「平野郷HOPEゾーン協議会」解散 ~100年後に誇れる町へ
平成26年3月21日、「平野郷HOPEゾーン協議会」の15年間の活動に終止符を打つ、解散総会が全興寺・おも路地2Fにて開催された。
「平野郷HOPEゾーン協議会」では、歴史と文化溢れる町、平野郷において、「祭りちょうちんが似合うまちなみ」をテーマとした修景(まちなみ保存)事業を大阪市との協働事業として行ってきた。
同協議会の設立は1999(平成11)年。
他地区が行政主導であるのに対し、平野郷では歴史的な環濠自治都市の気風を受け継ぎ、住民主導で行政とも対等の立ち位置でもって、活動されてきた。
母体である「平野のまちづくりを考える会」のこれまでの活動がベースとなっている。

挨拶される会長の松村長二郎さん。
(おっと、会長は「惣年寄」と称するらしい。)
役員さんもそうそうたる面々。


藤井区長や議員さんたちも駆け付け、「平野郷HOPEゾーン協議会」の15年間の労をねぎらった。


この事業により、平野郷のまちなみは大きく変化した。
旧筋名を記したプレート、道路美装化、電線の地中化、新規建築物の高さ制限etc、そして、町家の修景。
「100年後、200年後に美しくて住みやすい平野郷を後輩たちに渡すのが会の使命」だと、会長はおっしゃっておられた。

松村会長宅の「まつや」さんは「まちぐるみ博物館」のひとつ、「平野映像資料館」。

21日、当日は「出会いの環濠まちあるき」という婚活イベントも行われていた。
もちろん、「平野郷を着物で歩こう!」のちらしも貼っていただいている。

「平野郷HOPEゾーン協議会」の提灯も、もう見れなくなるのだろうか。

母体である「平野の町づくりを考える会」のモットーのひとつが「他人のふんどしで相撲を取る」である。
まさに15年間に渡って、約4億円とも云われる、市の助成金でもって、住民本位の事業を展開されてきた。
21日当日は、会場のおも路地中心に、フリーマーケットなどの「HOPEまつり」が開催されていた。

かつての平野郷の領主、「末吉邸」。


町家博物館でもある、「藤岡邸」、「粕谷邸」。


修景第一号となった「亀乃饅頭」。
役員の皆さんは「15年間、あっという間だったなあ。」とおっしゃる。
この想いは活動が充実していた証拠だろう。
松村長二郎会長に「ご苦労様でした。寂しくなりますね。」とねぎらうと、会長は「苦労なんてしてへんで。ずっと、楽しかった。“平野の町づくりを考える会”から“平野郷HOPEゾーン協議会”に出向していたようなもんやから。これからは、また、もとに戻るだけや。」と笑った。

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平成26年3月21日、「平野郷HOPEゾーン協議会」の15年間の活動に終止符を打つ、解散総会が全興寺・おも路地2Fにて開催された。
「平野郷HOPEゾーン協議会」では、歴史と文化溢れる町、平野郷において、「祭りちょうちんが似合うまちなみ」をテーマとした修景(まちなみ保存)事業を大阪市との協働事業として行ってきた。
同協議会の設立は1999(平成11)年。
他地区が行政主導であるのに対し、平野郷では歴史的な環濠自治都市の気風を受け継ぎ、住民主導で行政とも対等の立ち位置でもって、活動されてきた。
母体である「平野のまちづくりを考える会」のこれまでの活動がベースとなっている。

挨拶される会長の松村長二郎さん。
(おっと、会長は「惣年寄」と称するらしい。)
役員さんもそうそうたる面々。


藤井区長や議員さんたちも駆け付け、「平野郷HOPEゾーン協議会」の15年間の労をねぎらった。


この事業により、平野郷のまちなみは大きく変化した。
旧筋名を記したプレート、道路美装化、電線の地中化、新規建築物の高さ制限etc、そして、町家の修景。
「100年後、200年後に美しくて住みやすい平野郷を後輩たちに渡すのが会の使命」だと、会長はおっしゃっておられた。

松村会長宅の「まつや」さんは「まちぐるみ博物館」のひとつ、「平野映像資料館」。

21日、当日は「出会いの環濠まちあるき」という婚活イベントも行われていた。
もちろん、「平野郷を着物で歩こう!」のちらしも貼っていただいている。

「平野郷HOPEゾーン協議会」の提灯も、もう見れなくなるのだろうか。

母体である「平野の町づくりを考える会」のモットーのひとつが「他人のふんどしで相撲を取る」である。
まさに15年間に渡って、約4億円とも云われる、市の助成金でもって、住民本位の事業を展開されてきた。
21日当日は、会場のおも路地中心に、フリーマーケットなどの「HOPEまつり」が開催されていた。

かつての平野郷の領主、「末吉邸」。


町家博物館でもある、「藤岡邸」、「粕谷邸」。


修景第一号となった「亀乃饅頭」。

役員の皆さんは「15年間、あっという間だったなあ。」とおっしゃる。
この想いは活動が充実していた証拠だろう。
松村長二郎会長に「ご苦労様でした。寂しくなりますね。」とねぎらうと、会長は「苦労なんてしてへんで。ずっと、楽しかった。“平野の町づくりを考える会”から“平野郷HOPEゾーン協議会”に出向していたようなもんやから。これからは、また、もとに戻るだけや。」と笑った。



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