常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

本屋

2019年02月19日 | 日記

昨日、山形の西方に、雪の葉山がそのどっしりとした存在感を見せた。その左には白い月山があるのだが、シーズンで数回だが、その月山よりも存在感を見せることがある。春先の空気が澄み切って、山が近く見える上に、尾根の襞の一つが、雪と光で深く切り込んで見えるときだ、月山はこの時期、雪が深く丸みを帯びた純白のやさしい姿を見せているに過ぎない。

 

春になると、街の本屋さんは、高校の教科書取り扱い所となる。娘たちが、高校に入ったとき、車で教科書を引き取りに行った。その一つに遠藤書店があった。学生時代には、八文字屋で主に本を買ったが、そのついでと言ってはおかしいが、筋向いの遠藤書店を覗くのが常だった。昭和30年代であったので、和服を着た店員が居て、火鉢を置いたところで主人が座って、茶を飲みながら客と何やら話し込んでいる風景も珍しくはなかった。                                   

 

制山形高校で学び、その後東大に進み、作家となった駒田信二に遠藤書店の思いでを語る一文がある。文学青年であった駒田は、ロシアとフランス文学をがむしゃらに読んだという。行きつけの書店は言うまでもなく遠藤書店。授業をさぼって本を漁っているうちに、当の島村先生が書店にやってきた。バツが悪くて本の陰に身を隠したつもりだったが、目ざとく見つけた教授は、「駒田君、隠れなくいい。こっちでお茶をごちそうになりなさい。」店の主人も、駒田がよく本を買っていくので、「この学生さんは、岩波文庫の翻訳本をよく読まれていますよ」と教授に告げた。教授は少し考えて、「ふーん、君原文では読まないの?」岩波の英和辞典の著者である先生からして見れば、当然の発言であった。

 

当時、書店は知識人のサロンの風を呈していた。よく来る客には、歌人の結城哀草果、和服しか着ない名物教授岡本信二郎先生、そして市内の中学の先生たち。遠藤書店はすでにない。アズ七日町のビルのオーナーでもあり、2階に書店を出していたが、郊外の大型書店の出現で、その姿を消した。

 

コメント (2)
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