先日登った小柴山の麓に鬼首温泉がある。山里に湧き出る温泉だが、幕末の志士清河八郎が潜伏した温泉でもある。大柴山、小柴山にはスキー場が開発されて、冬はスキー客で賑わうが、かつては山間の温泉で、冬季は近隣の人々を癒す湯治の湯であった。
清河八郎は山形県清川村の酒造家の長男として生まれた。最上川が庄内平野に入ろうとする山間の村である。何故このような草深い村から、日本を揺り動かす志士が生まれたのであろうか。郷士という新しい身分階級が、幕末の日本に突然として姿を現してくる。侍の主従関係に捕われることなく、幕府の支配を拒否し、王政復古を目指した人たちである。
清河八郎は諸国を巡り、尊皇攘夷を説きながら郷士を糾合していった。そして江戸の出て剣を学び、塾を開いた。おりしも水戸藩士による井伊大老襲撃する桜田門の変が起き、清河八郎は幕府から危険人物とみなされた。薩摩藩の志士たちと一緒に「虎尾にの会」を立ち上げたことも幕府が目をつける理由であった。密偵が八郎たちの行動を探り、しだいにその的を絞ってくる。身に危険を感じた八郎は、水戸藩、仙台藩の同士のところに潜伏するが、その先々で密偵の網が張られているのを知る。
そして隠れた鬼首温泉で、八郎は詩を詠んだ。
自ら汲み自ら炊ぐ何ぞ等閑なる
仙にあらず樵にあらず山間におる
人生の歓苦はかり難きを知る
物極まれば必ず反へるは天の観るところ
枯木また花さく春暖の日
三冬まさに耐う霜雪の寒
潜伏した身を嘆きながらも、自分の苦労は天がみてくれている。枯れた木が花を咲かすように自分は耐えて名をなそう、と自らを鼓舞している。
この詩は、山形岳風会の創立60周年記念大会の「構成吟」として15人で合吟される。
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