常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

七つ滝

2015年09月06日 | 斉藤茂吉


かつて内陸と庄内をつないだ旧六十里街道を、湯殿山神社から田麦俣までを歩いてきた。約7キロの道であったが、田麦俣の集落近くの勇壮な七つ滝を見た。日本の滝100選のひとつで、滝の姿はあくまでも秀麗である。

この街道は、斉藤茂吉が昭和五年長男の茂太が15歳になったので、出羽三山に登拝したときに使った。そのため道の要所に、茂吉の歌碑が4、5本も建っている。どの歌も、街道の景を歌にしたもので、見たままの光景が詠まれており、親しみを覚える。この初詣には、上山に住む弟の四郎兵衛も同道した。岩根沢から月山に登り、湯殿山を経て笹小屋から田麦俣、そして羽黒山に至る徒歩旅行である。7月20から24日まで、実に5日間にわたる長い旅であった。

雨あとの滑べる山路を四人して田麦俣まで直にあゆめる 茂吉

茂吉が歩いたと同じで、山道は土の上に苔が生し、それが雨に濡れて滑り易くなっている。一歩一歩気を使いながら、ブナのおい茂る山路を歩いた。歌の中に四人とあるのは、茂吉兄弟と茂太、そして山中案内のことであろう。もう80年も前の山道が、そのままに残っているような気がした。

田麦俣の眼下に見る峠にて餅をくひぬわが子とともに 茂吉

このほどちかくに七つ滝があるが、茂吉はこの滝を詠んでいない。田麦俣にきて藁屋根の多層民家が2軒残っていた。その内の一軒は民宿を営業し、合わせて内部も入場料を取って見せていた。

コメント (2)
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