
今日、恒例の詩吟交流会。会場は上山温泉、日本の宿「古窯」である。山形岳風会の伊藤岳晄先生に学んだり、交流のある人々が、ここに集って詩吟の夕べと懇親を行う。もう5年以上も続き、集う人たちの楽しみの日となった。この会で私は、西郷南洲の「偶感」を皆さんの前で吟じることにしている。この詩には、戊辰戦争を経て旧領にとどまることを許された庄内藩の重臣と西郷の交流で示された、その志が詠まれている。庄内藩の改革の為、藩は人を選んで、鹿児島に学ぶために有為の人材を送った。
西郷が常に語っていたのは、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものだが、この始末に困る人でなくては、艱難をともして国家の大業を成し得るものではない。」国家の大業とは、明治維新の成功である。西郷の維新政府への目は厳しかった。「多分の月給を貪り、広い大名屋敷に住んでいながら、職責は何ひとつあがっていない。これでは悪くいえば泥棒ではないか。」西郷に上京を勧める政府の要人に吐いた言葉である。
偶感 西郷南洲
幾たびか辛酸を経て志始めて堅いし
丈夫は玉砕するも甎全を愧ず
我家の遺法人知るや否や
子孫の為に美田を買わず
西郷は上京して、庄内藩の菅実英らの重臣を深川の米問屋の屋敷に呼んで懇親の席を設けた。酒を酌み、話もはずんだところで、西郷はおもむろにこの自作の詩を揮毫して言った。「わしがもしこの詩と違うことをしたら、言行相反したる男だと見限ってほしい。」私利私欲を捨てて、国家建設に力を尽くす、それが西郷の志であった。