常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ブログの楽しみ

2019年02月07日 | 日記


最近、知人から「ブログ読んだよ」


とよく言われる。あまり人に言って


いないので、不思議に思う。考えて


見れば、このブログを始めてからも


う2500日が経っている。7年近くに


なるが、サイトは静かで炎上や、い


やがらせのようなコメントもない。



拙い文と写真で、読む人の期待を裏


切っているのだろうが、訪れる人の


顔ぶれも固定してきているので、表


面には出ない絆のようなものが生ま


れているのかも知れない。今日は何


を書こうか、という悩みも日々の楽


しみのひとつになってきている。



ブログのアプリが新しくなりました


というのを見て、スマホでダウンロ


ードしてみた。アプリだと検索の煩わ


しさもなく、すぐに見られて便利だ。


しかし、普段パソコンでブログを書


くので、スマホでは行替えがうまく


できていないことに気づいた。この


年ではスマホでの入力は考えられな


い。文字数を考えながら、文の入力


していく以外には方法がない。



四字熟語に「格物致知」というのが


ある。中国儒教の『大学』に見える


学問の修養法を述べたものである。


天童に格知学舎があるが、山形の本


沢の儒者本沢竹雲が始めた私塾であ


る。塾名は当然この格物致知からと


ったものである。読み方は朱子が、


物に格(いたり)て知に致すとして


物事に即して事物の理を極めて本物


の知に至る。これを学問の方法と説


いた。




一方、明の王陽明は「物を格(ただ)


し知を致す」と読み、物とは関心を向


けられた対象で、知は善を理解する力


即ち良知であるとし、道徳の実践を説


いている。我が国でも、朱子学を正当


とする幕府に対して、古文字学を唱え


る荻生徂徠、本居宣長など間で論争が


くり広げられた。




随分以前のことだが、「致知」という


雑誌を見たことがある。ある会社の社長


愛読書だったらしく、本箱に大事そう


に収められていた。もうこの言葉がマス


コミに登場することもなく、死語のよう


になっているが、小林秀雄にもこのこと


に触れた評論がある。春節で日本を訪れ


る中国の人たちが多い日に、この四字熟


語の意味を再認するのも意義あること


る思う。

コメント
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