常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

玉川上水

2016年06月12日 | 日記


江戸に幕府を置いたとき、徳川家康は水対策をいくつも行っている。小石川を水源とする小石川上水、井の頭池を水源とする神田上水。さらには西南部の水を供給する赤坂ため池などである。3代将軍家光の時代になった参勤交代が行われ、大名の家族、家臣が江戸に住むようになった人口が急激に膨れ上がった。既存の上水では水の供給がおぼつかないことになり、浮上したのが多摩川の水をせき止めて取水し、江戸の水を賄おうとする壮大な計画が持ち上がった。

担当したのは、工事請負人の庄右衛門と清右衛門の兄弟、総奉行に老中松平信綱が任じられた。取水口である羽村から四谷大木戸まで延長4キロの素掘りによる水路を作り上げる計画である。羽村からのいくつかの段丘を這い上がるようにして武蔵野台地の稜線に至り、そこから尾根を巧みに引き回して、四谷大木戸に至る自然流下の水路である。工事は8ヶ月という驚くべきスピードで完成した。

四谷からは水路は二つに分かれ、一つは江戸城へ引かれ、もう一つは赤坂から虎ノ門、その先にある大名屋敷の用水として利用された。工事請負人の兄弟は、玉川の姓を与えられ、200石の扶持米と永代水役という褒賞が与えれた。玉川上水はこの兄弟の名が冠せられている。昭和23年6月13日、玉川上水に入水自殺した太宰治は、投身した跡のある三鷹町の土手から1キロほど下流の新橋で死体となって発見された。一緒に死んだ山崎富栄は、赤い紐でしっかりと太宰に結び付けていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年06月11日 | 日記


市街地では年々田がなくなっている。少し郊外に行くと、戸を開けると稲を植えたばかりの田が広がっていたものだ。田植えのために水を入れると、すぐにカエルの大合唱が始まった。だが耕耘せず、雑草の天国になってしまった光景があちこちで見られる。やはりそんな光景を見ると淋しい気がする。米の消費量が減っているし、田を作る人もだんだん減っていくのだから、仕方のないことなのだろう。

市街地だけでなく、農地ばかりのある地方、親戚のある尾花沢でも、後継者のいない農家は、田だけでなく特産のスイカも止めてしまう農家も多い。瑞穂の国と言われていたが、若者は村を離れ、農家の担い手はどんどん減っていく。国内にある田が捨てられ、米は外国からの輸入品にとって代わられてしまうのだろうか。攻める農業などと政府がいうが、田舎に住む人がいなくなってしまえば、それはあり得ない話だ。山河と田畑という日本の原風景は確実に失われつつある。

遅れ田を植うる阿修羅の老夫婦 杉山 岳陽

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビヨウヤナギ

2016年06月10日 | 


梅雨時に咲く黄色い花は、このビヨウヤナギとキンシバイだ。ビヨウヤナギは長い雄しべが特徴である。長いまつ毛のようで、その美しさから美容の名が与えらたかも知れない。もうひとつヤナギが入っているのは、葉が長いためであるらしい。この二つのはいずれもオトギリソウ科である。オトギリソウが古くから、日本各地に自生しているのに対して、ビヨウヤナギもキンシバイも中国からの帰化植物である。



ネットからオトギリソウの写真を借用した。山中でよく見かける花だ。仲間たちはこの花の部分を採って持ち帰り、乾燥させてから焼酎漬けにするという。虫刺され、汗疹、切り傷につけると効くらしい。日本で昔からあった民間療法である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜桃

2016年06月09日 | 日記


サクランボの実が色づいてくると、太宰治の桜桃忌が巡ってくる。太宰治が遺書を残して、山崎富栄と行方知れずになったのは、昭和23年6月14日のことであった。そして二人が玉川上水で遺体が発見されたのは6月19日のことである。この日は奇しくも太宰の39回目の誕生日であった。

太宰治の絶筆となった小説は『グッド・バイ』である。朝日新聞に連載を予定した作品で、その第1回分が6月21日に掲載された。つまり玉川上水から遺体が上がった後に連載が始まったのである。その後、「朝日評論」第7号に「作者の言葉」を付して全文が掲載された。

太宰が書いた「作者の言葉」は次のようである。

  唐詩選の五言絶句の中に、人生足別離の一句があり、私の或る先輩はこれを「サヨナラ」 
 ダケガ人生ダ、と訳した。まことに相逢ったときのよろこびは、つかのまに消えるものだけ
 れども、別離の傷心は深く、私たちは常に惜別の情なかに生きていると言っても過言ではあ
 るまい。題して「グッド・バイ」現代紳士淑女の、別離百態と言っては大袈裟だけれども、さ
 まざまの別離の様相を写し得たらさいわい。

怪力の持ち主である永井キヌ子と絵のモデルの水原ケイ子との話が語り始められるが、話の途中で小説は終わってしまう。この小説の題名のように、太宰はこの世からグッド・バイをしてしまった。井伏鱒二が訳した「サヨナラダケガ人生ダ」の一句は、太宰の最後の瞬間に大きなインパクトを与えることになったのである。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒメサユリ

2016年06月08日 | 登山


千歳山を歩くのは今年になって初めてかもしれない。この季節ならヒメサユリが咲いているかもしれないという思いから畑へいく前に登った。山中で知人のHさんに会う。「何だい忘れたころに登ってくるなあ。元気か。」と声をかけられた。この人は勤めていたころの同業者で、千歳山に20年以上も毎日登り続けている先輩だ。挨拶を交わして行違ったすぐ後に、ヒメサユリがひっそりと咲いていた。明け方降った小雨が、花や葉の上に残っていた。傍らに、白い布に油性のペンで、「とらないでね。わたしここで咲いていたいの」と書いた札が添えられていた。登山道に数本しかないヒメサユリを掘っていく心無い人がいるということなのだろう。

千歳山の松枯れが止らない。枯れた松が切り倒されて、薪のように積まれているそばに、植えらた松の幼木はこれから何十年経つと、立派な松に成長するのだろう。あと何年この山に登ることができるだろうと考えると、心もとない気がする。



千歳山に登ったのは、もう一つの理由がある。山友会の今年のメインイベントである鹿島槍ヶ岳の山行が、来月に迫っている。そのためのトレーニングがその理由だ。鹿島槍は扇沢登山口から種池山荘に一泊したあと、爺ヶ岳を経て冷池山荘に荷物を預けてサブザックで南峰から北峰に登って冷池山荘に引き返して泊まり、登山口へと帰る2泊3日の予定だ。昨年の雲ノ平に比べれば、歩行距離もずっと短くなっているが、十分なトレーニング必要だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする