ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

小さな奇跡

2016年09月19日 11時30分00秒 | 自分自身
この頃、ふと思うことがあって。
それは自分が思うほどに
自分は弱くないのじゃないかということ。
そして自分が思う以上に
多くの人々に支えられてきたことを
忘れすぎかもしれないということ。

例えば、わたしの左手の手首のあたりには
3歳の時にアイロンでやけどをした、
ダイヤ形にひきつれたやけどの痕がある。
かなり目立つところにあるのに、
一度もそのことでいじめられたことがない。

私自身がまったく気にすることなく、
隠しもしなかったせいもあるだろうけど
これまで出会った人々が優しかった。
子どもの頃は、残酷なものだから、
「気持ち悪い」と言われても仕方ないのに
思えば、誰一人、ただの一度も。
おかげでこのやけどの痕を
コンプレックスに思うことなく大人になれた。

(こんなお食事も余裕で完食)

それにわたしは小さい時から体が弱く、
今でも冷えればすぐ体調を崩すし、
体力もないので、無理はきかない。
20代、30代の頃は病院との縁が切れず
入院や手術も何度も経験したけど、
気がつけば、ここ10年くらいは
大きな病気も、入院もしていない。

普段は「体力のなさ」に気をとられ、
「どうにかこうにか元気」位に思っていたけど
同年代の知人・友人がつぎつぎと
大きな病気を経験したりしているのを聞くと
ひょっとしたら私は元気なのかも、と。

これまで自分の体力をずっと否定してきたけど
わたしは自分の体をもっと信じていいし、
自分の体力にもっと自信を持つべきかも。
病弱だったわたしが、この年まで
仕事をずっと続けてこれただけでも、
小さな小さな「奇跡」に等しいこと。

そして自分が優しい人々に囲まれてきたことを
あたり前ではなく、もっと「ありえないこと」、
「あり難いこと」と感謝しなくては。
ここに今のわたしが存在していられるのは
自分が強かったとか、運が良かったではなく、
たくさんの人々に支えられていたから。
これもまた、小さな「奇跡」にちがいない。

そんな当たり前で、大切なことを
日常に流され、忘れてしまうから、
グチったり、文句が出たりするのかも。
誰にでもあるそんな小さな奇跡を
これからはもっと大切にしなければ。
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