昨日、千歳山に登っていると、最初の階段を登り切り、神社の参道である鳥居の付近に、土木用の工具やチェンソーを手にした5、6人の作業をする人がいた。ロープを張り、土留め用の杭や網を張る作業中であった。見ると、崖の斜面のひび割れが大きくなり口を開けた状態だ。その上に立つ木の根がむき出しになっている。崩落の危険があるのかも知れないので、「崩落ですか?」と聞くと、「そうです」と手短な返答があった。倒木の危険を避けるために、大木の伐採も考えているのかも知れない。この山は、コロナで自粛中の市民が、唯一身体を動かせる場所であるらしく、子どもづれで散策している人も多い。万一大きな崩れや、倒木に襲われたら、と恐怖感に捉えられた。
そこを過ぎると、今まで通りの山道になる。3日ほどの間に季節は進み。山道の脇の緑は更に増え、山ツツジの赤が道を彩り華やかになった。一日一万歩は確実に効果を上げている。3月の運動強度が頂上付近で4.8であったものが、この日は2.4と半数以下になっている。最大酸素摂取量もついに37㎖となり、やや良好から非常に良好の範囲に入った。
畑に水やりをしてから帰宅、幸田文の『崩れ』を読み返した。静岡県と山梨県の境にある安部峠の大谷崩れを見たのは、幸田文が72歳の時である。この作家が何故これほどの高齢になって、各地の高山の崩壊現場に立って、その実際を見る気になったのか、この本を読んで知って欲しい。その時の恐怖感を抱きながら、スケールの大きい大谷流れを見た光景を次のように記している。
5月の風は薫風だが、崩壊は憚ることなくその陽その風のもとに、皮のむけ崩れた肌をさらして、凝然とこちら向きに静まっていた。無惨であり、近づきがたい畏怖があり、しかもいうにいわれぬ悲愁感が沈殿していた。
富士の大沢崩れの現場で、幸田は地質学者に崩れとはどいうことか聞いた。学者の答えは「地質的に弱いところ」という答えが返ってきた。幸田は思う、そうか崩れは大地の弱さなんだ。急に崩れが身近なものに思えてくる。可哀そうに思えてくる。老境の作家が、このような現象に挑み、老体に鞭打って崩れの現場に足を運んで書いたことに深い共感と感動を覚える。