今日は二十四節気の大雪である。大雪の降る節気という意味であるが、暦と現実では大抵暦先行となっているが、今年はこの節気に先駆けて大雪となった。きのうまでの雪が止んで、日がさした。朝の日光のもとの雪景色は美しい。雪の被害で苦しんでいる人のことを思えば、その美しさに見とれているのは心苦しいが、人間の悩みを一瞬忘れさせる瞬間だ。
雪ふれば 冬ごもりせる草も木も 春に知られぬ花ぞさきける 紀貫之
古今和歌集を編纂した紀貫之の歌である。その巻頭にある仮名序は、編者紀貫之の筆になるものである。「春の朝に花のちるを見、秋の夕ぐれに木の葉の落つるをきヽ、あるは、年ごとに鏡の影に見ゆる雪と波とを嘆き、草の露、水の泡を見て、我が身をおどろき、あるは昨日は栄えおごりて、時を失ひ、世にわび、親しかしもうとくなり」と歌の心の真髄を書きつくしている。
紀貫之の晩年に書いた『土佐日記』は、男の手になる初めての仮名日記の試みであった。旅日記という虚構を借りて、明るいユーモアと沈痛な心情をたくみに表現している。国司として赴任した土地、土佐を船の旅で京都へ帰る紀行を日を追って書いたものであるが、海に出没する海賊への言及も見られる。
舟君なる人波を見て、「国よりはじめて、海賊むくいせむといふいふなることをおもふ上に、海のまた恐ろしければ、かしらもみな白けぬ。七十路八十路は海にあるものなり」
日記の主題は土佐で亡くした娘への追悼である。
都へと思ふをものの悲しきは帰らぬ人のあればなりけり
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