常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

薔薇

2020年05月26日 | 
コロナウィルの感染対策の緊急事態宣言が解除された翌日、近所の散歩道を散策していると薔薇が咲き始めていた。大きな花の陰には蕾がたくさんあり、花の盛りまでには少し時間がある。正体の見えない感染症で閉ざされていた心もようやく開き始めたような気がする。道路を走る車の数も昨日あたりから、ぐんと増えたように感じる。心なしに解放感が感じられる。

とほるときこどものをりて薔薇の門 大野林火

薔薇の花を美しいと誰もが思うが、その筈で、桜、梅、桃など多くの人に愛でられる花はいずれもバラ科である。またその仲間を探せば、いちご、さんざし、小手毬、ナナカマドなどなど、季節ごとに親しんでいる花々がバラ科であることに驚かされる。

漢詩に詠まれた薔薇はその香りを愛でている。

梁燕語多く終日あり
薔薇風細やかにして一簾香し
 
意味は梁の上に、燕がさずりながら一日中一緒にいる。そよ風は簾越しに薔薇の香りをいっぱいに吹きよせてくれる。


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桐の花

2020年05月25日 | 日記
ジャーマンアイリスが散り初め、里山に桐の花が咲き始めた。10年以上も前になるが、桐紙を作って生涯を過ごした大沼喜代治さんの自伝の制作のお手伝いしたことがある。それ以来、桐の木やその花を注目するようになった藤の花より少し遅れて咲くが、紫の花は里山のなでも目を引く。斎藤茂吉と同時代の俳人にある句も、忘れ難い。

桐の花妻に一度の衣を買はず 中村草田男

草田男が結婚したのは昭和11年、35歳の時であった。晩婚である。見合いを10回もしたと伝えられる。それだけに、妻を愛し、生まれた子を愛した。上の句は、昭和11年から14年までの句を集めた句集『火の鳥』に見える。この句集には、中年に入って結婚した草田男の心情を語るように、妻や子を詠んだ句が多い。

万緑の中や吾子の歯生え初むる

新緑がまぶしい季節である。生業に拙い草田男は、ふと考えると、妻に夏の着物一枚買ってやっていない。桐の花の咲いた庭で、子を抱きながら明るく微笑む妻がいた。時代は、戦時の影が日本を覆い、俳句などを創るゆとりがない時代迎えようとしていた。

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山と音楽

2020年05月24日 | 登山
歌劇「魔弾の射手」序曲 Overture From 'Der Freischutz'
山登りを楽しみとするものにとって、コロナ禍は辛いものがある。緊急事態宣言は25日に全ての地域で解除される見通しだが、その後にすぐに今まで通り自由に登れるというものではない。山小屋などの営業は、この感染症が完全に姿を消さない限り、制約を受ける。感染症を避けながら、山を楽しむには新しい工夫や知恵が必要になる。

詩人で登山を好んだ尾崎喜八のエッセイに「山と音楽」という好扁がある。音楽を聴きながら山を想起するものにとしてウェーバーの歌劇「魔弾に射手」をあげている。

「それは聴くたびに極めて素直に山地そのもののヴィジョンを私に与える。古いオルガンで拙く弾いてさえ、私は冷たい苔の香の身にしみる山路や、朝夕に山々がよこたえる大きな影や、峠をこえて旅をする雲の姿や、暗い原始林を吹きぬけて来る風の響きを聴くのである。」

果たしてこの曲を聴いて尾崎の言葉に同感できるか、ユーチューブでこの曲を共有させてもらった。尾崎はそのほかにもシューベルトの「鱒」、「羊飼いの嘆きの歌」、「アルプスの猟人」、「郷愁」などをあげている。家で過ごす時間に、こんな曲で山を思い出すのも、この時間を充実させる方法かも知れない。

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カザグルマ

2020年05月23日 | 日記
しとしとと降る雨にぬれた花の紫が美しい。「テッセンだ」と早トチリしてカメラに収めた。ものの本によると、八弁で紫に咲くのはカザグルマでテッセンではないとある。ほかにつる草のトケイソウなどもあり花の識別はことのほか難しい。この春は、近くの山に妻を連れて二度ほどワラビを採りにでかけた。ワラビの季節は、空気も澄んで山に入るとことさらに気持ちがいい。

石激る垂水の上のさわらびの 
萌え出づる春になりにけむかも 万葉集巻8 志貴皇太子

志貴皇子は天智天皇の第7皇子である。宮廷で催された宴で、春を喜ぶ歌として詠まれた。こんなも遠い昔から、春の味覚として、当時の貴族の間でもよろこばれたワラビである。令和の今日、ワラビを採る春に心を躍らせることに感慨深いものがある。歌にある垂水とは滝のことで、岩の上を滝の水が激しく落ちている景である。さわらびのさは接頭語でワラビの芽が萌えだした、あの芽吹きの様子がうかがえる。

ワラビ採りのついでに蕗も二度ほど採った。こちらも土手の辺りに群生するミズブキである。北海道のミズブキは、太くやわらくておいしい。母がこの蕗が好きで、食べごろになると蕗採りに連れて行かれた。風呂敷に包んで、背に背負って持ち帰ると、皮をむくのは子どもたちの仕事であった。中に虫に食われたものがあるが、黒く傷んでいるのですぐに分かる。これを5㌢ほどに切って煮て食べる。春の味は、長い年月が経っても少しも変わらない。

コメント (2)
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雨上がり

2020年05月22日 | 日記
雨が上がって、低かった気温も回復してきた。山の緑が深まっている。山ツツジの色を次第に包み込んでいくようだ。千歳山の山中に、静寂がもどってきた。コロナ禍で休んでいた学校が始まり、子どもたちの姿が山中に見られなくなった。日課のようにこの山を登る人に、時折り行き会うほどで、小鳥の鳴き声が響いている。この山も、日常を取り戻しているということだろうか。

歩きながらスマートウオッチを見る。トレーニング効果の数値が3.2を示した。平地のウォーキングでは、3を上回ることは滅多になくなっている。山道での歩行は安定感を増しているようにも思えるが、体力の向上はまだ十分に満足のいくものではない。とりあえず5ヶ月、トレーニングを続ける。その頃には、コロナ禍も少しは先が見えるようになっているであろうか。
ヒメサユリが一輪、今年はじめてこの山で咲いた。よく辺りを見ると、咲き始めるばかり膨らんだ蕾が2輪、看板の後ろの方で静かに出番を待っている。ツツジが終わると、エンゴサクの白い花やタニウツギの花も姿を見せる。緑が深まっていくに従い、咲く花の種類も異なってくる。
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