17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。
このところ、かつてのインターンさんが
何人も近況を知らせるメールをくれたり、
顔を見せに来てくれたりすることが続いていて。
1年や、2年、時にはそれより前にいた人たちまで。
それは本当に、うれしいこと。
職場では、先月末にも一人送り出し、
来週にもまた一人送り出し、
送別会ばかりが、にぎやかに続き、
淋しさに馴れることは、まだ出来ないけれど。
それでも、こうしてまた連絡をくれたり
会いにきてくれることを思えば、
別れも淋しさもは、一時のことにすぎないのかも。
相変わらず、周りばかりが変わっていき、
取り残されたような思いになることもあるけれど、
またこうして、出て行く船を笑顔で見送り、
時に帰ってくる船を、笑顔で迎え入れる、
そんな小さな灯台みたいな役目を
ここで、これからも喜んで務めていきましょう。
日中暖かな日が続くようになったと思ったら、
いつの間にか、昨日はもう立春。
ご近所の庭先では早咲きのチューリップの花が
気持ち良さそうに、ひだまりで
花びらを広げていました。
先日ふと読んだ本に、こんな言葉がありました。
「愛とは、周囲や自分自身に心を開き続ける経験」。
特定の人だけでなく、周りのすべての人に、
生き物に、環境に、自分を包んでいるものに。
特定の人に心をひらくことは簡単でも
それ以外の場合には、
いつのまにか、閉ざしてしまっているかも。
このふっくらと花びらを広げたチューリップのように
心をふっくらと開いてみよう。
知らない人にも、苦手な人にも、
自分の人生に起こる、すべてのことにも。
簡単なことではないけれど、少しでも。
橋本府知事の大胆な行・財政改革は
どちらかというと応援している方だけれど、
補助金の大幅削減による
大阪センチュリー交響楽団の行方だけは、
わたしも心配しているところ。
センチュリーは勢いのある、いいオーケストラで、
関西に幾つもオーケストラがあるということが
関西に住む者としては、
喜びであり、誇りだったのに。
わたしは1時間ほどで行ける空港が3つもある街より
個性的なオーケストラが3つある街の方がいいな。
豊かさは、便利や効率から生まれるものではないから。
年末の「21世紀の第九」のコンサート終了後も
オーケストラのメンバーがそのままの衣装で
ロビーで一生懸命、募金をよびかけていて。
わたしにも出来ることがあれば、と
ささやかながらワンコインサポートをし、
ファンクラブ会員にも加入しました。
応援する会、というのも署名を集めて頑張っている模様。
がんばれ、がんばれ、センチュリー。
大阪から、その響きが絶えることがないよう、
その音色を次の世紀につなげていけるよう。
知事にもその思いが伝わるといいけれど、
だめなら、市民自らで支えていけるよう。
先日家の近くに、今まで気付かなかった
おいしいイタリアンのお店を見つけました。
わたしが良く通る道から、ほんの少し入ったところに
数ヶ月前にオープンしていたのだとか。
早速ランチタイムに入ってみたら
隠れ家風のこじんまりしたたたずまいといい
フレンチ出身のシェフの繊細な味付けといい
お店のスタッフの丁寧な応対といい、
なかなかにわたし好みかも。
きのこのクリームリゾットには、もううっとり。
近所においしいお店を発見するのは
ささやかだけど、大切な幸せ。
今度は夜にも行ってみることにしましょう。