山を降りて帰路、高速のサービスエリア有磯海で食事をした。この近くの名物白エビを使った海鮮が美味しい。山小屋の食事ばかりだったので、海鮮丼を注文した。1200円、値段に違わずおいしい丼であった。サービスエリアの広場の松林から、日本海が広がっていた。
松尾芭蕉がおくのほそ道の旅で有磯海に着いたのは、元禄2年(1689)7月13日太陽暦8月27日のことであった。那古の浦と題して
くろべ四十八が瀬とかや、数知らぬ川をわたりて、那古と云浦に出。(中略)人に尋ぬれば、「是より五里、いそ伝ひして、むかふの山陰にいり、蜑の苫ぶきかすかなれば蘆の一夜の宿かすものあるまじ」といひをどされて、かゞの国に入る。
わせの香や分入右は有磯海
という名句を残した。早稲の芳しい香をわけて加賀の国入いろうとすると、右手に有磯海が見えることよ。というほどの意味である。黒部四十八瀬とは、立山の方から流れる川が、無数の瀬をなしていた。親知らず子知らずの難所もほど近い。
高速を降りて、コンビニで買い物をしたが、回りの田の稲は既に穂を垂れ、刈り入れも間近に見受けられた。芭蕉は、この早稲だの香嗅いで、金沢へと入っていった。