常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

紫陽花の学名

2016年06月21日 | 


梅雨入りになったが、この地方にはまだ梅雨らしい雨は降らない。野菜畑の乾燥を潤す程度のいわゆる「いい雨」である。それでも季節の花は咲く。ツツジが終わって、春のバラも盛りを過ぎたため、すっかり紫陽花がその主役の座を占めた感がある。

詩嚢涸れ紫陽花の藍浸々と 鈴木 花蓑

ところで紫陽花の学名は、H.M.var Otakusa とついているそうだ。これはオランダ軍医、かのシーボルトの命名によるものだ。シーボルトは医者であり、動物学や植物学を研究する学者でもあった。医者であったため、長崎に住むことを許され、鳴滝塾という医院兼学校のようなものを開き、日本人の病人を診察しながら、日本にある珍しい動植物を採集していた。ここで知りあったお滝さんという女性と婚姻関係を結び、稲という子を設けている。オタクサという学名は、シーボルトの日本人妻の名前に因んだものらしい。新発見の植物に自分の妻の名をつけるなど、当時の日本人の発想にはなかったであろう。

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一片の月

2016年06月20日 | 漢詩


『石川忠久・中西進の漢詩歓談』が抜群に面白い。漢詩の権威、石川忠久と古代日本文学の泰斗中西進が、漢詩の面白さを縦横に語っている。漢詩が日本の万葉集や古今集の紀貫之などの季節感に与える影響など、漢詩の見かたに新しい視点を提起している。李白の子夜呉歌四首其の三は

 長安 一片の月
 万戸 衣を擣つの声
 秋風 吹いて尽きず
 総べて是れ 玉関の情
 何れの日にか 胡虜を平らげて
 良人 遠征を罷めん

中西進はこの詩の面白さを語っている。「前半の景の部分ですが、まず月というのはみんなが見ている。秋も、良人もその季節の中にいる。ところが砧というのは、現在の女性の方にしか聞こえていない。そういうものが「総べて是れ」と一つになっているのが、非常に面白かったんです。この詩の獲得する空間がものすごく大きくなってくるでしょう。」

石川忠久は一片の月にふれて語っている。「まんべんなくそそぐ雨のことを「一片の雨」と歌った例があります。ですから「一片の月」というと、光がまんべんなく降りそそぐというようなイメージがあります。」

また中西は、「衣を擣つ」で万葉集では、「旅先の夫の着物をすごく問題にします。着物というものを媒体として夫婦がつながるというモチーフが、かなり普遍的にあります。」と語り、妻の情が戦場にある夫を思いやる象徴して、衣があるのではないかと推測する。二人の学者の想像力が、漢詩や和歌の世界を大きく広げる刺激的な一冊である。大修館書店刊、1400円+税。
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伊勢物語

2016年06月19日 | 読書


古典を現代語で読める便利な本が出ている。『源氏物語』など、この年になって古文で読めるはずもないが、5年ほど前思い立って瀬戸内寂聴訳の『源氏物語』を読むことができた。現代文で読むと、以前難解だと思っていた文が、すっと入ってきた。これに味をしめて、『室生犀星全王朝物語』や『お伽草子』(ちくま文庫)にも目を通した。『お伽草子』には、「もの草太郎」や「浦島太郎」、「酒呑童子」「三人法師」など、子どもころ聞いた話が入っている。しかも、訳者には円地文子、永井龍男、谷崎潤一郎などの大御所が起用されている。

同じちくま文庫に『竹取物語・伊勢物語・堤中納言物語』が、訳者は臼井吉見と中谷孝雄である。「昔男ありけり」で始まる伊勢物語は、あるできごとについて歌をつける、短い愛の歌物語の集成である。主人公は在原業平とされる。

「むかし、東宮の女御の御殿で催された花の賀に、召し加えられた時、ある男が詠んだ歌、

 花にあかぬ嘆きはいつもせしかども今日のこよひに似る時はなし

(あまりに花が美しいので、いつまで見ていてもまだ見たりないという嘆きは毎度してきが、 
 今宵ほど名残惜しい気がしたことはかってなかったことです)」

訳者の中谷孝雄は、注で東宮の女御について、東宮の后と東宮の母の二つの意味があるが、この段は二条の后をほのめかしたものと思われるので、後者の意味になる、と説き業平のかなわぬ恋を歌にしたものとしている。

もう30年も前になるが、埼玉県の志木にある中谷孝雄氏を友人に案内されて訪問したことがある。このとき、先生の関心事は吉野裕子であった。陰陽五行や古代呪術に尽きない興味を持ち、毎日吉野の著述を読んでいる語られていた。



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ラタトウユ

2016年06月18日 | グルメ


畑の収穫も忙しくなってきた。何よりもズッキーニが採れるので、一年ぶりにラタトウユを作った。玉ねぎとズッキーニは自分の畑のものだが、ナスはスーパーから、トマトは缶詰を利用した。コリアンダーのホールも自前だが、昨年収穫したものだ。小鉢でつぶして使ったが、香料としては十分だった。スープが野菜だけから出ているものなので、深い味わいがある。

老後の食生活で注意したいことは、「できるだけ野菜を多くとる」ことと続けられる限り、「自分で手作りする」ことのふたつ。スーパーやコンビニの惣菜売り場へ行けば、いつでも最低限の食料がすぐに手に入れることができる。ましてや、電話ひとつで配達してもらうこともできる。しかし、これでは生きていることの半分しかできていない。人間にとっては、食材を調達し、それをおいしく調理することも、生きていることの重要な部分だ。

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結城哀草果

2016年06月18日 | 日記


斎藤茂吉の高弟で、歌人である結城哀草果は60歳を過ぎて登山を始めた。若い人々と山に挑むことは、内なる精神を強くし、和歌の芸術性を高めるものであった。近くにある山形の山々、つまり蔵王、月山、朝日、飯豊、東北の山では安達太良山、早池峰山、燧岳、尾瀬。さらには立山の頂もきわめた。

詩人の真壁仁は哀草果の登山について、「山に登ったから高邁が生まれたというより、作家の精神が山を呼び求めているのである。山は精神の高まりををもたらすだけでなしに、もっと生命の意味や行為の美しさを、事物の刻々のうつろいのなかに感知する表現の機密を、作家にささやいたであろう。」と述べている。

ひんがしに海ひらけたる国ゆきて青山にたつ虹あはれなり 結城哀草果

結城家はいまも、本沢にあるが、詩吟の山形岳風会との縁も深い。本沢教場に所属し、長く広報部員を務められた結城美雪さんは、哀草果の子息結城晋作さんの奥様である。本沢教場では、哀草果の和歌をたくさん吟じ、勉強されている。

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