北海道を爆弾低気圧が襲っている。いま、テレビの画像でその猛威を知ることができるが、記憶の底にあるのは、極寒の地の歳末である。家は莚で囲いを廻していてもなお寒気が室内に容赦なく進入する。ストーブに連結してあった湯沸しは、眠るとき沸騰していた湯が、朝氷を浮かべるほどに冷えていた。もぐりこんだ蒲団は息が出る外側は霜が降りたような様子になっていた。
中国、清の時代の詩人沈受宏の詩は心を打つ。受宏はこの詩を旅先で、故郷の冬に耐えている妻に贈った。貧乏暮らしで、不安でいっぱいのなかにある妻を励まそうしたものである。
内に示す 沈受宏
嘆ずる莫れ貧家歳を卒うるの難きを
北風曾て過ぐ幾番の寒
明年桃柳堂前の樹
汝に還さん春光満眼の看
意味を書くと
貧しくて年が越せないなどと嘆くことはない。
これまで何回も北風の寒さを凌いできたではないか。
来年になれば、座敷の前には、桃の花が咲き、柳が芽吹き、
今までどおり、春の光が満ちあふれ、お前の眼を楽しませてくれるだろう。
この詩の根幹は承句の「北風 幾番の寒」と転句の「春光 満眼の看」の対比にある。貧家の生活は、あながち見下すばかりのものではない。物に満ち足りていては見えない真実や自然の美しさを見る想像力が養われる。
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