能因法師
2014年06月20日 | 人
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平成27年度の優秀吟コンクールの課題吟「和歌の部」に、能因法師の次の和歌が入っている。来年の挑戦は、この歌にすることを決めた。
都をば霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く白河の関 能因法師
白河の関は、朝廷が奥州の国境に設けた関所で、蝦夷の南下や物資の流通の管理が行われていた。和歌に読み込まれると歌枕ということになる。歌枕とは、地名であればどれでもよいということではなく、歌詠みたちの間で認められた名所でなければならない。能因法師に「能因歌枕」という書物があり、そもそも歌枕の流行に火をつけた人物が能因法師であった。
課題吟に採られている和歌の「白河の関」が、都の人々にその遠さを強調したものであるが、「白河の関」を歌枕として定着させたのんもこの歌である。この歌を発表するのに先立って、能因は長い間家に籠り、日に顔を焼いて黒くなり、奥州へ行ってきたとして詠んだという説話も残っている。
能因法師は998年生まれ、平安中期の歌人で、俗名橘永。漂白の旅に一生を送り、和歌を詠むことを生涯の喜びとした。百人一首には
嵐ふく三室の山のもみぢ葉は 龍田の川の錦なりけり
が採られている。
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