テレビ司会者として知られた大橋巨泉さんが、急性呼吸不全のため千葉県内の病院で死去しました。82歳です。
巨泉さんは、人気だったレギュラー番組を50代半ばで降板し、生活スタイルを一変させまし
た。
「セミリタイア」後は、季候のいい時期の太陽を追い求めるように、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、日本を1年で巡る「ひまわり生活」を続け、「仕事や会社は生きていくための手段ですが、究極の目的は定年後に、自分の人生を演出することです」と語り、将棋やジャズ、ゴルフ、釣りなどの趣味を楽しんでいました。
巨泉さんのセミリタイア後の生活は、当時、多くの人から憧れを持って迎えられていました。
私もその一人で、定年退職後は、巨泉さんのような生活ができたらいいな~と思っていました。
私の定年退職後の生活は、弁理士として企業の知財コンサル、セミナー講師、論文作成とライフワークを実践するとともに、巨泉さんとはスケールが違いますが、年2回の海外旅行と年2回の国内滞在(夏に北海道、冬に沖縄に10日間程度滞在する)を楽しんでいます。
巨泉さんのライフスタイルは、私にとってあこがれと同時に目標でした。
私が尊敬する人が、また一人旅立っていきました。
1994年からのべ20年にわたって書き続けた週刊現代での連載コラムは、体調不良のため今春から休載し、最終回とした7月9日号では「今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません」などと病状を説明し、「最後の遺言」として安倍晋三首相を批判していました。
安倍首相も旅立つ人に心配をかけるようでは、天国とは反対のところへ行くことになりますね。
巨泉さんの遺志は、多くの人々が引き継ぎ、安倍首相の独裁政治を終わらせるために頑張っていきますので、安心してください。
ご冥福をお祈りします。
ブログランキングに参加しています。よろしければ、以下のURLから投票して下さい。
特許・知的財産 ブログランキングへ
弁理士 ブログランキングへ
巨泉さんは、人気だったレギュラー番組を50代半ばで降板し、生活スタイルを一変させまし
た。
「セミリタイア」後は、季候のいい時期の太陽を追い求めるように、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、日本を1年で巡る「ひまわり生活」を続け、「仕事や会社は生きていくための手段ですが、究極の目的は定年後に、自分の人生を演出することです」と語り、将棋やジャズ、ゴルフ、釣りなどの趣味を楽しんでいました。
巨泉さんのセミリタイア後の生活は、当時、多くの人から憧れを持って迎えられていました。
私もその一人で、定年退職後は、巨泉さんのような生活ができたらいいな~と思っていました。
私の定年退職後の生活は、弁理士として企業の知財コンサル、セミナー講師、論文作成とライフワークを実践するとともに、巨泉さんとはスケールが違いますが、年2回の海外旅行と年2回の国内滞在(夏に北海道、冬に沖縄に10日間程度滞在する)を楽しんでいます。
巨泉さんのライフスタイルは、私にとってあこがれと同時に目標でした。
私が尊敬する人が、また一人旅立っていきました。
1994年からのべ20年にわたって書き続けた週刊現代での連載コラムは、体調不良のため今春から休載し、最終回とした7月9日号では「今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません」などと病状を説明し、「最後の遺言」として安倍晋三首相を批判していました。
安倍首相も旅立つ人に心配をかけるようでは、天国とは反対のところへ行くことになりますね。
巨泉さんの遺志は、多くの人々が引き継ぎ、安倍首相の独裁政治を終わらせるために頑張っていきますので、安心してください。
ご冥福をお祈りします。
ブログランキングに参加しています。よろしければ、以下のURLから投票して下さい。
特許・知的財産 ブログランキングへ
弁理士 ブログランキングへ