Polepole Life new

びわ湖の湖南に在住。
亡きA.コッカーNOIRと山歩きを愛すシニアライフを綴ります。

緑の中に:ハナニラ(ユリ科)

2006-05-31 08:52:55 | 庭・植物



かわいいでしょ?

ウォーキングの途中、
グリーンの中に青みがかった白い星のような
花が散らばっていました。

可憐なのにハッと目に飛び込んできた鮮烈さ。

ウチの庭にもしばらく手入れを怠った途端
いろいろな「雑草」というものが、のびのび
育って、それはそれで装飾的なクリムトの絵の
背景の小花のように、きれいだったりしています。



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プール:お元気です。

2006-05-28 09:01:11 | 家族・人


 久しぶりにプールに行きました。

「あれ?」下駄箱のレイアウトがぜんぜん違う。

 通いなれた場所の突然の変化!
 いつの間にか、こどもや、中高年向けにいろいろな教室も
開設されていました。

 丁度、少し前から中高年向け体験無料レッスンが
始まっていて、水中ウォーキングしたり指や腕の
ストレッチをしたり・・・。

 彼女達、年代は私と友人より10~20歳は上かなぁ。
とにかく元気。
 なにげにとなりのコースで、真似を始めた私と友人・・・。
 はっと気づくと、歩調は遅れがち。
nose4

 そのうち数名の方は教室終了後も、そのままこちらの
コースに移って歩き続け、私達が採暖室で休憩する間も、続行。
 お仲間とお話しながら息もあがることなく、スピードも速い早い。

 お見事とゆうか、こちらが情けないというか・・・。
「イヤ、久しぶりだからぁ~。」
「もうちょっこっとまめに来ないとねぇ。」

と、言い訳がましい会話をしながら、
こそこそっとふらつく足でプールを後にしたのでした。nose5

このままでは、わたしたち
仲良く元気で長生き
     ・・・アブナイかも。
  
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ナイロビの蜂

2006-05-27 10:50:03 | 映画・観劇
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 ナイロビは東アフリカ:ケニアの首都。
「蜂」は、出てくる製薬会社の名称にかけたもの。

 原題は、「The Constant Gardener」。なんとも、イギリス的。

 主人公ジャスティンは、まさに「The Constant Gardener」。
良識と節度と人間的優しさを身に着けた外交官で、
「庭弄りを好む人」。
 なのに彼は、自分自身を消耗してしまうほど情熱的な
活動家テッサと出逢ってしまう。

 スクリーン上のケニアの懐かしい自然や人々をみつめながら、
段々とストーリーに取り込まれていき・・・、
                久しぶりに、すてきな映画に出逢えた。



 
 郷愁に近いものを感じてケニアを舞台にした映画は
つい見に行ってしまう。
 今回はナイロビのスラム、雑踏、塩湖、フラミンゴ・・・
そして、独特の空の色、地の色・・・・。人。こども。
 どれもが別の土地でロケしたのでは得られないだろう臨場感。 
 
 『ナイロビの蜂』は、弱者を犠牲にすることでより巨大な
利を得ようとする大きな力や、夫婦の信頼・個人の生き方など、
沢山のことが織り込まれて過ぎていて一つの主題を訴える
強さに欠けてしまっているというコメントを耳にした。

 が、私にはそれらがとてもいいバランスでストーリーを
組み立てているし、作品にリアリティーと深みを
持たせていたように思う。

 例えば、ケニアの子供達。私の知っているケニアの子供達と
スクリーンの彼らは、まったく変わらなかった。
 かわいい人懐っこい笑顔。でも、彼らは頻繁にその同じ顔に、
幼いながらの哀しみ・忍耐をにじませる。
 彼等、特に女の子の働きぶりには時に敬意すら感じずには
いられなかった。

 ジャスティンがテッサを理解した時、飛行機の中で、以前
病院からの帰り、車の中でジャスティンとテッサが交わしたのと
酷似する会話がパイロットとジャスティンとの間で交わされる。
そして、次に起こったことに心を打たれない人はいないだろう。

 小さな彼女らが見せる滅私的な行動は、決して絵空事ではない。
ケニアの貧しい女の子なら、そんな行動を多くの子がとるだろう。

 同じケニアの中で、ナイロビのスラムと外交官達の暮らしぶり!
ケニアの貧しい階層と白人社会とのギャップ。
 
 その境界の中で守られた、美しい庭から出て妻の軌跡と死を
追い始めたジャスティンの行動が、いかに彼を穏やかな外交官から
変化させたことか。

 「知る」ことのないままに、危険な方向に進んでいるのは
貧しい階層のケニアの人々ばかりではない。
 「利便」を求めて、ひずみや犠牲を他の国の人々に強いているのは
製薬会社だけではない。(薬害エイズのことも思い浮かばずには
いられなかったけれど。)
 
 そして、孤立をおそれ保身していては、何かにつけ真摯に
問題追求し、発言できない社会。

 せめて、身近な人のイタみに鈍感にならない想像力はもって
いたいと思う。。。
 

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三大神社:砂擦りのフジ

2006-05-19 11:31:46 | 風景・場所



「どこ、行こうか?」
たまの休みは家事も疲労もたまっているのですが・・・。
ともだちの顔をみると、つい二人でふらふら出かけたくなります。

 いちいち確認していなくても時期が着たら出かける
年中行事のようなお出かけもあれば、
 フトできた一緒の空きの時間を惜しんで、当日急に
「どこか、いい場所」を、決めることも。

 5月の初めでしたか、今回の「三大神社」の藤見は後者。

 彼女の「確か今頃。確かアノ辺。」を頼りにイザ出発。
ありがたいナビシステムの詳細画面の片隅に神社の名前
が現れたお陰で、さして迷う事無く到着。

 例年より遅咲きの藤を堪能しました。

 わずかな滞在時間に、ステキなハプニングも二つ。
一つは京都新聞のカメラマンさんの被写体になったこと。
もう一つは、最近仕事場で再会した旧知の方に偶然であった事。
横浜に嫁いだお嬢さんと嫁ぎ先のご両親もご一緒で、
お嬢さんはもうじき出産に里帰りするとの事でした。
幸せそうなご家族との藤棚の下での出会い・・・。和みました。

 ラムネを飲んでほっこり。 いい時間を過しました。

   
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『できればムカつかずに生きたい』」

2006-05-13 07:12:42 | 
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 最近本を読まなかった。
いや、読めなかった。

 理由はわからない。
若い時は何があっても傷つかなかった部分が
磨耗してきた。  そんな気がする。

 つい最近まで、時間の有無もお財布の中身も
関係なく、常時読みたい本を数冊抱えて、
予定より読みすぎては手持ちがなくなり、
図書館や本屋には走っていたのに。

 でも、書評や広告等で目に付く、「次に読みたい本」
は常にあって、この人のものもそんな幾つかのうちの
上位にいつもあった。

 コレを機に、また本にハマれそうな、そんな気がする。


 
 原因は違うものの、家族の不和の中で子供の時から苦しみ、
一人逃避するように独立してからも、問題があった時や
愚痴しか連絡をくれない家族、温かい帰れる場所を
残してくれなかった家族に抱いていた感情は、著者の
書かれているそれ、だった。

 自分自身に関しても、
『自意識が強すぎて自分の手に負えない。
感情がコントロールできなくて苦しい。
感情のあっち側からこっち側へ、ジェットコースター
みたいに駆け抜けている。
泣いたり、笑ったり、幸せの絶頂に昇ったり、そうかと
思うと死にたくなったりした。』
という著者の17歳の頃の描写そのもの。
(死だけは、13歳位までしか魅かれなかった。)

 だから、著者がどう家族を許したのか、どう考え、
どう生き、現在に至っているのか。
・・・一文一文共感することが多く、癒されもして、
期待していた以上の内容だった。

 ただ、私は受け止め、流し、根に持たないことが
うまくできない。
余裕がなくなると感情のコントロールも今だに
できない。
 若い頃に比べて、外に向かった怒りが、すぐに
「自分自身の問題なのだ」と気づいてほとんど
自らの反省になってしまう分、気力が萎える。
 好ましい変化は、いくらかどうにもならない状態に
なる前に、自分で引っ込みが付くようになった程度の進歩。
(いや、それも怪しいかな。)
 
『このエッセイ集は、思春期の宿題への、
私なりの解答だ。もうすぐ夏休みも終わる。
宿題をためこみすぎた。必死で解かないと、
もうすぐ、秋である。』 
と、文庫版でないほうの「あとがき」末尾で、
著者は書いている。

 私はもうしっかり秋の森に足を踏み込んでいる。
「Hermit」と名のり始めた頃、
「冬」の気配さえ、立ち込めていた。
 私は宿題を少し放棄していた。
真面目に、取り組んでいたはずなのに。
我儘の通る、ぬるい環境の中で学ぶ必然がなかった。

 優秀な彼女のノートを少し覗かせてもらって、
私は又、自分のノートを自分でこつこつ仕上げていく
勇気をもらったように思う。

 幼稚だけれど、つたないけれど、私の今までのノートも
『方向性は間違ってないよね。』


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