※針塚古墳(はりづかこふん)の所在地 長野県松本市里山辺3173番地
針塚古墳(はりづかこふん)の所在する里山辺地区は、美ヶ原山塊から流れ出る薄川(すすきがわ)が形成した扇状地である。
針塚古墳は、扇央部の河岸段丘上に位置し、周囲を水田とぶどう園に囲まれている。
近年の農業基盤整備事業でこの河岸段丘も姿を消したが、かつては段丘上に同様な古墳が数基あった。
現在はこの針塚古墳が残るのみである。
針塚古墳は以前から積石塚古墳として知られていた。
積石塚古墳とは土のかわりに石をもって封じ、墳丘を造った古墳で、高句麗(こうくり 朝鮮半島北部の古代国家)に多い墓制であることから渡来人との関係を指摘する声もある。
平成元年度(1989)から3次にわたって発掘調査が行われた。
その結果は、幅約2mの周溝をめぐらした円墳で直径約20m、高さは約2mが確認できました。
埋葬施設は墳頂部に長さ約2m、幅約1mの竪穴式石室、東側の周溝内に長さ約2m、幅35㎝、深さ33㎝の竪穴式石室、東南側周溝内に木棺墓(もっかんぼ)が発見されました。
このうち墳頂部の竪穴式石室内からは内行花文鏡(ないこうかもんきょう)をはじめ、鉄斧(てっぷ)、鉄鏃(てつぞく)、刀子(とうす 小刀)、ガラス小玉、滑石製紡錘車(かっせきせいぼうすいしゃ 糸をつむぐときに使用するはずみ車)、鉸具(かこ 例えば馬に鞍を取りつけるためのベルトを固定する金具)が発見された。
そのほかに南西部の周溝内から埋葬に際して行われた「おまつり」に使用された土師器(はじき)、須恵器(すえき)がまとまって見つかっています。
この発掘調査では、まずこの古墳が方形3段積みの古墳ではなく、円墳であったこと、「おまつり」に使用された土器から古墳の築造年代は古墳時代中期の5世紀後半であること、古墳の墳丘は、周溝の土を盛り上げその上に薄川の石を積みあげて造った積石塚古墳であることなどがわかった。
※以上、「新編 松本のたから」27ページより引用。
今日は山辺付近での用足しがあり行ってきました。
ついでにという事になりましたが、以前から一度行ってみたいと思っていた、市内唯一の積石塚(つみいしづか)古墳である針塚古墳を見てきました。
出土品は考古博物館や山辺歴史民俗資料館に保管展示されているようですので、また時間をつくって行ってみたいと思います。
※「発掘された松本2010」で見た針塚古墳から出土した土器棺