危急存亡のとき、「いざ鎌倉」とばかりに一族郎党がはせ参じる。これは、謡曲「鉢の木」によって広まった話である。僧の姿をして諸国を視察していた先の執権北条時頼が、佐野の郷で大雪に降られて、万やむを得ず貧家に一夜の宿をとった。主人の常世は、訴訟に敗れ落ちぶれていたが、客を栗飯を炊いてもてなし、夜更けに寒さが厳しくなると、大切にしていた梅、松、桜の鉢上の銘木を伐り、暖をとってもてなした。
その客が北条時頼であることも知らず、「このように落ちぶれた身ではありますが、鎌倉に大事があれば、はせ参じる所存です」と忠誠心を吐露した。時頼が鎌倉にもどり軍勢を召集すると、痩せ馬に乗って、常代が駆けつけてきた。ここで時頼と常世は再会するが、あの僧が北条時頼であることを知って驚く。
時頼は常世の忠誠を愛で、梅・桜・松にちなんで加賀国の梅田庄、越中国の桜井庄、上野国の松井田庄の三つの庄園を 恩賞として与えた。
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