今日、地区の自治会の敬老会である。もうこれに参加するようになってから、3回目である。まだ敬老会にいくような年ではないという意識がどこかにあって、何となく進んで行くということがなかった。最近では、妻が「お祝いのご馳走がたべられるから行こう」というようなって、抵抗感がなくいくようになった。昨日、岳風会の「詩吟まつり」があった。詩吟の仲間も高齢で、懇親会はあたかも敬老会のような雰囲気であった。スマホを持っている人も結構多い。写真を撮るにもスマホを使っている。ラインを使っている人がいたので、すぐに友達登録をし、撮った写真をその人のラインに送ると、朝になって操作方法を訪ねてくる。敬老の年になれば、デジタル機器に疎い人が多いことをあらためて知らされた。
「七十にして心の欲するところに従いて矩を踰えず」ご存知、論語で孔子が自分の一生を語った言葉だ。「吾十有五にして学に志す」から始まる聞きなれた言葉である。四十代の不惑、六十代の耳順など、誰もが知っている。改めて、七十代。言葉通りに読めば、自由自在に行動して、しかも人間としての規範を破らない至上境ということになる。ある評論家がこの言葉に付言している。もうこの年になれば、節度を失うような行動はもはや、生理にできなくなっているということではないか、と。早い話が、これ以上飲むと、ひどい目に会うから、これまでと盃を置くような話だ。それにしても、まだまだ、飲み過ぎて、タクシーの中で眠ってしまうような七十代も時々いる。もって瞑すべしというべきか。