ストローバレイ家の介護奮闘記

90→→92歳の母を支える4姉妹の泣き笑い奮闘記・・とその後

小説「宝島」(真藤順丈著)

2019-04-11 00:12:08 | 日常
            

このところずっと取り組んでいた、第160回直木賞受賞作品「宝島(HERO`S ISLAND)」を読み終わりました。

『基地から持ち出された“予定外の戦果”と“英雄(ヒーロー)の行方”
奪われた沖縄(ふるさと)を取り戻すため、少年少女は立ち上がる。』
(帯より)

4人に1人が犠牲となった地上戦後に起きた沖縄の史実の中に織り込まれたこの「青春物語」は、沖縄の重荷の大きさ、ウチナンチュの慟哭の深さと、「なんくるないさー」と苦難を受け止め跳ね返す逞しさ、カチャーシーに身をゆだね歌い踊る明るさ、大らかさが生き生きと息づき、ハラハラどきどきの展開と相まって、その圧倒的な魅力に心が鷲掴みにされました。

小説では、個性豊かな人物が大勢登場し、夫々に重要な役割を果たしていますが、主役の若者4人に焦点を当てて大筋を紹介すると、、、(ちょっと長いです。)
***
沖縄がアメリカの占領下にあった1952年。コザに暮らす戦果アギヤー(米軍の物資を盗み出して地元民に配った“略奪者”)のリーダー・オンちゃんと、オンちゃんを英雄と慕う弟のレイ、親友のグスク、恋人のヤマコは、常に行動を共にしてきた。

ある日キャンプ・カデナの襲撃に打って出た戦果アギヤーたちは、侵入に気づいた米兵たちから追いかけられ、実弾射撃を浴びせられ、命からがら逃げだしたが、その最中にオンちゃんはプッツリと姿を消す。

残された3人は、オンちゃんの無事を信じて行方を探しながら、夫々に日々の営みを続ける。レイは、アメリカや刑務所を相手に徹底抗戦を挑み、グスクはウチナンチュの悲劇に待ったをかけたいと琉球警察の刑事になる。辛さを背負いながらも「生きる」と決めたヤマコは、小学校の教師となり、やがて反基地・本土復帰運動の先頭に立つ。

1965年ベトナム戦争が始まると、沖縄はベトナム戦争の最前線基地となり、島に米軍の毒ガス部隊が配置されていることが発覚し、人々を不安に陥れる。

1969年、沖縄の1972年本土復帰が決まると、米軍は基地や施設で働く島民の解雇・縮小を一方的に決め、コザでは職を失うことに抗議する島民の大規模ストライキやデモ、抗議集会が相次ぐ。混乱を避けるためにと米兵に外出禁止令が発令されると、今度は客が居なくなった特飲街の人々の生活が困窮し、街は殺伐とした雰囲気に包まれる。

そうした中、これまでも頻発していた米兵による轢殺事件が新たに発生。これをきっかけに、米兵の女子供への強姦や殺人、B52の墜落、毒ガスによる大気汚染と、これまで基地によってもたらされた数々の人災と、それが公正に裁かれない不条理にさらされ続けてきた住民たちの怒りがついに爆発、コザの街は騒乱状態に陥る。

後に“コザ暴動”と称されたこの騒動は、しかし、催涙ガスの投入と琉球警察の説得でその日のうちに収束。一時は文字通り命を懸けて米兵と対峙したレイとグスクも矛を収めることになる、、、思いがけない結果を伴いつつ、、、。

1972年、本土返還の調印式は終わったが、故郷の魂を望ましいかたちでつかめなかったと多くのウチナンチュが悔やんだ。グスク、レイ、ヤマコも、後悔と自責にとらわれて互いに疎遠になっていたが、たまたま顔を合わせた席で、一緒にオンちゃんに思いを馳せて考える。

『青い地平線の向こうに、いつかはだれもが行くだろう。・・・だけどそれまでも土地の鼓動はうちつづけなきゃならないさ。だからまた始めよう、そろそろほんとうに生きるときがきた―』と。
***

著者の真藤順丈さんは東京都出身ですが、作品の中で自らを「語り部」と名乗り沖縄に本気で寄り添っていて、結果、この作品を通して今現に沖縄で起きている辺野古基地建設問題の本質や、「沖縄のアイデンティティ」の意味も見事に描き出しています。

そのため、読んだ後自然に沖縄の現状が思い浮かび、「沖縄の人たちは、過去と同様、今もこれからも決してあきらめることなく、押し付けられた不条理に抵抗し続けるだろう」という確信が湧いてきました。(三女)
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