常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

心の年齢

2019年02月11日 | 日記

年を重ねて、見るものが、以前とは違って見えることがしばしばある。長年、山登りをしていて、何度も見ている景色に心を奪われ、言い知れぬ感動を覚えるのも加齢と関係があるような気がする。小林秀雄のエッセイ「年齢」読んでいて、思い当たることがあった。このエッセイが書かれたのは、戦後間もない昭和25年のことである。

「先年の秋、大原の寂光院の辺りを歩いていて、嘗て何度も見た四囲の平凡な風物があきれるばかりの美しさで、目に映ずるのに驚いた。同行の三好達治君に、「俺はこんな具合の自然の美しさが、骨身にこたえると言ったあんばいなのだが、どうしてだろうと」と言うと「やっぱりそりゃ年だな」と彼は言った。物言わぬ自然は、目に見えぬ心の年齢を一番鋭敏に映す鏡なのであろうかと私は思った。」

この年、小林は49歳、間もなく50歳で天命を知る、という年代にさしかかっていた。しかし、私からみれば我が子の年齢である。現代風に言えば、そんな美の感覚に至るのはまだまだ早いような気がするが、戦争という死を身近にしていた年代には、いまの70、80代の心の年代にあったということかも知れない。

小林秀雄は若いころ、山に親しんでいたことでも知られる。『日本百名山』を書いた深田久弥とも親友で、同じエッセイのなかで八ヶ岳へ一緒に登ったことを書いている。この時のメンバーは、小林と深田、そして今日出海、k君。時期は11月の初めで、八ヶ岳の山頂は雪で真白であったという。頂上を目指すのではなく、夏沢温泉まで行って泊まるのが目的であった。意外と時間を食ったので、一行は本道を離れて近道を取った。

道を迷ったことは感じながら、クマザサを分けていくと、突然。「真っ白な火口の正面には、三角形の赤岳が、折からの夕陽を受け、文字通り満身に血潮を浴びた姿で、まるで何かが化けて出たように、ヌッと立っていた。」この景色を見て、一同は余りの衝撃に口をきくことさえできなかったという。小林は、この山を終生忘れない思い出であると、書いている。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする