最近、空を見上げて、月を見ることが多くなったような気がする。夜空に出ている月には、それほどの執着はないが、日の沈む前の月が、時間とともに明るさを増していく様子が気に入っている。滅多に望遠レンズは使わないが、こんな時間の月の撮影には使いたいレンズだ。清少納言の枕草子に「月のいとあかきに、川を渡れば、牛のあゆむままに、水晶などのわれたるやうに、水のちりたるこそをかしけれ」と月にふれた一節があるが、古来どれほどの歌人、詩人、文筆家が月について書いていることだろうか。
行乞をしながら放浪の旅を続けた種田山頭火。この自由律の俳人の句にも、月を詠んだものが多い。昭和5年10月10日、九州の福島町から志布志へ行く道で
みんな寝てしまってよい月夜かな
月夜の豚がうめきつヾけてゐる
月光あまねくほしいまゝなる虫の夜だ
月の水をくみあげて飲み足った
名月の戸をかたく閉ざして
この日、山頭火は行程4里、志布志で局止になっている郵便物を受け取った。友人から手紙で、中にはおそらく為替も同封されていたのではないか。「友はなつかしい、友のたよりはなつかしい」と日記に書きつけている。出家し、放浪の旅とは銘打っているが、あくまでも酒や俳句の友人とは切れない旅であった。
飲まずには通れない水がしたたる
砂がぽこぽこ旅はさみしい