一旦、千葉に上陸した台風15号は、いわき市あたりから、太平洋上を東へと逸れつつある。その外側の雨雲が、このあたりをかすめるようにかかって、静かな雨を降らせている。昼頃には、風も強くなるのであろうか。「晴耕雨読」がこのブログのタイトルになっているので、今日は筋トレをしながら、読書の日になる。読むのは、齋藤愼爾編『俳句殺人事件』。この人は大学の先輩で、学生時代からの俳人である。朝日文庫の全集「現代俳句の世界」では、全ての俳人の略年譜を構成する仕事もし、俳句への造詣は深いものがある。
この本は齋藤愼爾が選んだ俳句をモチーフにした事件を扱う、いわば探偵小説のアンソロジーである。博覧強記の編者の選んだ小説は実にユニークである。松本清張「巻頭句の女」が巻頭に置かれているは、この分野に疎い私にも頷けるところだが、戸板康二、五木寛之といった作家が探偵小説を手掛けていること自体が驚きである。しかも面白い。五木寛之の「さかしまに」は、戦争中の検閲という軍部の介入と手を組んで、新しい俳句運動の旗手たちを追い落としていく話である。軍部と手を組む俳人は、既成の俳句界で力を得ようする野心家だ。
実際の昭和15年、自由主義的傾向にあった京大俳句のメンバー15名が特高警察によって検挙され、翌年には齋藤愼爾の師である秋元不死男ら13人が検挙された。小説の主人公は、この事件の生贄のような存在となって、俳句界から抹殺された俳人の忘れ形見のような女性である。父の生前のことを知りたいというこの女性の願いを聞いて、俳句界の歴史に迫るのは、彼女の元恋人、俳句界を担当していた若きジャーナリスト、そして監獄でこの俳人と顔見知りだった怪しげな老人。
軍部からの厳しい追及に、転向声明を出し、意味不明の幼稚な句を残して、句会から身を引いた俳人。しかし、その句は、逆さまから読むと「君もまた敵を待つ日に死んだのか」「罪怒り憎みの作為参るのみ」となる。軍部の圧力に屈したのではなく、痛烈な皮肉を句にこめて、俳句界を去っていった男の本音が浮かんでくる。
本のページを印刷している部分は、フッターと呼ぶが、そこには見開きに一句、編者が選んだ句が置かれいる。小説の進行に合わせて選ばれているので、この句を見るもの楽しい。「さかしまに」の最終ぺージに置かれた句は「桐咲くやあっという間に間の晩年なり 田川飛旅子」である。