常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

キンシバイ

2016年06月17日 | 


同じオトギリソウ科でも、ビヨウヤナギに比べてこのキンシバイはやや花の咲くのが遅い。花のかたちがやや梅の花に似ているような雰囲気があるので、名にバイ(梅)が入ったように思われる。中国原産で雲南省では、畑の近くで野生しているという。低木だが生命力は強く、たちまち大きな株となる。マンションなどの前庭に植えると、豪華な花壇になる。

この時期、日陰にはドクダミの花が咲く。白い萼で中央部に雄しべと雌しべが突起する。ドクダミは、いかにも毒草のような名だが、毒矯めが転じてドクダミとなったもので、食あたりの毒消しの役をする薬草である。近づくときつい匂いがあり、根を伸ばして繁殖する。別名、十薬。

十薬が天地に青き香を放つ 市村究一郎



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恥川伝説

2016年06月16日 | 日記


雨上がりの千歳山に登った。梅雨に入って、山の緑が目にしみる。千歳山を山形のランドマークという人もいる。なるほどと納得できる。初めて山形にきて、電車を降りて山形駅に降り立つと東正面に端正な三角錐を見せる千歳山が先ず目に入る。上山市と境にあるみはらしの丘からも、市街地の右手の山側に目立つ山が千歳山だし、笹谷峠から山形神室へ登る尾根道からも、千歳山のなつかしい山容が見える。

この山の南麓にある集落が平清水である。平清水家はいまもあるが、かってはここの大地主で名主であったらしい。この名主に家を隠れ家として住んでいたのが、京都の貴族の娘、阿古耶姫である。千歳山の麓の平清水の集落を縫うように流れるのが恥川である。阿古耶姫はこの川を越えるたび、集落の人々行き会う。着物の裾を上げて、白い脛が集落の人たちから見えてしまうので、姫は常々「恥ずかしい」と思っていた。ある日、川のなかで恥ずかしい思いに駆られ、膝をつくと、川の水は地下に潜って、たちまち石ころの道になった。川の水はしばらく地下に潜り、福の神というところで、また流れになった。

恥川伝説である。阿古耶姫の思いが、この川を恥川という名の由来となり、この川がかっては伏流水であったことを暗示する。奥羽山脈から西へ流れ、最上川に入る河川は、伏流水となって流れることが多い。馬見ヶ崎川も小白川天神の裏から、沖村まで伏流した。夏、この川に遊びに行っても水はなく、石がごろごろとある河川敷である。大雨で上流のダムが放流されると、水を湛えた川になる。
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あじさい

2016年06月15日 | 


あじさいの花は、咲き始めてから色を変えていく。咲きはじめは白で、次第に青くなり、やがて青むらさきになる。そのため、この花を七変化と呼ぶこともあるらしい。この花の変化する特性を、浮気者にあてることもある。永井荷風に『あじさい』という短編があるが、これは天性移り気な女が、男から男を渡り歩き、最後は〆蔵という新内流しに刺殺される話だ。この小説にはあじさいの花が出てくるわけでなく、この題名が話を象徴している。

山形のあじさいの名所は、新庄市金沢のあじさいの杜(45000<株)、大江町藤田のテルメ柏陵(18000株)、新庄市最上公園のあじさい広場(18000株)、山形市総合スポーツセンター(12000株)、酒田市飯森山文化公園(10000株)などが主なところだ。因みに山形市村木沢の出塩文殊堂の参道には2500株のあじさいが咲く。山形県のあじさい名所の見ごろは、7月上旬までで、今年は例年より早まっているようだ。

紫陽花や白よりいでし浅みどり 渡辺 水巴
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カセイマル

2016年06月13日 | 


我が家のサボテン、カセイマルが大きな花をつけた。もう20年近くも前に娘のところから持ってきたものだ。先ず驚くべきは、その寿命の長さ。そして成長の遅さ。もっともこれは鉢の大きさにあるのかも知れない。そして本体に比べての花の大きさと豪華さである。この鬼の耳のような大きな花に加えて、小さな花芽も出ている。大きな花が終了してからまた咲くのかも知れない。

フォークソング財津和夫の「サボテンの花」のメロディーが懐かしい。出ていった恋人が育てていたサボテンは、まだまだ生きているようなきがする。このサボテンはカセイマルという名だが、マルとついているのは本体の形が丸いからであるらしい。
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千歳山阿古耶の松

2016年06月13日 | 民話


千歳山の山頂に阿古耶の松跡と彫られた石碑がある。年代の古いものと新しいものの二つだ。その碑を囲むように松があるが、写真のような松枯れである。山中の松はこの松枯れで何本伐り倒されたのか、数えようもない。大木は小さくされて積まれ、ビニールで覆われている。下へ運んで利用する様子もない。こんな松の姿を見て地中に眠る阿古耶姫はどんなに心を痛めているだろうか。阿古耶姫の伝説はいろいろに語り継がれているが、千歳山の頂上に亡骸を埋めたものがある。

中将姫に阿古耶姫という妹があった。父藤原豊成が罪を受けて遠国へ流刑となったとき、近侍の某が姫を連れて東国に逃れた。苦しい旅を続けて、某の故郷である出羽の平清水村に辿り着いた。淋しい片田舎で生きる甲斐もなかったが、忠義者の某の献身的な心づくしで、旅の憂さも忘れ、都へ帰る日を待ち焦がれていた。けれども、そうしているうちに姫は重い病の床についた。もう助からぬ命と悟った姫は、「死後は千歳山の頂上に亡骸を埋めて、しるしの松を植えて欲しい」と遺言し、短冊に辞世の歌を記した。

消えし世のあと問う松の末かけて名のみは千代の秋の月影

年を経てそのしるしの松は、阿古耶の松として語り継がれている。いまそのしるしの松は枯れて山中に積み重ねられる運命となっている。

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