常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

桔梗

2014年07月25日 | 


桔梗の花は、今開こうとする蕾が面白い。風船をふくらませたような形は、子どもの頃この蕾を潰して遊び、散々叱られた覚えがある。この花を見ると、昔、近所に住んでいたMさん宅のお婆ちゃんを思い出す。新築して引っ越してきたばかりの頃、この花が好きで庭の片隅に移植して大切に育てていた。秋口に咲いた深い紫の花は、どこか奥ゆかしくいつまでも記憶に残っている。

この花は秋の七草に数えられる。まだ大暑であるのに少し早い気はするが、土用の丑の日の次の週には立秋になるので秋の花が咲き始めたのだろう。山上憶良に万葉集採用された七草の歌がある。

  秋の野に 咲きたる花を指折り(およびをり)
  かき数ふれば七種(ななくさ)の花
  萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花 
  また藤袴 朝貌(あさがお)の花

この最後に登場する朝貌の花が、桔梗とするのが一般的だ。いま、家の軒に這わせている蔓性のアサガオは、万葉集のずっと後に、牽牛子として中国から渡来したもので、秋の七草ではない。地中にある根は桔梗ねと呼ばれ、漢方薬の成分として利用される。


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ズッキーニのオムレツ

2014年07月24日 | グルメ


ズッキーニの最盛期が過ぎた。木は大きくなって花も咲いているが、最盛期に比べて実が大きくなるのが遅い。もう少し経ってから収穫しようとすると、翌日にはとんでもなく大きくなっている。それでも、味が極端に落ちるわけではない。ラタトイユや炒めものやソテーのほかの食べ方を探していたら、丸元淑生のレシピでオムレツを見つけた。

調理は至ってシンプル。2、3ミリの薄さに切ったったズッキーニに塩味をつけ、タマネギの薄切りと一緒にオリーブオイルを敷いた厚鍋で弱火で熱する。ズッキーニに火が通ってから、6個ほどの卵を全体にまわしかけ、弱火で熱し続ける。卵がいい具合に固まってきたところへ細かく刻んだパセリを振りかけ、卵があまり固まり過ぎないうち火を止めて完成。塩味だけのシンプルな味付けは、この料理を上品なものにしている。腹にもたれず、ヘルシーな食感は、はまりそうな味だ。ズッキーニの利用の幅を広げられる。


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向日葵

2014年07月24日 | 


昨年であったか、道の駅村山の駐車場の前の畑に向日葵を栽培している畑があった。その花は大きな木でないが、一斉に咲き揃ってみごとであった。だが、ひとつ不思議に感じたことがあった。その花は太陽が出る反対、つまり西向きに花を開いていた。向日葵は日ざしに向かって咲くのではないのか。鉢植えの花が窓の方を向いて咲くので、くるっと廻して室内に向くようにしても、気がつけば花は窓を向いている。向日葵もそうだとばかり思い込んでいたが、とんでもない誤解であることが分かった。

牧野富太郎の『植物知識』の「向日葵」項に、日まわり日には廻らずとして書いている。
「ヒマワリの花はそく側方に傾いて咲いてはいれど、日に向かっていっこうに動かないことは、実地についてヒマワリの花を朝から夕まで見つめていれば、すぐにその真相がわかり、まったくくたびれもうけにおわるほかはない。」
中心で成長しつつある種は、びっしりと重く、とても自力で動かすことなどできないのだ。

ヒマワリがキク科の植物で、花盤の上の小花と回りにある舌状小花が役割を分担して受精がたくみに行われ、結果として地上の植物でもっとも進歩したものだという知識も教えてくれる。花盤の実が成長しているのは、少しそこを見ただけで分かる。実に神秘的な営みである。


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階段と独居老人

2014年07月23日 | 日記


大暑、夏の節気の最後である。文字通り暑い、今日の予想気温は32℃となっている。暑いけれども、夏の体力増強に階段登りを復活させている。10階の階段を10往復するのだが、5往復を過ぎたころから汗が頭皮のあたりからふき出して足元へ飛んでいく。この運動が終わってから、温泉で汗を流すのは最高の気分である。気持ちだけで身体がリフレッシュしたようで、動くのが軽く感じられる。

きのう階段でここの一階に住むsさんを見かけた。sさんは若いころ、車に野菜を積んで団地を巡回し、売り歩いて生計を立てていた。市場で安い野菜を仕入れて、主婦のために求めやすい野菜を売るのが特徴であった。病で娘を失ってからは、夫婦の二人暮らしであった。8年ほど前から奥さんも病に倒れ寝たきりの状態であった。sさんの顔から笑顔が消えたのはこの頃からであった。sさん宅の状態を見たことはないが、男手だけでの介護は大変であったと想像する。



その奥さんも亡くなり、一人暮らしになってから一年が経つ。このマンションで、今年だけで独居老人が二人も亡くなっている。sさんは足代わりに使っていた車を捨て、移動は自転車である。冬の時期は足が弱り、歩くのも不自由な状態であった。そんなsさんが階段の踊り場で、外の景色をじっと眺めている。傍らを通り抜けて、戻ってくるとsさんはさらに上の階の踊り場でやはり外の景色を眺めている。「階段を登っているの?」と声をかけて見た。sさんは一言「運動」と答えた。「ええっ、階段登りは運動に最高だよ」と言うと、sさんの目が輝き、無精ひげの顔に満面の笑顔が広がった。

ここに住んで三十数年、sさんには度々行き会っているが、正直こんな笑顔を見たのは初めてだ。美しい笑顔だと思った。人間は年老いてなおこんな美しい笑顔を持っていることに感動した。この笑顔を見て、きのう一日気持ちのいい日を過ごさせてもらった。

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百日紅

2014年07月22日 | 日記


散れば咲き散れば咲きして百日紅 千代女

この句にあるとおり、この花の咲く期間が長ので、なるほどと名前の由来が分かる。ところが、百日紅と書いて「さるすべり」と読む。これは木肌がつるつるとしていて、猿が滑るという意味である。つまり、この名はふたつの意味を持っている。インドの原産で、中国を経由して日本にやってきた帰化植物である。仏教の渡来との関係があるのか、百日紅はお寺の庭に植えられていることが多い。この花が咲くと、セミの鳴き声が聞こえ、真夏の日々が近づいてくる。

中国から渡来した言葉で、日本では違う意味を持つ言葉がある。「有頂天」これは梵語のバヴァーグラ(最高神)を漢訳したもので、存在の最高なる者の意味である。日本に入ってきてからは、狂気することの意味で使われる。たしかに最高神であることは、気持ちのいいものには違いないが、中国ではそのような意味では使われることはない。山形に「有頂天」いう名のラーメン店があるが、最高のラーメン店という意味でつけたのか、食べた人があまりのおいしさに有頂天になって喜ぶという意味なのか、どちらであろうか。先ごろ山の仲間と食べに行ったが、美味しいことは間違いないが、狂気するほど喜んだのでもなかった。

「億劫」という言葉も日本では違った意味で使っている。劫は時間の長さに単位で、大きな城を芥子粒で満たし、百年に一粒を取り去り、その大きな城の芥子粒が無くなる時間のことである。大きな城には幾粒の芥子が入るのか定かではないが、百年に一粒だから途方もない時間であることは間違いない。日本では面倒くさくていやになってしまうことの意味で使われている。

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