久しぶりの雨。雨に洗われた新緑がひと際美しく見える。今日は、朝のウォーキングも畑仕事も休んで、雨読の日になる。本棚の奥から、夏目漱石の『硝子戸の中』を取り出す。大正4年胃潰瘍の療養中に書かれた随筆である。友人から貰った犬ヘクトーの思い出、近所に住む女性から数奇な体験を小説に書いて欲しいと頼まれる話、学生時代の友人で樺太の校長になっている人との再会の話など、生と死、過去と現在の短いエピソードが集められている。雨読の日にはもってこいの本である。私はほるぷ出版の漱石文学館を持っているので、天金の初版本そのままの形で読めるちょっぴりの贅沢をしている。
最初のエピソードであるヘクトーの話は、「吾輩は猫である」を彷彿させる話であるが、漱石が胃潰瘍で入院してひと月ほど見ないあいだに衰弱して死んでいくのだが、何とも泣かせるエピソードだ。あれほど懐いて、飛びついてくる犬であったが、久しぶりに見て、名をよんでも反応を示さない。手水鉢の水をなめるばかりで、漱石に背を向け、元気なく尾を垂れている。その口から涎さえたらしている。家のものも、この犬が病気であると分かって、医者にみせようとする。しかしぷいと家を出たきり行方不明になってしまった。
行方が分からなくなって一週間ほどが過ぎたころ、近所の家の下女が近くの池でヘクトーの死体があったことを知らせてきた。
「車夫はヘクトーの死骸を包んで帰って来た。私はわざとそれに近づかなかった。白木の小さい墓標を買って来さしてそれへ
秋風の聞えぬ土へ埋めてやりぬ
といふ一句を書いた。私はそれを家のものに渡してヘクトーの眠っている土の上に建てさせた。彼の墓は猫の墓から東北に当って、ほぼ一間ばかり離れてゐるが、私の書斎の、寒い日の照ない北側の縁に出て、硝子戸のうちから、霜に荒らされた裏庭を覗くと、二つとも能く見える。」
猫の墓は言うまでもなく、小説『吾輩は猫である』に登場する名のない猫の墓である。早稲田南町の漱石山房跡には、石塔の猫塚が保存されている。