2日連続のノーベル賞受賞の知らせは
暗いニュースが多い中で本当に喜ばしいニュース。
この世の中には、本当にすごい人たちが
こんなにいっぱいいるんだなあ。
しかも受賞対象となった研究が
20年も30年も前のものだというから、更に驚く。
彼らが何十年年も前に蒔いた種が
本人すら思わぬところに枝葉を伸ばし
人類全体の福音となるような大樹に成長する---
まるで「木を植えた男」を地で行くようなお話。
この方々はたまたま生きていらっしゃるうちに
ノーベル賞が間に合ったけれど、
間に合わない場合も、きっとたくさんあるはず。
でも、真の研究者にとっては
それはどうでもいいことなのかもしれないな。
「木を植えた男」も、何十年もの間
ただただ、木の実を人の住まない荒地に蒔き続け、
それが木立になり、小川を生み、村を育み、
人々の賑わいが戻ってもそこに留まることなく、
そこから更に何十キロも離れた木立の果ての荒地に、
相変わらず木の実を植え続けた
不器用にして、何か尊いものを感じさせる人生。
その姿が、受賞された方々に重ねて見えてしまって。
「明日世界が終わりになっても
わたしは林檎の木を植える」
わたしがずっと前から、大切にしてる言葉。
これにも通じるものがある気がして。
それが理解されようとされまいと
報いがあろうとなかろうと
信じることを続けることの尊さを思うニュースでした。
暗いニュースが多い中で本当に喜ばしいニュース。
この世の中には、本当にすごい人たちが
こんなにいっぱいいるんだなあ。
しかも受賞対象となった研究が
20年も30年も前のものだというから、更に驚く。
彼らが何十年年も前に蒔いた種が
本人すら思わぬところに枝葉を伸ばし
人類全体の福音となるような大樹に成長する---
まるで「木を植えた男」を地で行くようなお話。
この方々はたまたま生きていらっしゃるうちに
ノーベル賞が間に合ったけれど、
間に合わない場合も、きっとたくさんあるはず。
でも、真の研究者にとっては
それはどうでもいいことなのかもしれないな。
「木を植えた男」も、何十年もの間
ただただ、木の実を人の住まない荒地に蒔き続け、
それが木立になり、小川を生み、村を育み、
人々の賑わいが戻ってもそこに留まることなく、
そこから更に何十キロも離れた木立の果ての荒地に、
相変わらず木の実を植え続けた
不器用にして、何か尊いものを感じさせる人生。
その姿が、受賞された方々に重ねて見えてしまって。
「明日世界が終わりになっても
わたしは林檎の木を植える」
わたしがずっと前から、大切にしてる言葉。
これにも通じるものがある気がして。
それが理解されようとされまいと
報いがあろうとなかろうと
信じることを続けることの尊さを思うニュースでした。