少しずつ陽ざしが春めいてきた。風邪もようやく熱が下がり、日常を取り戻しつつある。スマホ用GPSが作っている動画でに「山旅日記」というのがあるが、その一篇の英彦山を見た。山ガールが腕に着けたスマホで、ヤマップの軌跡を見ながら登る姿を撮影したのもので、2月の放映は大分県の英彦山になっている。標高1199mの比較的低山だが、登山口の中頃に、そして頂上に英彦山権現の神宮がある。かつての修験の山で、山形の羽黒山、熊野の大峰山と並んで日本三大修験の霊場として九州一円の信仰を集めている。
大正時代から昭和の初期に活躍した女流俳人に杉田久女がいる。父は鹿児島県庁の官吏で、久女が幼少の頃に沖縄に移住し、その後も父の転勤で台北へ移住している。久女には姉もいたが、ここから二人とも東京のお茶の水高女へ入学、当時、台北からこの女学校へ入学するの珍しく、新聞で紹介され日本中の話題になった。高女を卒業後、画家で小倉の中学教師であった杉田宇内と結婚する。大正6年ごろ、俳書「ホトトギス」の台所雑詠に投稿、入選して5句が誌面に掲載された。
ホトトギスを主宰する高浜虚子から認められ、師事することになった。子供たちも成長していくつれ、俳句を学ぶ傍ら、山を登ることもするようになった。登る山は折につれて家の近くにある英彦山である。今回の「山旅日記」山ガールの先駆けということになるのかも知れない。昭和5年、新聞社が募集した新名勝俳句山岳英彦山の部でに久女の句「谺して山ほととぎすほしいまま」が金賞となった。
久女の随筆に「英彦山に登る」というのがある。11月、晩秋の淋しい山に様子が書かれている。女一人で、薄暗い杉木立のなかを行くのがためらわれる道のりであった。山頂では神宮の禰宜が、やさしく声をかけてくれる。「よくお独りでお登りでしたね。あなたで今日は朝から10人目です。」山頂から見える山を指さし、あれが雲仙、あれが霧島と教えてくれる。全九州の山々を眺めて、茶店の番茶をすすり、六助餅を食べた、とある。
動画で見ると、もちろん時代が違うし、道の整備も違うであろうが、久女が登った俤は所々に残っているような気がする。おそらく100年近く前の記事であるが、それを読みながら動画を見る楽しみに時間を経つのを忘れた。