「こぞの雪いま何処」という忘れがたい
詩句を残したのは、15世紀のフランスの
詩人フランソワヴィヨンであることは
先日のブログに書いた。この詩人の生涯
は波乱に富んでいる。父母の生死も知れ
ぬうちに孤児となり、親せきの神父によ
って育てられた。放蕩無頼、という言葉が
ぴったりする生活をしながら詩を書いた。
売春婦、ならず者、窃盗団といった輩と
生活をともにし、ついに殺人を犯して逃
亡するというありさまである。
太宰治の「ヴィヨンの妻」は、放蕩な暮
らしを続ける大谷という詩人をヴィヨン
に重ねて、その妻が酒場に生き場所を見つ
けるという筋になっている。この小説を
下敷きにした映画も撮られている。大谷
という詩人は、あくまで太宰その人である
ことを伺わせる。
妻の幸子は、酒場で働くという暮らしを
続けながら、自らの不甲斐なさを認めて
謝る大谷に「私たち生きてさえいればい
いのよ」という言葉放つ。