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早くから足腰の弱かった両親に
私たちの食事の為に手間を
掛けさせたくなかったし
2人で食べるには多すぎる量のおせちを
ふたつのお重に分けることにしたのは、
結婚後2・3年後のことだったか。。。
2007年のもの↓
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その後、両親が長野県→群馬県と移り、
その間は、おせち持参はおろか、
正月に訪ねることさえ出来ない時期もあった。
その間、どんな風に三賀日を過していたのか
あまり記憶がない。
復活したのは、父が1人で愛知の姉夫婦が
自宅近くに準備してくれたアパートに
引っ越してきて以来のこと。
入院中で、皆と食事の出来ない父にかわり
今年は、姪っ子達や姪っ子のカレシも食べてくれた。
小さい頃は、子供達はおせちには箸をつけてくれなかった。
唯一卵焼きだと思って口にした伊達巻も、
予想外の甘い味に、とても不評だった。。。
今は、労をねぎらうように褒めてくれたりしながら
食べてくれるのを見ると、大人になったなぁと
つくづく感じて胸が熱くなる。
老いた私達の母や父にも、とてもやさしい子供達。。。
彼らの成長の過程を、私は一瞬しか見ていない。
義兄や姉が彼らを育ててきた長い年月は、
とても私には想像がつかないけれど、
今の彼らを見ていると、義兄や姉はキチンと
育てたんだなぁ、親として立派に生きているんだなぁと、
なんだかとてもうらやましかった。
例年の元旦の日帰りだけではなく、
今年は姉の家に泊って、姪と枕を並べたり
具だくさんのお雑煮やお寿司を食べたり、
家庭的な雰囲気をお相伴させてもらった。
父の事では、日頃苦労をかけている姉を手伝うどころか、
お世話にないっぱなしの滞在
![ase2](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/ase2.png)
姉一家にも、病院のスタッフのみなさんにも
感謝と申し訳なさで一杯の数日。
おとうさんが苦しい・つらい思いをしているのに、
姉夫婦も大変な思いをしているときなのに・・・
やさしさと善意に包まれて
こんなに和やかな気持ちを感じたりして・・・ごめんね。