Polepole Life new

びわ湖の湖南に在住。
亡きA.コッカーNOIRと山歩きを愛すシニアライフを綴ります。

今年も。

2010-01-07 23:03:00 | たべもの






↑ことしのもの。






正月の帰省に、おせちを持参するようになったのは
いつ頃からだったろう。






今日は、もう↓コレの日。






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早くから足腰の弱かった両親に
私たちの食事の為に手間を
掛けさせたくなかったし
2人で食べるには多すぎる量のおせちを
ふたつのお重に分けることにしたのは、
結婚後2・3年後のことだったか。。。




2007年のもの↓




その後、両親が長野県→群馬県と移り、
その間は、おせち持参はおろか、
正月に訪ねることさえ出来ない時期もあった。
その間、どんな風に三賀日を過していたのか
あまり記憶がない。



復活したのは、父が1人で愛知の姉夫婦が
自宅近くに準備してくれたアパートに
引っ越してきて以来のこと。



入院中で、皆と食事の出来ない父にかわり
今年は、姪っ子達や姪っ子のカレシも食べてくれた。



小さい頃は、子供達はおせちには箸をつけてくれなかった。
唯一卵焼きだと思って口にした伊達巻も、
予想外の甘い味に、とても不評だった。。。


今は、労をねぎらうように褒めてくれたりしながら
食べてくれるのを見ると、大人になったなぁと
つくづく感じて胸が熱くなる。


老いた私達の母や父にも、とてもやさしい子供達。。。


彼らの成長の過程を、私は一瞬しか見ていない。
義兄や姉が彼らを育ててきた長い年月は、
とても私には想像がつかないけれど、
今の彼らを見ていると、義兄や姉はキチンと
育てたんだなぁ、親として立派に生きているんだなぁと、
なんだかとてもうらやましかった。


例年の元旦の日帰りだけではなく、
今年は姉の家に泊って、姪と枕を並べたり
具だくさんのお雑煮やお寿司を食べたり、
家庭的な雰囲気をお相伴させてもらった。


父の事では、日頃苦労をかけている姉を手伝うどころか、
お世話にないっぱなしの滞在ase2


姉一家にも、病院のスタッフのみなさんにも
感謝と申し訳なさで一杯の数日。


おとうさんが苦しい・つらい思いをしているのに、
姉夫婦も大変な思いをしているときなのに・・・


やさしさと善意に包まれて
こんなに和やかな気持ちを感じたりして・・・ごめんね。









コメント (4)
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