昨日、中秋の名月であった。久しぶりに、雲のかからない丸い月を堪能した。カメラに収めようとしたが、私の技術では満月をくっきりと撮ることはできなかった。カメラまかせでは、夜の風景を撮るのはあまりにも難しい。時間は刻々と過ぎ、もはや寒い冬を胚胎している。桃が甘く熟れ、リンゴは次第に色づきはじめた。それにしても、過ぎ行く時の流れはあまりにも早い。
明日、また明日、そしてまた明日が
せわしない足どりで一日、また一日と、
時の記録の最後の一点まで這ってゆく。
そしてすべての昨日は、阿呆どもが、
死んで塵に帰る道のりを照らしてきたのだ。 シェークスピア『マクベス』5幕5場
時の流れは残酷だ。時に、マクベスのこのセリフを思い出させるように過ぎていく。この場面でマクベスが立てこもっていた城は敵の軍勢に包囲され、マクベスの立場は、いよいよ困難なものになっていた。そこへ、従僕が王妃の死を知らせてくる。マクベスはそれを聞いて思わず、「もっと後で死んでくれればよかったものを」というセリフを吐く。このセリフに続いて、明日、また明日、というセリフが続く。
マクベスの脳裏にはもはや個々人の死などというものは飛んでしまって、人間一般の避けられぬ運命へと思いが巡っている。辻邦夫に『時の果実』というエッセイがある。このなかで辻は、成熟の時間について述べている。果実が成熟するには、決められた時間が必要であって、人間にはそれを縮めることはできない。ものごとを時間に委ねる、こここそ辻が辿りついた地点であった。