。それなのに政府は何の対策も打っていない。これから、コメや海産物の問題も出てくるでしょう。食の安全を支えるために、最新の測定装置を緊急に開発し、各自治体に多数並べ、流れ作業で検知するといった対策が必要です。

 --子どもがいる人は家の周りや学校の放射線にも不安を抱えています。
 ◆被災地のすべての自治体に「測定すぐやる課」と「コールセンター」を置くことを提案します。電話を受けたら、20~30分でいいから、家の周りや子どもが行く場所を一緒に見て回る。線量が高い場所はパッパと除染する。南相馬では、子どもだけを避難させ、家族がばらばらになっている人たちがいますが、海側などでは線量が低く、子どもがいても大丈夫な所はある。それをきちんと見て、緊急避難的な除染は「すぐやる課」が手伝うことです。

 --低線量による内部被ばくの問題は専門家の間でも意見が異なり、混乱が生まれています。
 ◆がんは何十年かの間に複数の遺伝子変異が重なって起きます。チェルノブイリ(原発事故)でも、子どもの甲状腺がんの増加が統計学的に確かめられたのは20年後です。時間がたたないとわからないので、今「安全」か「危ないか」に決着をつけるより、「測定と除染」に徹することが大事です。

 --国会では、局所的な緊急避難的除染と、地域全体を対象にした恒久的除染を分けて実施するよう主張しました。
 ◆子どもたちが安心して暮らせる環境を作るために、幼稚園などで緊急避難的に除染をしています。でも、側溝を洗った水は環境中に残る上、線量を下げるのにも限界がある。これらを根本的に解決する恒久的除染は巨大な事業になるので、「除染研究センター」を作り、まず問題点やコストを評価する。そして日本の総力を挙げ、最高の除染技術を福島に結集する。除染の方法などは住民の意見を取り入れて決める。利権がらみの公共事業にしてはだめです。何十兆円も出して「これしか除染できませんでした」ということは、日本の財政状況では許されません。

 --緊急事態に、国の動きは遅すぎますね。
 ◆私たちは、除染した後の土を残しておけず、ドラム缶に入れて持ち帰っていますが、本来は法律違反です。現行法が今回のような事態を想定していないからです。旧来の法律で手足を縛られたままで、どうやって子どもが守れるでしょう。まき散らされた放射性物質を減らすために、法整備をしてくださいと言ってきました。それを4カ月もやらずに、国は何をやっているんですか、ということです。「食品の汚染検査」「測定すぐやる課とコールセンター」「緊急の除染」「恒久的な除染」、この四つをぜひ進めてください。

 ◇「国会何やってる」 委員会発言、ネットで話題に
 児玉さんは東大医学部卒業後、内科医として臨床と研究の両方に携わってきた。96年から東大先端科学技術研究センター教授としてシステム生物医学を研究、11年からは同大アイソトープ総合センター長を兼務している。
 アイソトープ(同位元素)を使ったがん治療薬開発に取り組んでいるため、内部被ばくにも詳しい。原発事故後、福島県南相馬市の依頼で毎週末、現地に足を運び、幼稚園などで放射線量測定と除染作業を続ける。
 7月27日、衆院厚生労働委員会に参考人として出席。食品の放射能汚染で不安が広がる中、食品の放射線量測定に全力を注がず、子どもたちを守るための法整備も怠っていると、国の怠慢を厳しく批判。「放射性物質を減らす努力に全力を挙げることを抜きに、どこが安全だという議論をしても国民は絶対信用しない」と訴え、対策を具体的に提言した。その様子が動画投稿サイトなどで紹介され、話題となっている。
毎日新聞 2011年8月7日 



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【社説】核廃絶と脱原発 次世代に引き継ぐ責任/原爆忌に考える もっともっと太い声で(中日新聞)

2011-08-08 21:53:49 | 地震・原発・災害
きようは24節季の立秋(りっしゅう)。
「夏が過ぎて秋の気配がたち始める頃」だというのに、
37度を超える酷暑日のまちが続出。

岐阜もめちゃ暑かったので、少し日が落ちてから、
畑に野菜を収穫しにいきました。

  

昨日帰ったら、網戸の外にやってきた珍客、カブトムシのメス。
捕まえて箱に入れておいたら脱走。
翌日また網戸の外にいました。

同じカブトムシかと思ったら、今また
カブトムシのメスが家の中を飛んでいました。
二匹目も捕まえて、にげられないように梅酒のビンに入れました。
お腹がすいているとおもって、ウリの切れ端を入れたら、
しっかりと抱きついて夢中で食べています。

我が家の庭の腐葉土やもみ殻の山の中には、
まるまると太ったカブトムシの幼虫がいっぱいいて、
その幼虫を狙ってイノシシが土を掘り返していました。
きっとその生き残りでしょう。


気づかないうちに咲いていたリコリスの花。
  

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二日間家を空けていたので、たまった新聞を読んでいたら、
中日新聞の社説が、二日続きで、原爆と原発のことを取り上げていました。

中日新聞(東京新聞)は、原発事故について、早くから一貫して
本当のことを書きつづけている新聞です。

中日新聞、がんばれ!と、わたしは声援を送っています。

  【社説】原爆忌に考える もっともっと太い声で
2011年8月6日 中日新聞

 いつにも増して特別な日になりました。ヒロシマの歴史はフクシマの今にも続いています。たとえ核兵器が廃絶されても、この国に原発がある限り。
 爆心地から東へ四百六十メートルの広島市袋町小学校では、焼け残った西校舎の一部が、平和資料館として一般に公開されています。
 当時の面影を伝える玄関脇で、横長のパノラマ写真が来訪者を出迎えます。撮影は十月五日。「爆心地から南方面を望む」という説明がついています。

◆まさか福島で原発が
 原爆ドームを中心に、コンクリートの建物の四角い基礎の部分だけを残して、見渡す限り平たんな廃虚になってしまった広島の街。ところどころにがれきの山がうずたかく積まれ、橋の下には、壊れた家の材木がたまっています。はるか瀬戸内海に浮かぶ似島の三角形が、はっきりと見渡せます。
 原爆がテーマの朗読劇「少年口伝隊(くでんたい)一九四五」の制作者、富永芳美さん(61)の頭の中で、原爆の焦土と津波にさらわれた東北の港町が重なりました。震災翌日、袋町小学校に足を向け、写真の前で黙とうをささげると、少し気持ちが落ち着きました。でもまさか、福島で原発が爆発しようとは。
 少年口伝隊は、井上ひさしさんの作品です。昨年のこの日、本欄で「太い声で語りんさい」の見出しとともに、取り上げました。原爆で社屋を失った中国新聞社に組織された少年たちが、焼け跡を駆け回って口伝えでニュースを読んだ史実が基になっています。
 「大事なことはただ一つじゃ。かならず太い声で読まんさいよ」。この短いセリフの中に、反戦、反核の“太い声”を上げ続けた井上さんの思いが凝縮されています。さもないと、人は声の大きな方へ、便利な方へと、ついついなびいてしまうから。

◆ヒロシマから共感を
昨年の七月が広島初演。ことしも七月中に市内で計五回、うち一回は原爆を生き延びた被爆電車の中での公演でした。
 原爆投下から間もない九月、広島は枕崎台風の高潮に襲われました。脚本には「やがて広島は、汚れた水をたたえた湖になった。二千十二名の命が湖の底に沈んだ」と書かれています。
 そして、口伝隊の少年たちをむしばむ放射能。目の前で進行する福島の現実を考えたとき、演出の岡本ふみのさん(32)は「今ここで、これを演じてもいいのだろうか」と自問しました。
 岡本さんはそこでもう一度、東北や福島の現状を見直します。核の恐怖は過去のものではありません。ヒロシマ、ナガサキ、フクシマと三たび続いた核の過ちを、もうこれ以上繰り返してはなりません。だから、ヒロシマがフクシマに寄せるヒロシマならではの共感を、一人でも多くの人に伝えたい、伝えなければならないと、考えを改めました。
 岡本さんがこの夏の舞台で最も力を入れたのは、口伝隊が「進駐してきた米兵をやんわりやさしく慰めろ」という、当局からの要請を伝える場面です。
 ついこの間まで、徹底抗戦を主張していた大人たち。為政者の変わり身の早さに少年たちは「こがあ、さかへこ(さかさま)な話があっとってええんじゃろか」と憤慨します。
 “さかへこ”なのは、日本だけではありません。原爆を落とした当の米国は、終戦から八年後、米ソの緊張が高まる中で、核の平和利用を提唱し、原爆で破壊した日本に、原子炉と核燃料を与えて自陣に引き入れます。
 日本政府は米国の“厚意”にいたく感激し、核の恐怖と原子の夢を切り分けて、原子力発電所の建設に邁進(まいしん)します。当時、日米合同で広島に原発を造る提案(米下院の決議案など)さえありました。米国の世界戦略にのっとって、恐怖を夢で塗りつぶそうとしたわけです。まさに“さかへこ”です。
 長崎では、原爆の犠牲者で、平和のシンボルのような永井隆博士さえ「原子力が汽船も汽車も飛行機も走らすことができる。(中略)人間はどれほど幸福になるかしれないね」(「長崎の鐘」)と書いています。
 しかし、博士はそのすぐあとに「人類は今や自ら獲得した原子力を所有することによって、自らの運命の存滅の鍵を所持することになったのだ」と添えました。

◆原発のない次世代へ
 フクシマは教えてくれました。地震国日本では、原子の夢にまどろむことはできないと。核の恐怖と原子の夢、ヒロシマとフクシマの空は続いているのだと。
 私たちも去年以上に、もっとずっと腹の底から“太い声”を絞り出し、核兵器のない国同様、原発のない国を次の世代に残そうと、語らなければなりません。


 【社説】核廃絶と脱原発 次世代に引き継ぐ責任 
2011年8月7日 中日新聞

 六十六年目の原爆忌を迎えた広島で、核廃絶と脱原発の訴えが共鳴した。ともに人類の存亡にかかわる目標だ。次の世代に引き継ぐ責任を自覚したい。
 爆心地に近い平和記念公園で営まれた原爆死没者慰霊式・平和祈念式。首相のあいさつがこれほど注目された年もなかろう。原発事故を受け、菅直人首相が原子力政策にどう言及するのか、と。
 首相は、核兵器廃絶と世界恒久平和に向けた決意に続き、「エネルギー政策についても白紙から見直しを進めている。原発への依存度を引き下げ、『原発に依存しない社会』を目指す」と述べた。

◆平和という「救い」
 首相が原爆忌にあたり、脱原発依存に言及するのは、これまでの例から言えば確かに異例だろう。
 核兵器は「悪」で、核の平和利用は「善」という構図が、唯一の被爆国・日本でも広く受け入れられてきたからだ。
 広島市立大学広島平和研究所の田中利幸教授によると、核の平和利用は当初、被爆者の間でも受け入れられてきた、という。
 一九五五年に開かれた第一回原水爆禁止世界大会の広島アピールでは「原子戦争を企てる力を打ちくだき、その原子力を人類の幸福と繁栄のために用いなければならないとの決意を新たにしました」とうたわれている。
 核が平和利用されれば、人々の生活を豊かにでき、何より軍事利用の道を閉ざせるかもしれない。被爆者にとっては、それが「救い」になったのだろう。
 しかし、本をただせば同じ核燃料と技術である。これまで分けていたことが異常だったのかもしれない。そのことは安全神話がまかり通っていた原発が事故を起こし、思い知らされることになる。
 田中氏は言う。「核と原発はつながっているが、背中合わせだからお互いが見えなかった」と。

◆米国核戦略の一環
 核の平和利用自体、米国の核戦略の一環だったことが、近年の研究で明らかになりつつある。
 米国が平和利用を打ち出したのは五三年十二月、アイゼンハワー大統領の国連演説「Atoms for Peace(平和のための原子力)」だ。
 この年の八月、当時のソ連が水爆と思われる核実験を行うなど核開発競争は熾烈(しれつ)を極め、米ソ間で核戦争が勃発するのではないかという不安が急激に高まっていた。
 大統領演説からは、ソ連を牽制(けんせい)すると同時に、西側の非核武装国には原子力発電をはじめとする非軍事技術を提供し、自陣に留め置こうという意図がうかがえる。
 日本、特に広島は平和利用宣伝のターゲットにされた。五六年の「原子力平和利用博覧会」、五八年の「広島復興大博覧会」では、平和記念資料館に米国の協力で原子炉模型などが展示され、多くの入場者でにぎわったという。
 米国にとって被爆地のお墨付きを得ることは「平和のための原子力」を成功に導き、核戦略で優位に立つための必要条件だった。
 米国の核政策はともかく、原子力は安価で、小資源国の日本には欠かせないという意見もある。
 しかし、福島での原発事故を見れば、とても安価とは言えない。事故収束や補償の費用は優良企業とされた東京電力の存立すら危うくするほど膨大だ。そもそも核燃料サイクルは未完の技術であり、使用済み核燃料はたまる一方だ。
 原爆忌での「脱原発依存」宣言は、むしろ遅きに失したのかもしれない。政権延命意図の有無にかかわらず、目指す方向性は支持する。
 とはいえ、田中氏は「脱原発に向かってのビジョンがつくれていないのが問題だ」と指摘する。
 政府のエネルギー・環境会議がまとめた中間整理案では、首相の脱原発方針は「原発への依存度の低減に関する国民的議論を踏まえた対応」にトーンダウンした。
 原発を推進してきた経済産業省の人事は、次官以下、責任をとらせる「更迭」のはずが通常の順送り人事にとどまった。いずれも官僚の抵抗を、首相がはねつけられなかった結果だ。
 世論調査では、首相の脱原発方針を支持する意見は70%に達しているが、内閣支持率は20%前後にとどまる。国民が脱原発を支持しながらも、首相の指導力の欠如を見透かしているからだろう。

◆核とは共存できぬ
 自らも被爆し、核兵器廃絶と被爆者援護に半生をささげた故森滝市郎・広島大名誉教授は「核と人類は共存できない」と語った。
 核廃絶と脱原発。ともに実現の道は険しいが、今の世代で無理ならば、次世代に引き継いででも成し遂げねばならない目標だ。
 菅首相の責務は、脱原発依存方針を閣議で正式決定し、次の政権にも引き継ぐことだろう。政治生命を賭す価値は十分ある。


   今年初めて咲いた朝顔。
  

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【悩みのるつぼ】Q若い男の子がかわいくて:A(上野千鶴子)おもしろいオバサン役割ならOK/勉強会終了

2011-08-07 19:39:30 | ジェンダー/上野千鶴子
ウイルあいち(名古屋市)で開催した、
第二回「議員と市民の勉強会」を終了して、帰ってきました。



8/6,7「議員と市民の勉強会」@ウイルあいち~決算議会に向けて/伊吹の花たち2

昨日午後1時から、今日の3時過ぎまで、
4セッション+参加者に個別対応するオプション講座。

半月ほどかけてオリジナル資料もたくさん作成して使ったので、
準備から終了まで気が抜けない勉強会でした。

現職議員相手の勉強会なので、現場の議会で即使えるノウハウを考えました。
勉強会は、10年目ですが、毎回同じものはなく、
わたしたち講師もバージョンアップしています。

さすが疲れたので、コーヒーを飲んで、お風呂に入って一休み。

たまった新聞を読んで、PCに向かって、ブログを書いています。

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昨日出がけに、ななめ読みしていった朝日新聞beの
上野千鶴子さんの【悩みのるつぼ】をじっくり読みなおしました。

昨日の新聞なので、全文アップはちょっと気が引けるので、
(って毎回アップしてるじゃないか、とツッコミ)
抜き書きして紹介します。

  【悩みのるつぼ】若い男の子がかわいくて
主婦 30代

2011.8.6 朝日新聞be

 45歳の既婚女性です。フルタイムの仕事もしています。
 最近、若い男の子がかわいくて仕方ありません。
 大学生と高校生の娘の男友達もそうです。仕事は病院の受付ですが、ちょっとカッコイイ患者さんだと、すぐにしゃべりかけたりしてしまいます。今のところ、とくに嫌がられたりしていないと思いますが、それだけにどんどん話したくなります。
 ・・・・・・・・・・( 中 略 )・・・・・・・・・・。
 このままいくと、若い男の子を本当にお茶に誘ってしまいそうな自分がいて、こわくなります。冷静を装いながらも、若い男の子と話せるチャンスを常に考えているのです。
 こんな感情は年を取ると、徐々に薄れるものでしょうか。それとも増していくのでしょうか。
 どうしたらいいでしょう。どうか、よいアドバイスをお願いいたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
回答者:社会学者・上野千鶴子
おもしろいオバサン役割ならOK


喜寿になるわたしの友人は嵐の熱烈なファンです。CDやDVDはおろか、コンサートにも追っかけしています。
 自分の加齢を感じたら、男女を問わず若い人たちのみずみずしさがまぶしく見えるようになるのは自然。若い娘をつい誘いたくなるオヤジと同じく、若い男の子につい声をかけたくなるオバサン心も理解できます。・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・( 中 略 )・・・・・・・・・・・・・
 知らない世界を教えてくれたり、食べたこともないものをごちそうしてくれたり。若い男の子が目の前でわしわしと豪快にメシを食うのを愛(め)でるのは楽しいもの。そのために身銭を切ってごちそうしてもよいと思うくらい。これってまったくオヤジの楽しみと同じですね。このくらい自分に許してもかまいません。
 ただし相手が自分を異性として見ているだろう、なんて勘違いだけはしないこと。これだとオヤジの勘違いと同じ。きれいかどうかなんて相手は気にしちゃいません。世代の違う友人、それも話しておもしろいオバサンの役割を演じるつもりなら、どしどし声をかけたりお茶したりしてください。・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・( 中 略 )・・・・・・・・・・・・・
 気になるのが聞かれてもいないのに、「夫とはセックスレス」と書かれてあること。まちがっても夫との関係の代償は求めないことですね。これまで男性に興味がなかったとのこと、恋愛免疫のない中年の女性が若い男に狂うとダメージが大きいですから要注意。
 世代差の大きい友人関係の秘訣(ひけつ)は、自分が与えたものは相手からは決して返ってこない、と観念すること。おカネもエネルギーも時間もすべて持ち出しで、寛大で話のわかるオバサンに徹するつもりなら、友人関係はゆたかに拡(ひろ)がります。
(うえの・ちづこ)題字・イラスト きたむらさとし


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社説:原爆投下と原発事故―核との共存から決別へ(朝日)/社説:原爆の日 経験を原発にも生かせ(毎日)

2011-08-06 21:11:05 | 地震・原発・災害
議員と市民の勉強会で名古屋に来ています。
一日目が終わり、宿泊棟にチェックインしました。

原爆が投下されて66年目の原爆記念日です。
けさ読んでアップしてきた、朝日新聞と毎日新聞の
社説を紹介します。

  社説:原爆投下と原発事故―核との共存から決別へ 
2011年8月6日(土)付 朝日新聞

人類は核と共存できるか。
 広島に原爆が投下されて66年の夏、私たちは改めてこの重く難しい問いに向き合っている。
 被爆体験をもとに核兵器廃絶を世界に訴えながら、核の平和利用を推し進める――。
 核を善悪に使い分けて、日本は半世紀の間、原子力発電所の建設に邁進(まいしん)してきた。そして福島第一原発で制御不能の事態に陥り、とてつもない被曝(ひばく)事故を起こしてしまった。

■平和利用への期待
 こんな指摘がある。
 日本は、広島・長崎で核の恐ろしさを身をもって知った。なのにその経験を風化させ、いつしか核の怖さを過小評価したために再び惨禍を招いたのではないか。
 歴史をさかのぼってみる。
 かつては被爆者自身も核の平和利用に期待を寄せていた。
 1951年、被爆児童の作文集「原爆の子――広島の少年少女のうったえ」が刊行された。平和教育の原典といわれる本の序文で、編纂(へんさん)した教育学者、故長田新(おさだ・あらた)さんは書いている。
 「広島こそ平和的条件における原子力時代の誕生地でなくてはならない」
 長田さんの四男で、父とともに被爆した五郎さん(84)は当時の父の心境をこう解説する。
 原爆の非人道性、辛苦を克服しようと父は必死に考えていた。原爆に使われた技術が、平和な使途に転用できるなら人間の勝利であると――。
 平和利用への期待は、被爆体験を省みなかったためではなく、苦しみを前向きに乗り越えようとする意思でもあった。
 53年12月、アイゼンハワー米大統領の演説「原子力の平和利用」を機に、日本は原発導入に向け動き出す。54年3月、日本初の原子力予算が提案された。
 その2週間後、第五福竜丸が水爆実験の「死の灰」を浴びたことが明らかになる。原水爆禁止運動が全国に広がったが、被爆地の期待も担った原発が後戻りすることはなかった。

■影響の長期化は共通
 それから57年――。
 広島、長崎、第五福竜丸、そして福島。ヒバク体験を重ねた日本は、核とのつきあい方を考え直す時に来ている。それは軍事、民生用にかかわらない。
 放射線は長い年月をかけて人体にどんな影響を及ぼすのか。原爆についていま、二つの場で議論が進む。
 一つは原爆症認定訴訟。国は2009年8月、集団訴訟の原告と全面解決をめざす確認書をかわし、救済の方針を示した。
 しかし昨年度、認定申請を却下された数は前年の倍以上の5千件に及んだ。多くは原爆投下後、爆心地近くに入り被爆しても、放射線と病気との因果関係が明確でないと判断された。
 被爆者手帳をもつ約22万人のうち、医療特別手当が受給できる原爆症に認定された人は7210人と3%強。前年の2.8%から微増にとどまる。
 もう一つの場は、原爆投下後に降った黒い雨の指定地域を広げるかどうかなどを考える厚生労働省の有識者検討会だ。
 広島市などの調査で、放射性物質を含んだ黒い雨の降雨地域が現在の指定地域の数倍だった可能性が浮上した。指定地域にいた人は被爆者援護法に基づく健康診断などを受けられる。
 健康不安に悩む多くの住民の声を受け、国は指定地域を科学的に見直す作業を続けている。
 一方、原発事故が起きた福島では長期にわたる低線量放射線の影響が心配されている。
 福島県は全県民を対象に健康調査に着手した。30年以上にわたって経過を観察するという。
 まず3月11日から2週間の行動記録を調べ、場所や屋外にいた時間などから被曝線量を推計する。
 被爆と被曝。見えない放射線の影響を軽減するため、息の長い作業が続く点が共通する。

■次世代への責任
核エネルギーは20世紀の科学の発達を象徴する存在である。
 私たちは、一度に大量の人間を殺害し、長期にわたって被爆者を苦しめてきた核兵器の廃絶を繰り返し訴えてきた。
 世界各国に広がった原発も、同じ燃料と技術を使い、危険を内包する。ひとたび制御を失えば、人間社会と環境を脅かし続ける。その安全性のもろさが明白になった以上、原発から脱却する道も同時に考えていかなければならない。
 世界には推定で約2万3千発の核弾頭がある。原発の原子炉の数は約440基だ。
 道のりは長く、平坦(へいたん)ではないだろう。核被害の歴史と現在に向き合う日本が、核兵器廃絶を訴えるだけではなく、原発の安全性を徹底検証し、将来的にゼロにしていく道を模索する。それは広島、長崎の犠牲者や福島の被災者、そして次の世代に対する私たちの責任である。
 核との共存ではなく、決別への一歩を先頭を切って踏み出すことが、ヒバクの体験を重ねた日本の針路だと考える



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社説:原爆の日 経験を原発にも生かせ 

 原爆が投下されて6日で66年。今年の夏は、いつもと様相が異なっている。3月11日に発生した東日本大震災は東京電力福島第1原発事故を引き起こした。地震と津波で壊滅した東北の町並みと、放射性物質による汚染によって住民が避難を余儀なくされた福島を、爆風と熱線によって廃虚と化した故郷と重ね合わせた広島と長崎の被爆者は少なくない。私たちは原子力の利用がはらむ危うさと今、向き合っている。
 今年の平和記念式典で読み上げられる「平和宣言」は原発事故を反映したものになる。
 広島市は初めてエネルギー政策の早急な見直しと具体策を政府に求める。引用するのは、核の軍事、平和利用双方に反対を唱えた被爆者で、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)議長などを務めた故森滝市郎氏の「核と人類は共存できない」との言葉だ。長崎市は、「脱原発」の言葉こそ使わないが、原発からの将来的な脱却を明確に打ち出す。
 被爆者・反核団体にも変化が見える。被爆者の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会」は1956年の結成以来初めて全原発の順次停止・廃炉を求める「脱原発」を運動方針に掲げることを決めた。
 放射線被害に苦しんできた経験を踏まえ、原発の周辺住民や作業員に「健康管理手帳」を交付し、定期的な健康診断を実施するよう求める要望書を政府などに提出した。
 原水禁も、原発事故を受けて初めて福島で世界大会を開催し、「脱原発」を訴えた。
 運動は一枚岩ではない。「平和運動と日本のエネルギー政策にからむ原発の是非は分けて考えるべきだ」という主張があるのも事実だ。
 すさまじい破壊力で一瞬にして大量の放射線を放出した原爆と、低線量の放射性物質の影響が広範囲で続く原発事故の違いは大きい。だが、人々が放射線被ばくによる不安に長年苦しめられる点は共通する。
 原発事故の場合、低線量被ばくの影響に未解明の部分があることが不安を大きくしている。原爆との違いも考慮したうえで、広島と長崎の被爆者を対象に放射線の影響を調査している放射線影響研究所など、専門研究機関が蓄積してきた専門知識やチェルノブイリ事故の経験を住民の健康管理に積極的に活用したい。
 核兵器と原発はこれまで切り離して考えられてきた。近年は原子力に対する「安全神話」も浸透していた。しかし、福島の事故は原発の危険性に改めて目を向けさせた。唯一の被爆国としての経験を原発対策にも生かしながら、従来にも増して核廃絶のメッセージを発信し続けるのが私たちの責務である。
毎日新聞 2011年8月6日


 余録:「3・11」後の原爆の日

 米国に亡命した伊物理学者フェルミは人類初の原子炉を作り、核分裂の制御に成功した。彼は原爆製造計画にもかかわり、1943年春にその主導者オッペンハイマーにある提案をした▲原子炉で生成する放射性物質をドイツ人の食料に盛れないものか--ナチスが同様の放射能兵器を先制使用してくるのを恐れての提案だった。だが、その効果を疑ったオッペンハイマーは記録に書き込んだ。「50万人ぐらい殺せない限り計画を試みるべきではない」▲念のためにいうと、フェルミは後に水爆開発に倫理的理由で反対し、オッペンハイマーは広島・長崎への原爆投下を「科学者は罪を知った」と悔やんだ。そんな普通の良心を備えた天才科学者たちが悪魔も尻込みするやりとりを平然と交わしていた核開発の出発点だ▲オッペンハイマーらの原爆は、広島・長崎上空の火球でおびただしい数の生命を奪ったばかりではなかった。被爆直後の急性放射線症に始まる原爆症の苦しみと死を今日に至る戦後史に刻んだ。放射能兵器の悪魔的アイデアはつまるところ実現してしまったのである▲その66回目の原爆の日は、原発事故による放射能不安の中で迎えることになった。軍事利用と平和利用に分かれた戦後の原子力だ。しかし、それを手にする人間を時に途方もない思い上がりに誘い込み、大規模な惨禍を招き寄せるのはこの技術の誕生時からの宿命か▲当面の汚染対策はもちろん、今後長きにわたる事故炉や放射性物質の処理で、またも原子力技術の負債を国民的十字架として負った日本人である。その歩むべき道に深く思いをめぐらさねばならない8月だ。 
毎日新聞 2011年8月6日


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8/6,7「議員と市民の勉強会」@ウイルあいち~決算議会に向けて/伊吹の花たち2

2011-08-05 20:53:36 | 「市民派議員塾」「M&T企画 選挙講座」
7月の伊吹山のお花の写真がたくさん撮ってあるのですが、
まだアップしてなかったので、昨日に続いて、紹介します。

   

  

  

伊吹山頂から西(琵琶湖)をのぞむ
   

  

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明日あさっては第2回 「議員と市民の勉強会」。
テーマは《決算審査を使いこなし予算へつなぐ~決算は政策の事後評価》。

初日は、午後1時から開始して夜まで
そのままウイルあいちに泊まって、翌日は9時から3時までの長丁場。

今日ははやく寝たいけど。まだ資料の準備があって寝られそうもない。
できあがつた、タイムスケジュールをアップします。

  2011年 第2回 「議員と市民の勉強会」~内容およびスケジュール詳細

テーマ《決算審査を使いこなし予算へつなぐ~決算は政策の事後評価》


8月6日(土)13時~7日(日)12時 ~オプション15時 
(会場:ウイルあいち)
《講師》寺町みどり&ともまさ
《担当スタッフ》島村紀代美/小川まみ 

《内容およびスケジュール》

【セッションA】
テーマ《議会で働くために必要な各種の基本を身につける》 

   
1)議会運営の原則/議会とはなにか-基本的な議会のルールと流れ
・議会運営の問題点-議会の内と外の区別を明確にしよう
2)議会改革に取り組む基本/所属議会の申し合わせの問題点を知る
・申し合わせ・慣例の見直し/改善する方法 
●1プレゼン「会議規則・委員会条例と、申し合わせのかい離を見つけて報告する」
●ディスカツション「慣例・申し合わせを文字化してないことの是非」         

【セッションB】 
テーマ《基礎自治体の基本政策》


1)基礎自治体の基本政策(テーマ別)/政策とは何か~政策集をもとに
・政策のなりたちと構成 (次回第3回の課題の説明もする)
2)各自治体で共通する政策(法・制度のあるもの)/自治体独自の政策

ワークショップ《一般質問-1》
●テーマ「一般質問の事後評価」「一般質問を組み立てる」

【セッションC】
テーマ《9月議会の一般質問で望む答えを獲得しよう》


1)事後評価を事前評価につなぐ/6月議会の反省と課題
 6月議会の一般質問(前回提出のテーマ)の事後評価
2)9月議会で取り組むテーマを「一般質問」として組み立てる

ワークショップ《一般質問-2》
●テーマ「一般質問の事後評価」「一般質問を組み立てる」
 
【セッションD】
テーマ「決算審査を使いこなし、予算へつなぐ~決算は政策の事後評価」


1)総論「決算とはなにか」/決算審査は政策の事後評価
決算審査の重要性~決算全体の問い直し
2)決算審査の流れ/決算審査は自治体によってばらつきがある
決算審査の着眼点/決算書を読む
3)ワークショップ-決算審査に向けて

【まとめ】
第2回「議員と市民の勉強会」で得たもの
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★【オプション講座】
参加者の抱える問題の解決方法をアドバイスする



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【10/6・上野千鶴子&島今日子さん対談】『〈わたし〉を生きる―女たちの肖像』刊行記念トークイベント

2011-08-04 17:48:56 | ジェンダー/上野千鶴子
7月に登った伊吹山。
山頂付近は日本有数のお花畑です。
わたしたちが行った後、台風によるがけ崩れで
ドライブウェーが通行止になっていたのですが、
明日5日から開通します。

きっと7月とは違うお花が咲き乱れているのでしょう。
また行きたい!
  

   

   

昨年末から続けてきた上野千鶴子さんの
『女ぎらい~ニッポンのミソジニー』読書会も、8月でいよいよ最終章。
この本の編集者と、先日紹介した島今日子さん著
『〈わたし〉を生きる―女たちの肖像』(紀伊國屋書店)の編集者は同じかた。

とてもすてきな方で、上野さんつながりで知り合って、
島崎さんの本も送ってくださったのです。
もちろん! 女性、です。

上野千鶴子さん登場の新刊二冊~『“わたし”を生きる―女たちの肖像』
『脱原発社会を創る30人の提言』(2011-07-27)


ちょうど今日、PCの前で仕事をしていたら(ここ半月ほど朝から晩までですが)、
『〈わたし〉を生きる―女たちの肖像』の著者の島崎今日子さんと、
上野千鶴子さんの刊行記念トークイベントが、10月6日にリブロ池袋であると知らせてくださいました。

イベントはすでにホームページで公開され、チケット販売がはじまっています。

参加チケットは1000円とめちゃお値打ちですが、定員は100人。

きっとすぐに満員になってしまうので、聴きたい人は、お早めに
「リブロ池袋本店書籍館地下1階リファレンスカウンター」まで。

  10月6日(木)島今日子『〈わたし〉を生きる―女たちの肖像』
刊行記念トークイベント「規格外な女たち」
 
 

ジェンダーをテーマとして幅広いジャンルで取材・執筆活動を続けるジャーナリスト・島今日子さんが、少女マンガの神様・萩尾望都、高卒OLから巨大企業の会長にのぼりつめた林文子、女子プロレスブームを巻き起こした長与千種など、さまざまな分野の先駆者・改革者として活躍してきた16人の女たちを描いた『〈わたし〉を生きるー女たちの肖像』の刊行を記念して、ジェンダー研究のパイオニア・上野千鶴子さんとのトークイベントを開催致します。
2人がこれまで出合ってきた、前例に関係なく道なき道を切り拓いてきた女たちの生きざまから、これからの女子の生き抜く道までを語り合うトークライブ。インタビューの名手としても知られる2人が、どのように対象に切り込んできたのか、その極意についても語ります。

日時:10月6日(木) 午後7時~
会場:西武池袋本店別館8階池袋コミュニティ・カレッジ コミカレホール
定員:100名
参加チケット:税込1,000円

チケット販売場所:リブロ池袋本店書籍館地下1階リファレンスカウンター
お問合せ:リブロ池袋本店 03-5949-2910

【プロフィール】
島今日子:1954年京都生まれ。ジャーナリスト。インタビューの名手として知られ、ジェンダーをテーマに人物・時代・メディアなど、幅広いジャンルで取材・執筆活動を続ける。著書に『この国で女であるということ』(ちくま文庫)、『女学者丁々発止!』(学陽書房』、『芸人女房伝』(集英社文庫)など。

上野千鶴子:1948年富山県生まれ。社会学者、NPO法人ウィメンズ・アクション・ネットワーク理事長、東京大学名誉教授。女性学、ジュンダー研究のパイオニア。1994年『近代家族の成立と終焉』でサントリー学芸賞を受賞。『家父長制と資本制』(岩波書店)、『女ぎらい』(紀伊国屋書店)など著書多数。『おひとりさまの老後』(法研)は75万部のベストセラーに。
撮影:松本路子


ところで、リブロ池袋本店って、どこにあるんだろう・・・?
もうすぐ東京に行くので、チケット買いに行きたいんだけど、
わたしのブログを見て申し込みが殺到して、
満席になってしまったら・・・と悩ましい(笑)。

広い東京のこと、迷子になるといけないから、まずはGoogle地図で探してみよっと。


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ついでに、と言ってはなんですが、

上野さんが「ちづこのブログNo.12」を更新されました。



『〈わたし〉を生きる―女たちの肖像』と一緒に紹介した、
『脱原発社会を創る30人の提言』の記事です。



「あとは本を買って読んでくださいね」とのことなので、ブログの冒頭部分だけ紹介。

わたしはもう読みましたが、これだけ読めば、福島原発事故後の
「いまとこれから」がわかる、おススメの本です。


  『脱原発社会を創る30人の提言』 ちづこのブログNo.12   

『月刊うえの』と言われるぐらい、このところ新刊が次々にでていますが、そのうちのひとつを、ご紹介。

脱原発社会を創る30人の提言

著者/訳者:池澤 夏樹 坂本 龍一 池上 彰

出版社:コモンズ( 2011-07-15 )


--------------------------------------------------------------------------------
.『脱原発社会を創る30人の提言』(コモンズ、2011年)が出ました。

30人とは、以下のひとびと。

池澤夏樹、坂本龍一、池上彰、日比野克彦、上野千鶴子、大石芳野、小出裕章、後藤政志、飯田哲也、田中優、篠原孝、保坂展人、吉原毅、宇都宮健児、秋山豊寛、藤田和芳、纐纈あや、上田紀行、仙川環、崎山比早子、大島堅一、斎藤貴雄、星寛治、明峰哲夫、中村尚司、瀬川至朗、高橋巌、菅野正寿、鈴木耕、渥美京子。

順不同。順番は50音順でもありません。なぜだかこの順番で表紙に載っているのをそのまま記載しました。

コモンズは良心的な出版活動を続けてきた小出版社。名前のとおり、コモンズ(共有地)を用いて、知のコモンズ(共有知)をめざそうとしています。編者の名前はありませんが、版元のコモンズ代表の大江正章さんが、これまで食と環境、自治と地域にかかわった出版活動のなかから培ってきた著者とのネットワークがまるごと生きています。大手の出版社が「原発に関する発言○○人」と出すラインナップとは、ひと味違います。初版5千部はただちに売れて、再版したそうです。

版元のお許しを得て、わたしの「提言」のなかから冒頭部分を。全文引用はかんべんしてください、との版元からのご依頼があって、公開はここまで。あとは本を買って読んでくださいね。

・・・・・(以下略・続きを読みたい方は「ちづこのブログNo.12」へどうぞ)・・・・・
(WAN上野千鶴子web研究室)


おまけ。
 「フェミニズムの先駆者」に誇り 退職の上野千鶴子が特別講義(朝日新聞)の記事。

この記事へのアクセス、とっても多いので再掲します。

 「フェミニズムの先駆者」に誇り 退職の上野千鶴子が特別講義 
2011年7月28日  朝日新聞
 
 今年3月に東京大学を退職した社会学者・上野千鶴子の特別講義が9日、東大で開かれた。3月に予定されていた最終講義が、震災の影響で延期されていた。
 上野は1982年、『セクシィ・ギャルの大研究』で論壇デビュー。フェミニズムと女性学の代表的な論客として活動し、老後の女性シングルの生き方を論じた『おひとりさまの老後』(2007年)は、ベストセラーになった。
 自らを「女性学というベンチャーの創業者」という上野は、フェミニズムを「女性解放の思想と行動」、女性学を「フェミニズムのための理論と研究」と定義し、車の両輪にたとえた。70年代のウーマンリブ運動からフェミニズムが、さらにその実践を言語化、理論化するために女性学が生まれたという。
 女性学は当事者の学問であり、40年前に、大学の外で民間学として始まった。『当事者主権』という共著書もある上野は、当事者の権利とは「私の運命は私で決める、という誰にも譲り渡すことのできない至高の権利だ」とする。社会的弱者はその権利を長く奪われてきたが、いまや女性学だけでなく、患者学、ケア学など、「弱者」とされてきた当事者の視点に立った学問は大きな潮流となった。
 「超高齢化社会が来てよかったと思っている。かつて強者であった人も、最後には誰かに支えてもらわないと自分の生を全うできない。強者も、自分が弱者になる可能性を想像しなければならない社会だからです」
 フェミニズムも女性学も、その意味では、女性だけのためのものではない。弱者が弱者として尊重される社会をめざすものなのだ。
 「フェミニズムの権威、とは呼ばれたくないが、パイオニアと呼ばれることには誇りを持っている」
 もちろん、それは一人が切り開いたものではない。上野自身、19世紀末までさかのぼる女性運動の先人たちから「バトンを受けついできた」という自覚がある。
 「私はフェミニズムの評判がどんなに悪くなっても、この看板は下ろさない。語る言葉を持たなかった女たちが、言葉をつくるために悪戦苦闘してきた。その先輩たちのおかげで私はいる」
 上野が講演の最後をこう締めくくると、教え子も多数詰めかけた会場に万雷の拍手が響いた。
「恩返しのために、次の世代へ渡す時期が来た。バトンは受け取る人がいないと落っこちてしまう。どうぞ受け取って下さい」
 この講義の模様はインターネットで視聴できる(http://wan.or.jp/)。(樋口大二)
 

   

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被爆国である日本だからこそ核施設のような原発はいらない!/危険な原発から廃炉に 核燃サイクル幕引き

2011-08-03 20:10:49 | 地震・原発・災害
仕事の合間をぬって、女性二人で息抜きに鷺山の
「ヒコ・ハヤシ」に行ってきました。

おいしいケーキをいろいろ食べたかったので、
おススメはと聞いたら「シェフのおすすめ3種盛り」とのこと。

きょうのケーキは?と聞いたら、届くまでのお楽しみでナイショとのこと。

「シェフのおすすめ3種盛り&珈琲」を注文しました。
   
甘さ控えめでおいしかったです。
コーヒーは・・・わたしのほうがおいしく淹れられます。

毎日新聞が、ここへきて脱原発、代替エネルギーの特集や、
社説を精力的に載せています。

昨日の社説は、「原子力政策」。
「危険な原発から廃炉に 核燃サイクル幕引きを」。

老朽化した原発から廃炉にすることを提案している。

想定を超えた老朽化は日本原電敦賀1号機(福井県、70年操業開始)とのこと。
なんと42年も前の原発。
高速増殖原型炉「もんじゅ」も同じ福井県敦賀市にある。

頭の上(風上)に、いつ事故が起きてもおかしくない
危険な原発があっては、枕を高くして寝られない。

おりしも、
福島原発事故のショックが引き金になって、
「核兵器・原発をなくそう」と訴え続けていた沼田鈴子さんがなくなった。

 特集ワイド:「アオギリの語り部」沼田鈴子さんの死が問うもの 
核と人は共存できない(毎日新聞 2011年8月3日)
 


なくなる前の沼田さんの、最後のメッセージを読むと、
胸が締め付けられる思いです。

 <今年は被爆66年ですが、今は本当に平和とは言えません。「原発がいつか爆発するのでは……」と私はずっと心配してきました。においも形もないが、残留放射能がどんなにおそろしいものかしっかり知ってほしいと思います! 核兵器廃絶は口先だけの軽い運動ではありません。命にかかわること、いついかなるときに起こるかわからないことを自覚してほしいと思います。被爆国である日本だからこそ、「核施設のような原発はいらない!」と声をあげていくべきではないでしょうか>(要旨)


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 社説:危険な原発から廃炉に 核燃サイクル幕引きを 

自然は予測がつかない。原発事故は広い範囲に回復不能なダメージを与える。その影響の深刻さにたじろぐ5カ月だった。
 地震国日本で重大な原発事故のリスクはこのまま許容できない。私たちは「原発の新設は無理」との認識に立ち、「既存の原発には危険度に応じて閉鎖の優先順位をつけ、減らしていこう」と提案してきた。
 こうした仕分けを実行に移していくには、それぞれの原発のリスクの見極めが必要だ。
 東京電力福島第1原発では、大津波が重大事故の引き金を引いた。備えの甘さや、初動の遅れなど、人災の部分は検証を待つ必要があるが、地震や津波のリスクはあらゆる原発で見逃せない。
 私たちが「まず考慮を」と指摘した浜岡原発は、政府の要請に応じて停止された。東海地震の被害に予測不能の部分があることを思えば、今後は廃炉を考えていくべきだ。

 ◇老朽化がひとつの指標
 ただし、忘れてはならないのは、大地震のリスクは日本中にあり、浜岡さえ止めれば安心というわけにはいかないことだ。「過小評価」と指摘されたことのある活断層の再検討はもちろん、津波堆積(たいせき)物などから過去の地震を積極的に推測し、考慮に入れる。それでも想定できない地震があることまで念頭に入れ、リスク評価することが大事だ。
 「老朽原発」のリスクも多くの人が心配している。日本には法律で規定された原発の寿命はない。30年で老朽化の評価と国の認可を義務づけ、40年、50年と延命策をとる。背景には、新たな立地の難しさや、運転を延長するほど電力会社の利益になるという経済の論理がある。
 しかし、古い原発には弱点がある。原子炉や発電所の設計に安全上の欠点があっても、新たな知識を反映させにくい点だ。構造物自体の経年劣化が見逃される恐れもある。
 福島第1原発1~4号機はマーク1型の原子炉を使い、33~40年運転してきた。マーク1は米ゼネラル・エレクトリック(GE)社が1960年代に開発した旧型炉で、米国でも危険性を指摘する声があった。
 福島第1原発では、重要な機器が津波の被害を受けやすい場所にあったり、ベント(排気)の不調が指摘されるなど、古さが事故の一因となった可能性が否めない。
 国内54基のうち、運転開始から30年以上40年未満のものが16基、40年以上が3基ある。今後は、「40年以上」「旧型」を指標に老朽原発を廃止していく。30年を超えた原発も老朽化の影響を再検討すべきだ。
 強い地震動に揺さぶられたリスクも徹底検証すべきだろう。今回の地震でも福島第1以外に、東北電力女川原発などで一部の揺れが耐震指針の想定を上回った。07年の新潟県中越沖地震で想定を超えて揺れた東電柏崎刈羽原発についても、福島の経験を踏まえた再検討が必要だ。
 こうしたリスクを認識した上で、私たちは既存の原発を一度に廃止することは現実的でないと考えてきた。他の電源で十分な電力供給ができない場合には、再稼働も必要となるだろうが、その場合には安全性を厳格に審査すべきだ。

 ◇総合的なリスク評価を
 老朽化も含め、想定外の事象にどれほど余裕をもって耐えられるか総合的に評価し、リスクに応じた仕分けを行う。弱点を明らかにして対策を取り、安全対策コストが割に合わないものは廃炉につなげる。
 国が進める安全評価(ストレステスト)は、それをめざしているはずだが、根本的に検討する姿勢が見られない。少なくとも福島の事故調査を踏まえて評価する。規制機関が信頼を失っている以上、独立した専門家チームの点検や、公開訓練なども求められる。
 現在、原子力安全委員会は、福島の事故で不備が明らかになった安全設計審査指針や耐震指針などの抜本的見直しも進めている。これが終わらないうちは、政府のストレステストに「合格」しても、仮免許にすぎない。そうしたこともよく説明した上で、地元や国民の判断をあおぐ必要がある。
 建設中の原発についてもそのまま進めることには疑問がある。凍結してリスクを再評価すべきだ。新設はせず、今後の政策を考えたい。
 こうしたリスク評価の際に気をつけなくてはいけないのは、「動かすために、リスクを低く見積もる」という落とし穴に陥らないようにすることだ。あくまで、「リスクに基づき、動かすかどうかを判断する」という姿勢に徹しなくてはいけない。
 今回の事故では防護壁のない使用済み核燃料プールの危険性も明らかになった。小手先でない安全策を取ることも求めたい。
 日本はこれまで、核燃料サイクルを原発政策の要としてきた。原発で燃やした後の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し、高速増殖炉で燃やす政策だ。
 しかし、今回の大事故が起きる前から核燃料サイクルの実現性と安全性には大いなる疑問があった。サイクルの両輪をなす再処理工場(青森県六ケ所村)と、高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)は、いずれも度重なるトラブルで、将来の見通しが立たない。

 ◇研究拠点・人材を福島へ
 再処理工場は当初97年に完成予定だったが、すでに18回延期され、コストは3倍近くに膨れ上がった。もんじゅは、運転開始直後に火災で止まり、昨年、14年半ぶりに起動したとたんに事故を起こした。もんじゅの先にある実用化は予定が公表されるたびに先延ばしになり、実現性は見えない。
 二つの施設が抱えるリスクも見逃せない。再処理工場では大量の使用済み核燃料がプールに保管されている。もんじゅは、冷却材に水ではなくナトリウムを用いる。ナトリウムは水と反応して激しく燃える。福島のように冷却機能が停止した場合に、外から水をかけ続けて冷やすことはできない。
 政府は先月「減原発」の方針を示した。原発を減らしていく以上、核燃料サイクルは、すみやかな幕引きに向かうべき時だ。サイクルにかける費用は、福島対策に回した方がいい。使用済み核燃料は直接処分する。再処理してもしなくても最終処分場の場所探しは困難だが、原発を減らしていけば、たまり続ける使用済み核燃料の増加も抑えられる。
 サイクルをやめても国内外で再処理した日本のプルトニウムは推定で40トンを超える。核不拡散の観点から、その処理方策も早急に考えたい。
 原発や核燃料サイクルからの脱却を進めていく際に人材が失われることを危惧する声は強い。当面の間、原発を動かし続けつつ、安全で効率的な廃炉を進めるためには、一定の人材を育成・確保しておかなくてはならない。
 そのための工夫を考える必要がある。たとえば、福島を原子力安全や廃炉技術、放射線管理や放射性物質の除染などの研究拠点とし、世界から人材を集める。そこで得た知識を国際的に役立てることを考えてはどうだろうか。
 今後、世界では原子炉の安全管理や廃炉技術の重要性が増す。日本が今回の経験を生かすことは事故を起こした国の責任でもある。
毎日新聞 2011年8月2日 
 


 記者の目:玄海2、3号機の再稼働問題=阿部周一(西部報道部)

◇脱原発へ、具体的手順を示せ
 佐賀県玄海町の九州電力玄海原発2、3号機を再稼働させるべきか。真夏の電力ピークが迫る中、全国に先駆けて議論の的になったこの問題は、菅直人首相が安全評価(ストレステスト)を突然持ち出したことで秋以降に持ち越された。安全対策もそこそこに、遮二無二再稼働を目指そうとした拙速に「待った」が掛けられたのは当然だが、一方で、このままでは年度末までに全国の原発がすべて停止する。周辺自治体や住民の、政府と電力会社への不信感が一連の「やらせ」で極まる中、事態打開には、脱原発の道筋を具体的に示す以外にない。その第一歩は老朽炉の停止だと思う。

 ◇早期の再開を容認する構図
 再稼働を巡るなし崩し的な動きには疑問ばかりが募った。7月1日、佐賀県議会でこんなやり取りがあった。やり玉に挙がったのは、九電が福島の事故を受けて実施した緊急安全対策。全電源が途絶えても蒸気で給水ポンプを動かし、原子炉を冷やすという計画を巡る質疑だ。緊急時には、このポンプが唯一の頼みの綱になる。
 県議「ポンプも壊れたらどうなるのか?」
 県幹部「過去に故障したことがない。信頼性は高い」
 この答弁に、県議が「そのような考えで、福島では全電源喪失に至ったのではないか」とかみついたのも無理はない。県側は答えに窮した。その2日前、「安全性の確認はクリアした」と再稼働容認を打ち出したばかりの古川康知事は「何も安全対策が100点満点とは言わない」としどろもどろ。傍聴席からはため息と失笑がもれた。
 夏の電力供給不安を盾に、経済産業省や電力会社が早期再稼働を迫り、原発マネーで潤う立地自治体はやすやすと容認に流れる--そうした構図は、少なくとも九州では福島の事故後も変わっていないようにみえる。
 ただ一方で、「玄海原発1、4号機は現に動いている。なぜ2、3号機ばかり問題視するのか」(佐賀県幹部)という疑問も、ある意味でうなずける。再稼働の是非論は原子力安全・保安院が打ち出した緊急対策が有効か否かという議論に矮小(わいしょう)化されがちだ。全国の54基を見渡して、ここは当面動かす、ここは止めるという冷静な戦略が求められるが、そうした方向は、政府からは示されていない。

 ◇圧力容器劣化の老朽炉まず停止
 そこで判断材料の一つになるのが原子炉の老朽化だ。
 例えば玄海1号機。75年に操業開始し、現在も稼働中だ。この古い原発の圧力容器が異常に劣化している。容器内壁が中性子を浴びてどれだけもろくなったかを示す指標「脆性遷移(ぜいせいせんい)温度」が、09年4月の計測時点で国内最悪を記録し、九電の従来の想定を大きく超えて劣化していることが明らかになったのだ。井野博満・東大名誉教授(金属材料学)は「緊急時に急激に冷やすと容器が割れる恐れがある」と指摘する。原発容認派が多い佐賀県議会や玄海町からも、1号機については「廃炉も検討すべきでは」との声が上がる。
 井野名誉教授によると、想定を超えた老朽化は日本原電敦賀1号機(福井県、70年操業開始)でも認められる。そもそも原発の寿命は30年とされてきたが、今は倍の60年まで持たせようとしている。減価償却が済んだ後の原発は電力会社にとってドル箱になる。が、圧力容器を交換する技術はないから中性子による劣化は回復しようがない。複数の老朽炉は前回の計測から既に10年以上経過しており、それらを調べ直さずにストレステストをしても、一体何が分かるのだろう。
 原発林立前夜の光景を振り返ってみたい。73年11月、九電は玄海1号機の操業開始を控えて原発敷地内で「質問に答える会」を開いた。約20人の住民が集まったが、当時、誰も原発の知識をほとんど持ち合わせていなかった。
 中学教諭だった玄海町の坂本洋さん(77)は、「放射能は外に出ない」と繰り返す九電社員が、原子炉建屋の設計図に記された煙突形の設備について尋ねられた場面を覚えている。社員は長く黙り込んだ末、小さな声で「排気筒です」と明かした。フィルター越しに放射性物質を含んだ気体が放出されることすら国民は知らされていなかった。
 国民不在のまま原発は船出し、刻一刻、寿命とされた年限を超えて老朽化が進んでいる。運転30年を過ぎた原発は国内に19基ある。菅内閣は「2050年までに減原発」という長期方針を掲げたが、具体的手順を示さなければ、単なる問題の先送りだ。

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 ご意見をお寄せください。〒100-8051毎日新聞「記者の目」係/kishanome@mainichi.co.jp
毎日新聞 2011年8月2日
 


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加藤哲夫著・市民の仕事術I&II『市民のネットワーキング』『市民のマネジメント』/初物ミョウガ

2011-08-02 19:42:09 | ジェンダー/上野千鶴子
31日提出期限の『議員と市民の勉強会」の課題のファイルが参加者からちゃんと届かなくて、
朝からトラぶっていたので、その対応に追われながら、勉強会のセッションの準備。

けっきょく、きょう予定していた仕事は半分もすすまず、
こういうときは、集中力も途切れるので、早めに切り上げてブログを書いています。


ともちゃんが、畑からミョウガをとってきてくれました。
数年前に、庭から畑のユリノキの下に植え替えたのが、今ではびっしり生えています。

わたしは、生のミョウガは、あまり好きではないのですが、
甘酢漬けはなんとか食べられるようになりました。
  
さっそく甘酢漬け作り。
さっとお湯にくぐらせると,緑色に変わり、
酢につけると赤くなります。


左が酢漬け、右が、薬味用の生の千切り。


韓国冷麺に乗せて、おいしくいただきました。

 食用ホウズキ(ホタルノタマゴ)   

島オクラの花と実   

イチジク・バナーネ(秋果)もたくさん 

  

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『市民のネットワーキング  市民の仕事術I』『市民のマネジメント 市民の仕事術II』を読みました。
仙台在住の加藤哲夫さんの著書、上野千鶴子さんが解説を書いていて、
とてもおもしろいというか、ためになる本です。



加藤哲夫さんにはお会いしたことはありませんが、
80年代に『自然食通信』に本の紹介の連載をしていて、
おなじころ、わたしも『自然食通信』に連載記事を書いていたので、
楽しみに読んでて、このユニークな書評にのっている本をずいぶんかって読みました。

   蝸牛庵日乗(加藤哲夫のブログ)

 NPOのマネジメント術 ちづこのブログ No.9
WAN上野千鶴子web研究室

友人の加藤哲夫さん(せんだい・みやぎNPOセンター代表)が、新刊を出しました。『市民の仕事術』I&II、Iが「市民のネットワーキング」、IIが「市民のマネジメント」です。ながいあいだ、NPOの先陣を走ってきた加藤さんならではの、経験と知恵がいっぱいつまった本です。

頼まれて、わたしが「解説」を書きました。ものすごい過密スケジュールだったのに、断り切れなかったからです。でも、書いてトクしたのは、わたしのほうでした。

ご本人と版元の許可を得て、その「解説」の全文を以下に転載します。最後まで読んでくだされば、なぜわたしがこの文をこのブログに載せたいと思ったかが、わかっていただけるでしょう。そして実際に加藤さんの本を手にとって、読んでみてください。もうじきBookstore WANに紹介記事が出る予定です。

****************************

加藤哲夫著『市民のネットワーキング 市民の仕事術I』『市民のマネジメント 市民の仕事術II』

発行・メディア・デザイン、発売・本の森、2011年

解説     上野千鶴子


 てっちゃん、と呼ばせてください。てっちゃんは会ったときからてっちゃん、でした。初対面なのに、前から知っているような気分にさせました。かまきりみたいな風貌なのに、人当たりはやわらかく、シャープなアイディアマンなのにおしつけがましくない。いつのまにか他人を巻きこんでいるこの人は、NPOの時代にいつのまにか時代の先端を走っていました。

そのてっちゃんがこのわたしに、解説を書け、といいます。このひとのしごとに、そしてこのひとのわかりやすい表現に─なにしろ『市民の日本語』(ひつじ書房)の著者ですからね─どんな解説もいりません。解説は書けませんが、ラブレターなら書けます。きっとてっちゃんの下心もそのへんにあったかも?(笑)

てっちゃんは「せんだい・みやぎNPOセンター」の創設者であり、代表理事です。てっちゃんのNPOは、仙台市市民活動サポートセンターの指定管理者をはじめ、多賀城市市民活動サポートセンターや名取市市民活動支援センターの受託者にもなっています。そのせいで、宮城県と仙台市はいちやく日本のNPO支援の最先端地域になり、各地から学びにくるひとが絶えないモデル地区となりました。いえ、もっと正確にいうと、自治体がてっちゃんたちを指名したのではなく、てっちゃんたちが自治体を動かしてNPO支援センターをつくらせたのです。そしてお役人がやるよりずっとよい、と指定管理者に名乗りをあげたのです。しかも、民間のファンドや情報開示のしくみなど、行政とは別のサービスもちゃんと築いてきました。宮城県と仙台市がNPO先進地域として知られるようになったとしたら、そこにてっちゃんという人材がいたからです。そしててっちゃんが人材を育てたからです。

 てっちゃんはNPOがNPOと呼ばれるようになるずっと前からNPO活動をやってきました。NPOことNon Profit Organization、つまり「カネに・ならない・しごと」のことです(笑)。1998年にNPO法が成立したからNPOが生まれたわけではありません。NPOとは呼ばれないけれどNPOと同じ活動をしているてっちゃんのようなひとたちが全国各地にいたから、そのひとたちの後押しでNPO法が生まれたのです。

てっちゃんは東北ソーシャルビジネス推進協議会の会長もやっています。このところ「社会企業(ソーシャルビジネス)」ということばが大はやりで、大学のなかには「社会企業科」なんていう専攻をつくってしまったところもありますが、こんな横文字コトバや輸入概念をつかわなくたって、てっちゃんはずぅーっと昔から社会企業家(ソーシャル・アントレプルナー)でした。

てっちゃんのやっていることを説明するのに、NPOだの、社会企業だのと、外来の概念はいりません。反対に、てっちゃんのような先覚者たちがやってきたことを説明するために、概念と理論とは生まれました。わたしは研究者として確信を持っていいますが、概念と理論は、実践と現場のあとを追いかけていきます。そしてもっとも誠実な学問とは、実践と現場のあとを愚直に忠実に追いかけていく学問のことなんです。

てっちゃんはそのうえ、NPOという「カネに・ならない・しごと」を「食える・しごと」に変えてしまいました。せんだい・みやぎNPOセンターには、常勤・非常勤を合わせて、現在40人ものスタッフが働いています。そのひとたちの雇用をつくりだし、しごとを産みだし、社会になくてはならない活動にしたてあげてしまったのがてっちゃんです。今では理事長は二代目の紅邑晶子さんという女性に代わっています。つまり「せんだい・みやぎNPOセンター」は、てっちゃんなしでもまわるようになったのです!

かれはこうやって、活動をしごとにし、しごとを事業に変え、ひとと組織を育て、それをてっちゃんなしでも自分の足で歩いていけるところまで、一人前に仕立てあげました。経営者としては、辣腕!といわなければならないでしょう。



そのてっちゃんが『市民の仕事術』を書くというんだから、おもしろくて役に立たないわけがありません。
本書は2分冊になっています。Ⅰ部が『市民のネットワーキング』、Ⅱ部が『市民のマネジメント』です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・(以下略)・・・・・・・・・・・・・・・・

長いので、ここから先は、NPOのマネジメント術 ちづこのブログ No.9をお読みになってください。


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