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イノシシや熊、猿などが収穫期の田畑を荒らすことがニュースになる。森林にこれらの動物の餌が少なく、里の田畑の作物の味を覚えて、人里近くに降りてくるようになったと言われる。百人一首の冒頭に天智天皇が詠んだされる歌が据えてある。
秋の田のかりほの庵の苫を荒みわが衣手は露にぬれつつ
これは、稲の実った田を守るために仮庵を立てて、害獣の害を避けるために泊り込んで番をしているという意味である。我が衣手とは、天皇自らの衣の袖のことだ。天皇がそんな労働にかかわるはずもなく、農民の苦労を思いやった歌とされている。
この歌から読みとれることのひとつは、こんな万葉の時代においても、田や畑を荒らす獣や鳥がいたことである。人間の生活圏と害獣のそれとは、おのずから隔たっていて、お互いに立ち入らない線のようなものがあると考える人がいるが、それは事実ではない。人は自分の田畑を守るためにこんな昔から努力していたことが知れる。
もうひとつは天皇が農耕する筈がないというのも違うような気がする。記紀にはアマテラスなどの天つ神は自ら農耕と機織りをしていたと記されているし、スサノウなどの国つ神は狩猟、漁労、採集する神なっている。宮中には今なお天皇がお作りになる田があり、そこで田植えや稲刈りをする儀式も行われる。
この歌が来年の日本詩吟学院の独吟コンクールの課題吟になっており、自分もこの歌を選んだので、歌の解釈には大いに注目しなければならない。