朝、目が覚めて驚いた。外は15㎝を越える積雪、昨日までの春の風景がうそのような冬景色である。車を出すための雪掃きに15分を費やす。こんな気候を余寒と言ったり、春寒と言う。駐車場にはやはり車を出すために雪掃きをしている人が一人。「頑張るね」と声をかけても、小さく頷くだけで答えは返ってこない。予想をしなかった雪に、うんざりしながら、仕方なく雪掃きの作業をしているのかも知れない。山行の日の日差しが恋しい。
春寒と言葉交せば人親し 星野 立子
晩年になって、唐の詩人杜甫は老いの身の病と孤独を嘆く詩を詠んだ。高台に登って、眼下の景色を見るのは、その淋しい心を少しでも慰めようとしたのであろうか。「艱難はなはだ恨む繁霜の鬢 潦倒新たに停む濁酒の杯」苦労の末に、すっかり鬢は白髪となり、身体は弱って好きな酒も止めざるを得ない。帰る家もなく、家族を連れた旅のなかで、杜甫はひたすら老いの身を嘆き悲しむ。そんな主人に連れられて旅する家族たちの心細さはいかばかりであったろうか。
杜甫の律詩「登高」について触れるのは、3月の吟詠大会で出吟する連吟で、吟題にこの詩が選ばれたためだ。
風急に天高くして猿嘯哀し
渚清く沙白くして鳥飛び廻る
無辺の落木蕭蕭として下り
不尽の長江滾滾として来たる
万里悲秋常に客と作り
百年多病独り台に登る
本来、高台には家族がこぞって登り、そこで酒に菊花を浮かべて家族皆の健康を祈る仕来りであった。杜甫はそれをせず、独りで台に登り、病の身を嘆いている。この詩を作った4年後、長安へ帰る舟のなかで、杜甫はこの世を去った。享年59歳。