NHK朝の連続ドラマ「つばさ」で、人生の分岐点をテーマにした出来事を放送していました。
人生の分岐点は、大小様々あります。
今日の昼食は何にするか、どのスーツを着ていくか、等の小さな分岐点から、進学、就職、結婚等の大きな分岐点があります。
私の人生にも多くの分岐点がありましたが、その分岐点を選択するときに影響を与えてくれた人がいます。
工業高校を卒業するときの最後の授業でアドバイスをしてくれた私と同じ名字の数学の教師がいました。
当時、大学進学率はそれほど高くなく、工業高校ということもあって、クラスの中で大学を受験するのは1名だけでした。
就職も決まって、ノンビリ授業を受けていたので、数学の教師の卒業生に対するはなむけの言葉をまじめに聞いていたのは私を含めて2、3名でした。
その教師は、「皆さん、卒業後に毎日1時間勉強する習慣をつけてください。この毎日1時間の勉強が10年後には大きな成果を生みます」と話していました。
その言葉は、なぜか当時の私の心を大きく揺さぶりました。
卒業後にノンビリ働こうと思っていたのですが、この言葉を聞いてから考えを変えて、急遽、夜間の専門学校に入学を決めました。
それから40年以上、毎日1時間以上の勉強をしていますが、社会人になって毎日1時間の勉強をすることの難しさを実感しています。
この毎日勉強する習慣が、その後の私の人生を大きく変えたことは間違いありません。
もう一つの分岐点は転職です。
高校卒業後に就職して2年間働き、夜間の専門学校卒業後に転職することにしました。
この転職も偶然のいたずらで、新聞の求人欄を見ていたら、サービスエンジニア募集の広告が目に入りました。
当時、無名の複写機製造・販売会社でしたが、本社が赤坂という理由だけで履歴書を送付しました。
書類審査、筆記試験をパスして、面接試験に臨みました。
面接試験で、試験管の一人(その後、私の上司となる方です)が、私に、「研究開発に興味がありますか?」と質問されたので、「はい、是非やってみたいです」と答えました。
幸運なことに面接試験もパスして、この会社に入社することができました。
この会社は、その後急成長して、年間売上1兆円を超す大企業になりました。
今では、この会社に入社することはできないでしょう。
この会社に入社して、私一人だけ研究開発部へ配属されました。
これも面接官であった上司の推薦があったということを後で聞きました。
研究開発部へ配属されたことが私にとって幸運でした。
勤務終了後に英会話の勉強、専門技術の勉強に時間を割くことができ、研究開発の成果を挙げることができました。
それから、知財部門へ異動する時も、研究所の先輩で、その後、弁理士の先輩ともなる方が、強力に知財部門に引き抜いてくれました。
この方が、私が弁理士になる道を示してくれたと言えます。
人生には、多くの分岐点があり、その分岐点に大切な人がいて、重要なアドバイスをしてくれます。
そのアドバイスを見逃さないことが大切ですね。
これからの人生にも多くの分岐点があると思います。
その分岐点で、どのような人と巡り合うのか、楽しみです。
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日記@BlogRanking
人生の分岐点は、大小様々あります。
今日の昼食は何にするか、どのスーツを着ていくか、等の小さな分岐点から、進学、就職、結婚等の大きな分岐点があります。
私の人生にも多くの分岐点がありましたが、その分岐点を選択するときに影響を与えてくれた人がいます。
工業高校を卒業するときの最後の授業でアドバイスをしてくれた私と同じ名字の数学の教師がいました。
当時、大学進学率はそれほど高くなく、工業高校ということもあって、クラスの中で大学を受験するのは1名だけでした。
就職も決まって、ノンビリ授業を受けていたので、数学の教師の卒業生に対するはなむけの言葉をまじめに聞いていたのは私を含めて2、3名でした。
その教師は、「皆さん、卒業後に毎日1時間勉強する習慣をつけてください。この毎日1時間の勉強が10年後には大きな成果を生みます」と話していました。
その言葉は、なぜか当時の私の心を大きく揺さぶりました。
卒業後にノンビリ働こうと思っていたのですが、この言葉を聞いてから考えを変えて、急遽、夜間の専門学校に入学を決めました。
それから40年以上、毎日1時間以上の勉強をしていますが、社会人になって毎日1時間の勉強をすることの難しさを実感しています。
この毎日勉強する習慣が、その後の私の人生を大きく変えたことは間違いありません。
もう一つの分岐点は転職です。
高校卒業後に就職して2年間働き、夜間の専門学校卒業後に転職することにしました。
この転職も偶然のいたずらで、新聞の求人欄を見ていたら、サービスエンジニア募集の広告が目に入りました。
当時、無名の複写機製造・販売会社でしたが、本社が赤坂という理由だけで履歴書を送付しました。
書類審査、筆記試験をパスして、面接試験に臨みました。
面接試験で、試験管の一人(その後、私の上司となる方です)が、私に、「研究開発に興味がありますか?」と質問されたので、「はい、是非やってみたいです」と答えました。
幸運なことに面接試験もパスして、この会社に入社することができました。
この会社は、その後急成長して、年間売上1兆円を超す大企業になりました。
今では、この会社に入社することはできないでしょう。
この会社に入社して、私一人だけ研究開発部へ配属されました。
これも面接官であった上司の推薦があったということを後で聞きました。
研究開発部へ配属されたことが私にとって幸運でした。
勤務終了後に英会話の勉強、専門技術の勉強に時間を割くことができ、研究開発の成果を挙げることができました。
それから、知財部門へ異動する時も、研究所の先輩で、その後、弁理士の先輩ともなる方が、強力に知財部門に引き抜いてくれました。
この方が、私が弁理士になる道を示してくれたと言えます。
人生には、多くの分岐点があり、その分岐点に大切な人がいて、重要なアドバイスをしてくれます。
そのアドバイスを見逃さないことが大切ですね。
これからの人生にも多くの分岐点があると思います。
その分岐点で、どのような人と巡り合うのか、楽しみです。
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