常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

若き才能

2018年02月18日 | 日記


昨日は、平成最後の日本にとって特別な一日だった。平昌オリンピックフィギュアスケートの男子シングルで羽生、宇野の両選手が金、銀のメダルを獲得。将棋界では、中学生の藤井聡太5段が、朝日オープンで羽生竜王、広瀬8段を破って優勝、6段への昇段を果たした。ニューヨークではテニスの錦織圭が怪我から復帰し、ニューヨークオープンで準決勝へ進出した。この4人に共通するのは、子どものときに始めたものが、10代という年代でその世界のトップに肩を並べたことだ。しかも、この4人が奇しくも同じ日に快挙を達成し、大輪の花を咲かせたことに不思議な縁を感じる。どことなく暗くなりつつある日本の未来に灯された光明のように感じる。

初花を見せては雲の閉ざすなり 水原秋桜子
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涅槃

2018年02月16日 | 日記


涅槃とはずいぶん難しい言葉だ。昔、ある俳優が投身自殺をしたとき、「涅槃へ行きます」という遺書を残したことがあった。辞書を見ると、聖者の死、入寂、入滅などとある。本来、梵語で吹き消すというのがもとの意味である。そこから、煩悩を滅却して、絶対自由の状態という意味が生まれている。昨日2月15日が、釈迦入滅の日で、お寺では涅槃会が行われる。木の下で臥せている釈迦の絵を本堂に掛けて、読経する。

木のもとに臥せる仏をうちかこみ象蛇どもの泣き居るところ 正岡 子規

釈迦をしたって同じ日に死んだ西行、また吉田兼好。古人の忌日が続き、遠い過去に思いを寄せる日々である。その前日はバレンタインの殉教した日。春めいて小鳥たちが相手を求めあうという伝説から、恋人たちが手紙を交す風習が生まれた。間違っても、義理チョコなどを配る日ではない。天才中学生棋士藤井聡太5段のもとには、家に持ち帰ることができないほどたくさんチョコレートが届いたそうだ。

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西行忌

2018年02月15日 | 日記


文治6年2月15日(1190)西行法師が没した。西行忌にあたる。時代は武士の権力が台頭し、頼朝が鎌倉に幕府を開くのが眼前に迫っている。同じ日に『徒然草』を書いた兼好法師も死んでいるから今日は兼好忌でもある。また現代に生きる年金生活者には、ふた月に一度の年金支給日でもある。西行は生前釈迦の涅槃のころに入寂することを願い

ねがはくは花のもとにて春死なむそのきさらぎの望月のころ 西行

と詠んだが、陽暦になおすと彼岸のころになるので、その願いは叶ったように思える。日本画や浮世絵で好まれた画題に「冨士見西行」というのがある。笠を被り、荷を風呂敷に包んで方にかけた西行が、富士を見ている後姿が描かれる。よほど大切な荷物であったらしく、この荷は絶対に離さないと意志を感じさせる。後の世の人は、こんな荷の背負い方を西行がけと言った。

昨日、気温が上がって、積もった雪が融け、除雪していない駐車場では、車が動かなくなって困った。きょうもさほど冷えない。めぐりの四温の陽気であろうか。予報の雪マークは今週いっぱい続く。
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冴え返る

2018年02月13日 | 日記


ためらいながら近づいてくる春。温かくなったと思ったら、寒中さながらの寒さが戻る。こんな現象を「冴え返る」と言っている。やるせない気持ちに打ちひしがれたり、もう少しで春と、気を強く持つ今日この頃である。

山がひの杉冴え返る谺かな 芥川龍之介

芥川はこの句の詞書に高野山としている。大正10年、中国へ旅行した後、神経衰弱に悩まされる。そのなかで一番苦しんだのは、不眠症である。睡眠薬を常用するようになり、中毒症状を起こす。幻覚、食欲不振、全身懈怠、めまいなど。しかし、その症状を抱えながら、小説や評論を実によく書いた。俳句もせっせと作り続けた。
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春寒

2018年02月12日 | 日記


朝、目が覚めて驚いた。外は15㎝を越える積雪、昨日までの春の風景がうそのような冬景色である。車を出すための雪掃きに15分を費やす。こんな気候を余寒と言ったり、春寒と言う。駐車場にはやはり車を出すために雪掃きをしている人が一人。「頑張るね」と声をかけても、小さく頷くだけで答えは返ってこない。予想をしなかった雪に、うんざりしながら、仕方なく雪掃きの作業をしているのかも知れない。山行の日の日差しが恋しい。

春寒と言葉交せば人親し 星野 立子

晩年になって、唐の詩人杜甫は老いの身の病と孤独を嘆く詩を詠んだ。高台に登って、眼下の景色を見るのは、その淋しい心を少しでも慰めようとしたのであろうか。「艱難はなはだ恨む繁霜の鬢 潦倒新たに停む濁酒の杯」苦労の末に、すっかり鬢は白髪となり、身体は弱って好きな酒も止めざるを得ない。帰る家もなく、家族を連れた旅のなかで、杜甫はひたすら老いの身を嘆き悲しむ。そんな主人に連れられて旅する家族たちの心細さはいかばかりであったろうか。

杜甫の律詩「登高」について触れるのは、3月の吟詠大会で出吟する連吟で、吟題にこの詩が選ばれたためだ。

風急に天高くして猿嘯哀し
渚清く沙白くして鳥飛び廻る

無辺の落木蕭蕭として下り
不尽の長江滾滾として来たる

万里悲秋常に客と作り
百年多病独り台に登る

本来、高台には家族がこぞって登り、そこで酒に菊花を浮かべて家族皆の健康を祈る仕来りであった。杜甫はそれをせず、独りで台に登り、病の身を嘆いている。この詩を作った4年後、長安へ帰る舟のなかで、杜甫はこの世を去った。享年59歳。


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