常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

スズラン

2020年05月15日 | 日記
スズランの可憐な花を見ると、やはり思い浮かべるのは故郷だ。家の脇に、花を植える庭のようなものがあって、脈絡もなく花が植えてあった。チューリップの傍に、ケシの花があったり、アスパラが頭をもたげ、片隅にぽつんと寂しげに咲いていたのがスズランである。シャクヤクは真ん中で自らを誇示するように咲くので、スズランの控え目な存在が何故か気になった。ダリアは地下のイモが冬を越すことができないので、堀上げて保温して越冬させる。花のなかでは一番手間がかかるので、秋口になって花が咲くと、一入癒された。

私の生家の近くを石狩川が流れている。その川を遡っていくと山地にぶつかる。鉄道が敷設される前は、この川を丸木舟で通るのが唯一の交通手段であった。山が迫る渓谷は神居古潭で、流れのなかに大きな岩が突き出て、ひとつ間違えれば激突して船は沈み、積荷も人も川の藻屑となった。そんな難所を象徴する伝説がある。

この近くに住む魔神がいた。この渓谷を岩でせき止めて、これより川上に魚がいかないようにしようと、山から大きな岩を落して簗を作ろうとした。これを知った文化神サマイクルカムイが駆けつけ、山の神である熊の加勢をえて、岩の簗を打ちこわし、魔神との間に激しい闘いが始まった。次第に優勢になったサマイクルカムイは魔神を追い詰めた。魔神は逃げようとして石狩川岸に飛び降りたが、ここの泥沼にはまり、這いまわっているところを捉えられ首を刎ねられた。さすがの魔神も生きかえることはできず、魔神の足跡、胴体や首は岩となって伝説を証明するように残っている。

この神居古潭には、川に掛けられた吊り橋がある。私の古いアルバムに、小学校のときここまで遠足に行き、吊り橋をバックに撮った集合写真が残されている。もう70年も前の写真である。あの時も、学校から5㌔ほどの道のりを歩いた。帰ってから疲れて翌朝起きるのが大変だったことは今も記憶にある。橋の下の川は狭いが、水深は深く、川の流れも急であったように思う。

コメント
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