17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。
気持ちもすっきりと切り替え、
これからは12月6日の本番まで
待ちに待った、第九漬けの毎日。
この日が来るのを、どんなに心待ちにしていたことか。
これからは、第九で精一杯歌うためだけに、
わたしの心と魂を、ありったけ注ぎ込もう。
先日姉から、衣装のロングスカートも無事到着。
姉が第九に打ち込んでいた独身時代に愛用したものだとか。
母の手作りのそのスカートは、
わたしにも、あつらえたようにぴったり。
年代物のはずなのにそれを感じさせないのは
姉が大切にしてきたことの証。
姉はその昔、オーディションを受けて、
朝比奈隆の指揮で大フィルのコーラスとして
歌ったこともあるベテランなので
その姉の歌声の染み込んだこのスカートで歌えば
わたしも多少は、上手く歌えるかもしれない。
ううん、上手くなくても心をこめて歌えるように
どうか力を貸してね。
通常のレッスンは今週が最後で
来週は佐渡裕さんによる直々のレッスン。
ああ、このレッスンもどれほど楽しみにしてることか。
今はちょっと風邪をひいてしまって存分に歌えないけれど
この日までに、体調も歌も自分なりのベストに整えて。
本番は、お友達には誰も来てもらえないけれど、
前日の総合リハーサルのチケットが
枚数限定で、関係者にだけ売り出され、
(ただじゃないところが、驚き)
リハーサルだけは、若干の身内には見てもらえることに。
佐渡さんが、どんな風に音楽を作り出していくのか、
そのすべての過程に参加できると喜びと、
大好きな第九を歌える喜びと、
一万人の声が生み出すハーモニーにひたれる喜びを胸に、
わたしのありったけのフロイデ(歓喜)を
心をこめて、届けられますように。
もともと地図が読めない上に、
まぎらわしい地図の標記に見事に騙され、
四角形の3辺を歩くはめになったものの
無事に観てきました、「フィガロの結婚」。
シックで品のいい舞台装置、
柔らかできらびやかな響きのオーケストラ、
モーツァルトの時代を彷彿とさせる素敵な衣装、
気取らず楽しめるストーリー、
そして何より、歌手の方々の声の素晴らしいこと。
人間の声って、なんて美しいのでしょう。
口や胸だけでなく、お腹や背中、
指先からもあふれ出してくるような
透明でのびやかで、心地よい響き。
4人が、5人が、時には7人が
てんでにばらばらな歌詞を
ばらばらなメロディーで歌っているのに
それが合わさった時に生まれる
この上なく美しいハーモニー。
ああ、世の中がこんな音楽のようになれたらいいのに、
異なるものが違いを抱えたままで
こうして一つに響きあうことが出来れば。
そんなことを思いながら
全身を美しい響きにひたしていると
わたしの体中の細胞のひとつひとつが
幸福感で満たされていくみたい。
音楽っていいなあ。
心だけでなく、体のすみずみまで
美しいハーモニーが美しい振動となって
「美しいもの」、「幸せなもの」を届けてくれる。
こうしていっぱいになった幸福感を
一夜のものとして消えさせてしまうことなく
細胞のひとつひとつに染み込ませたまま
毎日を過ごしていけたらいいな。
そしてそれを体中からにじませながら
人と向かい合えるようになれたら、いいな。
職場で仏検受験の「やっちゃった」話をしたら
その日の帰り、一緒に帰った同僚の一人が、
「実はわたしも・・・」と話してくれました。
武道館のコンサートのために東京まで出かけ
うきうきしながら武道館に着いてから、
チケットを忘れてきたことに、気付いたのだとか。
かなり痛かったわたしが言うのも何だけど
そ、それは、かなり痛い・・・。
その日のチケットは完売だったため
泣く泣く翌日のチケットを買ったらしいけど
その日は落ち込みながら、一人東京を歩き回り
ふと見つけた神社でおみくじをひいたら
なんとこれが「大吉」だったと言うから、大笑い。
喜んでいいのか、悲しんでいいのか、
確かに、かなり複雑なものが・・・。
類は友を呼ぶと言うのか、何と言うのか、
同じ匂いがする人が傍にいてくれて、
大笑いしながらも、大いに慰められました。
友達や同僚の暖かい励ましのおかげで
もう随分気持ちは切り替えられたのだけど
明日は切り替えついでに、
ぱーっと、フランス語の授業をサボって、
ポーランド国立ワルシャワ室内歌劇場のオペラ、
「フィガロの結婚」を観てきます。
大好きなモーツァルトのオペラ、本当に楽しみ。
神戸から大阪フェスティバルホールは遠いから
定時後、また走ることになりそう。
あ、でもチケット忘れないうちに
バッグの中にちゃんと入れておかなくっちゃ、ね。
比較的のんびりおっとりした日々を
綴っているこのブログですが、
実生活では、実におっちょこちょいで
もっともやっちゃいけないことを
もっともやっちゃいけないタイミングで、
やっちゃったことは、数知れず。
そして、まさかまさか、今回もそうなろうとは。
方向音痴で心配性のわたしは
昨日も早めに出て、予定通り無事梅田に到着。
阪急の改札前で、何分発に乗る予定かを確かめようと
かばんを開けたとたん・・・あれ?
確か受験票にポストイットでメモっていたはずなのに、
受験票が・・・ない。
出る直前まで何度も確認したから、
そんなことがあるはずがない、と自分に言い聞かせ、
かばんの中のものを全部出してはひっくり返し、
そして次第につのる、焦りと絶望。
いくら何でも受験票なしに受験は出来ないだろうから、
意を決して、自宅に取りに戻ることに。
自宅に行くだけでも普通なら30分かかるから
普通に往復していたのでは、間に合わない。
・・・何とかしなければ。
駅に着くや否や、徒歩5-6分の自宅まで
無理を承知でタクシーで行ってもらい、
そのまま待ってもらって、部屋へ走りこみ、
しらじらしく机の上に鎮座していた受験票をひっ掴んで、
再びタクシーに飛び乗って、駅へ。
そして再びJRで梅田に着いたのが試験の32分前。
携帯の乗り継ぎナビを初めて使って調べた阪急の乗り継ぎは
JRがホームに着いた4分後に出発。
あとは、死に物狂いで走るしかありません。
無我夢中で走って、阪急の改札に滑り込んだのが1分前。
運良く目に入った千里線のエスカレーターを駆け上がり、
電車に飛び乗ることが出来たものの
この電車が関大前に着くのは、試験開始の6分前。
しかも駅から関大の校門まででも、徒歩15分の距離。
運動不足がたたって、汗だくでふらふら、全身がくがくだけど
タクシーのない駅だから、とにかく走るしかない。
走りに走って、疲労困憊の状態でたどり着き、
でもとにかく、受験してきたのでした。
時計を見る余裕もなかったから、
何分遅刻したのかも分からないまま。
力は尽くしたつもりだったけど、ディクテとかはさっぱりで、
試験後配られた模範解答で自己採点しても
ぎりぎりアウトの可能性が、大。
合格基準点が毎年変わるから、確定した訳ではないけれど、
ここで奇跡を祈るよりも、
1年後の再起を期する方が、建設的で現実的。
心に動揺があったのも、
時間が少し足りなかったのも、否めない。
でもそれも自分のせいだし、
それを言い訳にするのはやめにしよう。
なにより、自分のためにならないから。
そして、今回のこの大失敗にはどんな意味があったのか
自分でしっかり考えてみなくっちゃ。
気持ちに甘さがあったのか、おごりがあったのか。
何にしても、厳しいレッスンだったけれど、
それでも受験できたわが身の幸運にも、感謝しなければ。
いよいよ明日、仏検準1級の試験。
こんなことしてる場合か、という時に限って
普段しないような事に打ち込みたくなる
昔からの悪い癖。
朝からガスコンロを磨いてみたり、
浄水器や加湿器のカートリッジを交換してみたり、
毛布を取り出して干してみたり、
ブログをこうして書いてみたり、
お買い物がてら、散歩にも。
春に薄桃色に染まった桜並木も、今は錦の並木。
試験の前って、幾つになっても嫌なもの。
ましてや大人になってから
試験を受ける機会は滅多にないだけに。
こうなったら、と神社にお参りにも。
今日は七五三だったらしく、
かわいらしい着物姿の小さな女の子が
ご家族ともどもお参りに来ていました。
とは言え、わたしなりに、
今の私に出来るだけの努力はしたつもりなので
明日は精一杯、頑張ってきますね。
これを読んでくださった方、
どうか明日の午後3時前頃から
わたしが全力を尽くせるように
応援エネルギーを送ってくださいね!