きのう、WOWOWテレビにチャンネルを合わせると、偶然に井上光晴「全身小説家」という映画が放映されていた。生前の井上光晴が、肺ガンとの闘病を描いた映画であった。生前の井上が、あの語り口そのままに、ガンが体内にとどまって成長しないのを実感している様子を語っていた。山形文学伝習所で、一回会っただけであるが、その謦咳に接することができて懐かしい気がした。不思議なことがもうひとつ起こった。このブログに2年ほど前、「嘘つきみっちゃん」という題で井上光晴のことを書いたのだが、きのうその記事へのアクセスが急増した。
なぜこの時期に偶然にもこのような出来事が起こったのか、まったく心当たりもない。文芸評論家の志村有弘氏は、長い間九州の文学をに関心を寄せ、様々なエッセイを書いてきた。そのなかに井上光晴に触れたものがある。「私は、井上の小説「地の群れ」に出てくる手まり歌を何度口ずさんだかわからない。
四月長崎花の町。八月長崎灰の町。十月カラスが死にまする。
正月障子が破れはて、三月淋しい母の墓。」
志村が指摘した手まり歌は、原爆が投下されたあと、米軍偵察機がその爆弾の威力を知るために撒いたビラに原型があったと、井上自身が告白している。そのビラには日本語で「四月長崎花の町 八月長崎灰の町」と書かれてあったという。このビラを念頭に、人の気持ちを創作したのが、この手まり歌であると述べている。(井上光晴『小説の書き方』)
映画「全身小説家」では、ラストのシーンで瀬戸内寂聴が、弔辞を読み上げているところがクローズアップされた。瀬戸内は文学において井上から絶えず影響を受けたことを述べていた。この文学上の二人の同志は、互いにリスペクトしながら、その死の瞬間まで心を通わせていた。