
夏の高山で赤とんぼが群れていたのを見たことがある。秋が来ると、高山で群れていた赤とんぼは平地に移動する。赤い色をしているのはオスで、メスは黄褐色をしている。平地で赤とんぼが群れているのを見ることがなくなったような気がする。子供のころ、家の庭の付近であかとんぼの群れを見たものだ。指を立てると、恐れもせずに止まった。
肩に来て人懐かしや赤蜻蛉 夏目 漱石
とんぼの身体が赤くなるのと、気温の変化に関係があるらしい。気温が低くなると、とんぼが赤い色に染められる。草の穂に小さな赤とんぼが、止まってじっとしているのを見ると、人は秋を感じる。秋茜は、赤とんぼの別名である。とんぼには多くの種類がある。塩辛とんぼ、鬼ヤンマ、薄葉カゲロウなど、子供のころ、とんぼ取りをして遊んだのが懐かしい。
寺山修司が編集した『日本童謡詩集』というのがある。私の愛読書ともいうべきか、本棚に置いておいてときおり取り出してページをめくり、懐かしい童謡の歌詞を調べてみたりする。寺山修司にとって、「赤とんぼ」という童謡は人生の悪い節目に出会った歌であった。疎開先の小学校の音楽の時間にみんなで、この歌を歌っていたとき、小使いさんが先生に耳打ちをした。それは、寺山の父親が亡くなった知らせであった。
夕やけ小やけの赤とんぼ
おわれて見たのはいつの日か
童謡というのは、一生のうちにいったい何度口づさむのだろうか。意味など考えもしないで歌うが、意外に意味の分からない歌詞がある。「おわれて見た」というのは、どういう意味か。寺山もおわれるというのは、追われるか、負われるかと二つの意味を考えている。赤とんぼの気持ちになって子どもたちから追いかけられたという意味だと長いあいだ思いこんでいたという。親の背に負われて、赤とんぼ見たという意味もあることに気づいたのは大人になってからのことであったと、本の前書きに書いている。